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もめん随筆42

时间: 2020-03-31    进入日语论坛
核心提示:柳は風の吹くままに男を横暴と考へた事はただの一度も、無いと書きかけてあつと気がついた。私は大変な嘘言をつくところであつた
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柳は風の吹くままに

男を横暴と考へた事はただの一度も、——無いと書きかけてあつと気がついた。私は大変な嘘言をつくところであつた。若き廿歳《はたち》の昔、この世の中で男程身勝手な憎むべき存在はないと思ひ暮してゐた事をすつかり忘れてしまつたのである。
さてその廿歳の頃、男は専横極まりなきものと思ひ暮しながら、ふとしたもののはずみから私はふらふらとその憎むべき相手と結婚してしまつた。爾来二十年いまではこの世の中に男程親切な優しい人種はないと思つてゐる。従つて男にどんな不平があるかとたづねられても、咄嗟には何事も思ひ浮んでは来ないのである。女同志のつきあひがちやうど場ちがひのするめをたべるやうに、噛めば噛む程筋が残つてくるのに引かへて、男の友人は西洋のお酒のやうに、月日がたてばたつ程まつたりとした味の出てくるものである事を二十年の歳月が私に教へてくれた。
振返つて二十年の人生航路に、波風がたたなかつたとは云ひ難い。およそ人の細君でその夫から一度も打たれた事がないといふ女は稀であらう。私もその例にもれず、物差しで打たれたあとは、火箸で打たれたあとは、平手で打たれたあとはと、その傷の色が紫から緑色にやがて黄色となつて消えてしまふまで、それぞれ幾日間かかるといふ事を身に沁みて体験した。ある時なぞは左の眼の中に日の丸のあざが出来て、瞼が累のやうに腫れあがり、一ト月あまりも眼帯をかけて不自由なおもひをしたがこれはまだまだよい方であつて、ある奥さんは耳を打たれたために中耳炎を起して聾となり、ある奥さんは旦那さんに咬みつかれた傷から黴菌がはいつて大切な右の手を切断してしまつたし、又ある奥さんは外国土産の病気のために一年有余も病床に呻吟して、やうやく起き上つた時には片足が短かくなつてしまつてゐた。つまり跛になつたのである。だがこれ等の事に関しては最早や男を責める必要はないのであつて、女軍が鼓を鳴らして詰めよる以前に男自身充分に己れの非を悔いてゐるにちがひないのである。打たれた女はその瞬間から凡ての責任を相手に転嫁してしまへるけれども、打つた男の方は永久に自分一人でその責任を負はなければならないのであるから、まことにお気の毒な次第である。男を自分よりも一段と偉いものに思へば不平も不満もきりがないが、理窟に負けた時は腕力ででも勝たうとする男は結局大きな駄駄つ子に過ぎないとわかつて見れば、腹のたつ事は何もなくなつてしまふのである。
若い従兄が結婚して夫婦仲も睦じいときいて、私は姑になつた叔母さんに会つてお慶びを述べた。お嫁さんは千万長者のお嬢さんで、そして美人で、叔母さんにも大そう気に入つてゐた。
「うちの嫁はんはなあ、そら繁ちやんを可愛がりまつせ。朝起きて顔洗ふ時かて嫁はんがいつでもちやんと傍についてて、楊子に歯みがきまでつけてわたしてやりますねん。着物も着せたるし帯も結んであげるし、……」
叔母さんはにこにこしながらさう云つた。私はもう一度お慶びを云つて引退つたが家へ帰つてきて考へると何となく変である。叔母さんの言葉の何処かが間違つてゐるやうに思はれてくるのである。——うちの嫁はんはなあ、そら繁ちやんを可愛がりまつせと口の中で幾へんか繰返してゐるうちに私ははつと気がついた。さういふ場合世間では、嫁さんが旦那さんを可愛がるとは云ひはしない、よく仕へるといふのが一般の挨拶なのを、ひとりでに可愛がるといふ言葉を使つた叔母さんの卓見に私は感じ入つたのであつた。まつたく世の中の男といふ男は、細君に奉仕されてゐるつもりでその実ころころと細君の手の中にまるめこまれてゐるのである。しかも、俺は女の影響なぞ断然受けた事がないとそり返つてゐる男程この傾向は著しいので、亭主がいくらそり返つてゐようとも細君の方は頓着なく、あらあなたお羽織の衿が折れてゐませんわ、あらあなたお帽子がまがつてをりますよ、あらあなたお頭の毛がうすくなりましたのね、あらあなたそんなに考へ事をなすつてはお身体に毒ですわ、あらあなた女はみんなそんなものですわ、あらあなた世の中はみんなそんなものですわと何時か自分の意見を通さないではおかないのである。一国の大臣といへども連れ添ふ細君によつては、パパとなつたりお父さんになつたりするといふ噂もある位で、なべての男たるもの自分の妻の影響についてはくれぐれも心すべきである。
一体男の人たちは、日頃は女子と小人は養ひ難しなどと大変悟つたやうな口をきくくせに、一向女といふものの正体がわかつてゐないらしいのはふしぎである。ある時、某新聞社の運動部に勤めてゐる人と一緒に踊のおさらひを見に行つて、帰りがけに寄つた酒場でその人が云つた。
「奥さん、僕に女房を世話して下さい。ああいふ踊のうまいお嬢さんをひとりぜひ、……」
「踊がうまくなくてはいけませんか」
「ええ。何なら長唄位でも辛抱しますが、しかし両方出来るのだつたらこの上なしです」
「それならお嬢さんなぞよりあのひとがいいぢやありませんか」
当時その人には新橋に深い馴染の女があつて、器量なり気質なり一二度顔を合せた私にも申分なく思はれた。踊がうまいときいてゐたので私は笑ひ出しながら
「どうぞ御遠慮なくあの方をお貰ひなさいまし、お仲人役は喜んでつとめさせて頂きますから」といふとその人はあわてて「いやあれはいけませんよ、あれは駄目ですよ」
「なぜ」
「なぜつてあれは芸者ぢやありませんか」
芸者ではなぜいけないのですと訊くと、勤めをした女は裏道を、——たとへば昼遊びなどといふ事でもよく知つてゐるから欺しにくい、其点素人のお嬢さんはおつとりとしてゐて扱ひいいにちがひないからといふ返事であつた。素人も玄人も女のやきもちに変りのあらう筈はなく、知らないだけにかへつて、お嬢さんの方が揣摩臆測を逞しくして、どんな弁解も甲斐なきものであるかもしれぬとはその人は心附かないのである。欺しにくい事は素人も玄人も優り劣りはないのであるのに、素人ならばと思ふところに男の迂濶さがあるのである。私は世の中の男の悉くが酒を飲み女を買ひ、さうしてもつとうまく女を欺すやうになつて欲しいと思ふのである。柳は風の吹くままに、うまく欺されて暮したならば楽しからうと思ふのである。
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