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もめん随筆32

时间: 2020-03-31    进入日语论坛
核心提示:奈若既に百鬼園日記帳の上木された以上さしつかへはないと考へ、書簡集はいつ頃出るのでせうとおたづねしたところ、それだけは勘
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奈若

既に百鬼園日記帳の上木された以上さしつかへはないと考へ、書簡集はいつ頃出るのでせうとおたづねしたところ、それだけは勘弁して下さいと内田先生は苦い顔をされた。
だが私の考へによれば日記帳も書簡も人眼にふれずしまはれてあつた点に於て——書簡の方は相手の眼にふれてはゐるけれどこれはただ一人の事だからやはり日記帳とあまり変りがない。それなのに日記帳だけ美しい本となり、書簡の方はいろいろな他人の筐底に空しくいつまでも秘められてあるなどとは甚だ片手落ちのさたではないかと思ふのである。ちやうどみめ麗はしい双生児の、一人は縁あつて花やかに嫁ぎ、一人はいまなほ深窓に取り残されてゐるやうなもので、一層奥床しさがまさりはするものの、周囲の者の身になつてみれば、その令嬢の美しければ美しいだけ殊更ら一日も早く明るい世に出したい心地のされてくるのも無理からぬ願ひであらう。百鬼園先生にお眼にかかつて最早や十年、その間に頂戴したかずかずのお手紙は、葉書の一枚も欠かす事なくしまつてある。一枚の葉書といへども其処にはかならず百鬼園先生の面影がありありと浮き上つて見えるからである。私にとつてこれは話にきく小倉の色紙のやうなもので、自分の手許にあるそれがこの上なくめでたいものに感ぜらるるにつけても、他の方方へあげられたお手紙もさぞかしとしのばれ、散りぢりに別れてそれぞれの人の手にある色紙を、一ときも早くあつめて眺めさせて頂き度い願望をおさへる事が出来ないのである。先生御昇天のあかつきなどと気の長い事を云つてゐる間には、自分の方が一ト足お先きへ参つてしまふかも知れないのである。
百鬼園書簡集、それは非常にいいですね。さうしてその中の手紙の持ち主が銘銘に印税を貰ふ事とする、なほいいですねとある人が云つた。私はそれには気がつかなかつた。云はれてみれば私の小倉の色紙はますます小倉の色紙となつてくるのであつた。
先生がまだ此頃のやうにどんどんつづけて本をお出しにならない頃、いまのうちにと思ひついて、額にしたいから字を書いて下さいと手紙でお願ひした事があつた。すぐお返事がきて字はいつでも書きますから先づその前に唐紙、硯、墨、筆、毛氈、座敷、庭、庭のはるかむかうに塀、これだけ揃へて下さい、すぐ書きますとあつた。どうすればよいかわからなくてそのままになつてしまつたけれど、あとで人にその話をすると、訳ないぢやありませんか、百鬼園先生をその時だけさういふ処へ連れて行けばいいぢやありませんかと相手が云つた。しかしそれではいけないと私は思ふのである。
これは最近のことだけれど、よそから貰ひもののナイフとフオークがあつたので、半端ものながらお届けするとすぐお葉書を頂いた。——奈若、芙奥、御芳志ト共に頂戴仕候頓首。但し書きに、奈若ヲ余リ考ヘ込マレルト失礼デスカラ仮名ヲツケマセウ奈若《ナイフ》。学東西ニアマネカラズンバカウ云フ含蓄ノアル字ハ使ヘマセンネ。
それ程に書かれてあつても、若をなぜイフと読むかわからないのである。家内一同集つて協議してみたけれどもやつぱりわからなかつた。
翌日の午後、中学三年の子供がただいまと靴をぬぐ間ももどかしさうに玄関から駆けあがつてきて、いきなり「ママ、あの内田先生の葉書の字わかつた?」ときいた。
「なによ、……」
だしぬけで訳がわからず不愛想な私の調子を子供は耳にもかけずはずんだ声で
「ほら、あの奈若のイフといふ字よ、ね、僕今日おひる休みの時学校の運動場でふつと気がついちやつた。イフといふのは英語のifでせう、イフは若し、——」
「あつ」とさすがの私もやつと気がついて声をあげたけれども、かういふ勘のにぶい人間を相手にされるのでは、百鬼園先生もさぞお骨の折れる事であらうと、お気の毒でもありをかしくもあつて、しばらくは笑ひがとまらなかつたのである。
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