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もめん随筆53

时间: 2020-03-31    进入日语论坛
核心提示:姉と妹との縺れを評して兄弟は他人の初まり。子供の折さういふ言葉を耳にして何ともいへぬ驚きに打たれた記憶はいまもなほ鮮かに
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姉と妹との縺れを評して

兄弟は他人の初まり。
子供の折さういふ言葉を耳にして何ともいへぬ驚きに打たれた記憶はいまもなほ鮮かに残つてをります。それは実にいひ様なく冷酷無情な感じでちひさな魂を脅かしたのでありましたが、成人するにつれてその言葉も又一面の真理である事を知るとともに、女ばかり三人姉妹のまん中に生れました私はもう一層激しい言葉を心の底に思ふやうになつたのであります。「姉妹は敵の初まり」
人間生きるための争ひの浅間しさは親兄弟の間柄といへども遠慮会釈もなくその爪をとぎたてずにはおかないものですが、それにしても男の兄弟の場合にはやがて各自家を出て社会の一員として独立する将来が約束されてあるためにその競争心もどこか明るく、いくら反目してもせいぜい他人の薄情さであつさりと片づいてゆくのに反して、女姉妹の場合にはそれが何処までも家庭のうちに内訌し自分の心に内訌して救はれ難い恨みをさへふくむやうになるのは女の境遇上止むを得ぬ事とは申しながら顧みてそぞろ肌寒い感じを抱かずにはゐられませぬ。漱石先生のたしか「行人」であつたと思ひますがその中の学者の妻直子が義弟に向つて述懐するのに「私なんか植木鉢みたいなものよ、何処へ行きたいと思つたつて自分では動く事が出来ないんですもの、ただぢつとして人の運んでくれるのを待つてゐるだけ」言葉はちがふかもしれませんがたしかかういふ意味で、いかにも女といふものの今迄の境遇をはつきり云ひ表はしてゐると思ふのですが、現在とてもそれはあまり変りがなく、娘が自分でそとへ出かけて自分の配偶者を見つけるといふのはなかなかの至難事です故、さういふ家庭に一人の好もしい青年がはいつてきた時、いま迄仲よく睦みあつてゐた姉妹の身内にたちまち女の本能の血がたぎつて百年の敵となるといふ悲劇は方方でくり返されてゐる事だらうと思ひます。
それにつけても姉と妹の問題はひとり当事者だけの問題ではなく、必然に父母と娘の、——つまり母子の問題となり、同時に又それは女と社会との重要な問題にもなると思ひます。二人以上の女の子を持つた親達は、ちひさい時からその子供等をどういふ風に導けばよいであらうか、その両親の心がまへ一つで娘達の生涯は暗くもなり明るくもなるといふ事実は、世の親達のよくよく噛みしめておくべき事ではなからうかと思ひます。
私は北海道の札幌で生れましたが町にただ一つの庁立高等女学校は又全道に唯一つのものであつたのでせうか、あるひは函館にはあつたかも知れませんがとに角首都の事ではあり地理上の関係もあつて全道の小さな才媛がその学校を目指して集り、従つて高等二年、いまの尋常六年ですがその高等二年からなぞ入学出来る子は極く極く限られてゐましてその名誉はいはば帝展へ初出品の初入選といつたくらゐのものでした。私共の御近所に落葉松の垣根でかこまれた広いお邸がありまして明るい芝生の向うの洋館の中にお伽噺の国に住むやうに双生児の御姉妹が住んでおいででした。お揃ひの洋傘でも靴でもすべて東京からぢかに取りよせたものばかりで、御姉妹が町を歩いたあとは花をふりこぼしたやうによい匂ひがしたものですが、その御姉妹にもやがて女学校へ上る日がきて揃つて試験を受けた結果、妹さんの方が見事に合格してお姉さんが落ちてしまはれたのです。姉といひ妹といつてももともと双生児のおなじ資格と思ふのですがそれだけに又余計複雑な問題があつたのかも知れません。そこのお宅ではお妹さんのそれ程の栄冠を無雑作に捨てさせて、お姉さんと一しよにもう一年高等小学校へ通はせました。
