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もめん随筆43

时间: 2020-03-31    进入日语论坛
核心提示:木の芽ある雑誌社から好きな食べものについてといふ回答をもとめられ、好きな食べものはあんまり沢山ありすぎて、何が一ばん好き
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木の芽

ある雑誌社から好きな食べものについてといふ回答をもとめられ、好きな食べものはあんまり沢山ありすぎて、何が一ばん好きなのか自分ながらわからないので、その時すぐ食べたいナと思つたものを順序もなく書いてみた。独活と浜防風を生《なま》のままからし酢みそであへたもの。からすみ、すつぽんの雑炊。白たんぽぽのおひたし。
活字になつてからそれを読み返してみたら、みんな春先にふさはしいたべものなのでちよつと妙な気がした。それを書いたのはまだ十二月の事だつたからである。どうやら私はいつも季節にさきがけたものに食慾を感ずるらしい。一つにはいま現在ないものばかり欲しがるあまのじやくの性質なのであらう。私は常に自分ほど気の長いものはないと思つてゐるのだけれど、もうせんにゐた女中の一人は奥さまほどせつかちなお方は見た事がございませんと云つた。なぜかしらと聞いてみたら、それでも奥さまはお裁縫《しごと》をなさると夜明しで縫ひあげておしまひになるのですもの、私が前に御奉公して居りました家の奥さまは、やりかけたお裁縫を五日も十日もほつたらかして平気でいらつしやいましたといふ返事であつた。あまのじやくはたべものの事ばかりではない。私は眠くない時は二日でも三日でも平気で起きてゐるので、堅いお屋敷から来た女中にはそれがふしぎでならなかつたのであらう。やりかけた裁縫が仕あがるまで、——つまり勝気で起きてゐると解決してやつと得心したらしいのである。
眠くない時いつまでも起きてゐるかはり、その代り眠くなつたら今度はまた三日でも四日でも眠りとほす。最高の記録は一週間で、そのあひだたつた一度水を飲んだきりであつた。それも無理におこされて飲まされたので、その頃私はお医者から見離された病床にあつてそんなに眠つたものだから、いよいよ昏睡状態に陥つたとお医者さままであきらめてしまつた。一週間目に眼が覚めると世界が新しくなつたやうにせいせいして、いきなり田原屋の豚カツが食べたくなつた。いまから八年前の三月の話である。
その日からきつかり一月のあひだ毎日お昼に田原屋の豚カツを食べ、晩に鶏のたたきと蕗のうま煮とを食べた。さうして病気が治つた。自分ながら少少うす気味のわるいやうな身体である。これが白魚の玉子とぢとか、うぐひす菜のおひたし、せめて桜鯛のあらだきとあれば春らしくもあり女らしくもあつて、やさしい情趣も浮ぶかも知れないけれど、病床にゐて一ケ月豚カツを食べつづけましたではグロテスクの見本そのまま浅ましさの限りである。
十数年来殆ど台所へ出た事がないので、主婦の威厳を保つため一年に一度、お正月のごちそうだけは全部自分の手でこしらへる事にしてゐるのだけれど、関西に暮してゐるあひだはそれさへも近所の料理屋にまかせきりで、その方がおいしかつた。
春の山行きのおべん当などでも、ふきの水煮に高野豆腐としひたけゆばの甘煮、さはらのてりやき、いかと筍の木の芽あへが必ず入れてあつて、さらしたやうに白く煮あげた烏賊と、こがね色の筍に青青と木の芽がまぶしてあるのは桃の花の下にひらいて清清とうつくしい。黒ぬりのお重にさういふものをつめてもらつてもう一つのお重には家でこしらへた幕の内とたくあん紅しやうが奈良漬などを持つてゆくのが、いかにも春の行楽にふさはしくてよかつた。東京ではぶらぶらとのんきらしくそんな大げさなお重をさげてゆく気もしないし又中にいれるおいしい木の芽あへもない。関西のやうにちよつと裏の仕出し屋でといふ風に手軽にいかないから万事おつくふになつてしまふのである。木の芽といへばむかしは東京の町なかで、思ひがけない横丁に木の芽田楽と染めぬいた赤い旗の出てゐる事があつた。むきみ屋八百屋歯入れ屋などのならんだ見すぼらしい小路の中で、柔かな風に吹かれてゐる赤い旗をふと見出すと、ああ春になつたと今更のやうに感じたものである。お豆腐屋で木の芽田楽をこしらへ始めたしらせなのであつたが、やすくておいしくて晩酌の相手によかつたし女子供のおかずにもなつた。
あんな大衆的でしやれたたべものはないと思ふのに、もう幾年かさういふ旗を見た事がない。第一豆腐屋さんといふものがみんな何処へ越していつたのか、大へんすくなくなつたやうである。あらゆるものが何何市場の中へかたまつてしまつて、便利ではあるけれど趣きはすくなくなつた。夏の氷屋の硝子のすだれと同じやうに、ああいふのんびりした赤い旗は、春の景物の一つとしていつまでも残しておきたい心地がする。世の中が便利になるのは何よりだけれど、それにつれて新鮮な味覚はだんだん失はれてゆくやうで心細い。
子供のとき自分が神さまになつて四季を支配し、いつでも自分の好きなくだものをたべてみたいと願つた事があつたが、いまぼちぼちとその復讐をされてゐるのかもしれない。むかしは寒中のくだもの屋にたつた一箱、ほんの六粒か七粒宝石のやうにならんだ苺を眺めて、春の息吹きを吸ふやうな胸のときめきを感じたものだけれど、この頃では苺なぞ暮のちまたの慌しさの中につやのないうどん粉のやうな粉さたうをひきかぶつてならんでゐる。デパートの食堂の入口の見本棚の中にさういふ苺を見ると、誰にともなく腹立しい気がしてくるのである。
二十年まへの三月、尾張町のかどのライオンでひき茶と苺と盛りわけにしたアイスクリームを食べて、これこそ春のアイスクリームだと感激した事があつたが、いまはもうアイスクリームも魅力を失つてしまつた。今年の春は白たんぽぽの種子を植ゑて、それがおひたしにできる程ふえるまで、くる年もくる年もぢつと気長に待たうと思つてゐる。
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