さて翌くる年あらためて受けた結果は惨酷にも今度はお姉さんだけが合格したのです。ちやうど幸にその年小樽にも庁立女学校ができましたので妹さんはそちらを受けて合格し、さういふ大家のお嬢さんが一年間小樽の他人の家へ寄宿して、その次ぎの年やうやく札幌へ転校して来られたのでしたが、この事件は私の子供ごころに深くしみついて、人様の親ながらその親御さんの取られた方法を非難せずにはゐられない気もちでした。あるひは家庭の中には何か人に知れぬ事情があつたのかも知れない、だが表面へ表はれた事実だけではその妹さんをお気の毒に思はずにはゐられないと共にそのお姉さんの方も又他人からいかにも自分ひとり得をしてゐるといふ眼で見られてゐる事がお気の毒に思はれたのです。多分その親御さんは女姉妹の繊細な感情の動きを気づかふのあまりさういふ方法を取られたのでせうが、これがもし男の子であつた場合、難かしい試験に兄が落第したからと云つて折角合格した弟まで止めさせてしまふ親があるでせうか。それを思へば女と生れた身の消し難い一抹の哀愁をおぼえさせられます。
いづれ劣らぬかきつばた。御姉妹は美しく成人されてそれぞれ幸福な家庭にはいられたと聞きましたが、時時思ひ出してはあの子供の時のお二人の心もちをきいてみたいやうな気がします。あの御家庭にはなかつたかも知れませんが、世間には往往子供に対する親の愛情に偏頗があつて、さういふ事も女姉妹の場合には非常に強くひびくやうに思はれます。殊に母親は自分も女であるせゐか、姉ばかり大切にしたり妹ばかり可愛がつたり、とかく愛情にムラがあるやうで、さういふ愛情の支持を受けてゐる姉なり妹なりの方が家の中で幅をきかす事は云ふまでもありません。その事実のはつきりと感ぜられますのは野崎雅子さんの場合で、お父さんのないあと家をせおつて起つた雅子さんに対して、お母さんは絶対の信頼を感じながらも何となく煙たいやうな心地があつて、自然甘えつ子のお妹さんの方を気楽に思はれるやうなところがおありなのだらうと察しられます。野崎さんがお妹さんを一人前にしようと骨折られた気もちはよくわかりますが野崎さんの重大な過失はあまりにそれに囚はれすぎて御自分の婚期を逸したことで、又お母さんもなぜもつと早く野崎さんの結婚を考へてあげられなかつたのか、妹さんの婚期が迫つてきてからでは遅すぎます、今朝咲いた花は昨日の花より美しい、その新鮮な花と競ふためにはお姉さんの方に人並すぐれた美貌がなくてはならない、いやいや美貌といへども若さの前には膝を折らねばならぬ場合があります。私はもう一度お母さんになぜもつと早くとくり返し度く思ひますが、しかしその責任の一半は野崎さん自身にもあると思ひます。つまり野崎さんは初めから一人前であつた、しつかり者であつた。それで周囲の者は野崎さんに手頼る事ばかり考へ、手頼らせる事を忘れてしまつたのです。お妹さんを愛したその佐々木氏にしても。
野崎さんと正反対の対照は永井喜代子さんで、野崎さんのしつかりした生活力の強みが思ひがけない弱みとなつたのにひきかへ、永井さんの不具といふ弱みは何人も抗する事の出来ない強味であります。加ふるに永井さんには慈愛深い父君があり、永井さん自身の透徹した忍耐力があつて、実に恵まれた人の一人だと思ひます。残念なのは永井さんがつつましやかな姉の心からせつかくの縁談を妹さんにゆづらうとなされた事で、自分に与へられた幸福は誰に遠慮もなくまつすぐに自分で受くべきであつた。永井さんの親切は妹さんを幸福にしなかつたばかりではなく、妹さんの不幸な性格を一層不幸にした事を惜しいと思ひます。永井さんは自分の幸福を妹さんにかきまはされた感じが強いでせうが、負けたのは妹さんであつて永井さんは初めから終りまで終始動かぬ勝利者です、いづれ又必ずよい御縁があるにちがひないと思はれます。
義弟といふものの物珍しさからつい浮浮した気もちになつたばかりに妹さんの縁談の破れた自責を感ずるみち子さん、病気のお姉さんと義兄との間にあつて、ふと男と女との微妙な気もちの動きを見た驚きに人間の心の醜さを悲しむ吹上さん、どちらもその清らかな心もちに女のよさの溢れてゐるのを感じますが、更に容貌の美醜以外何事も考へられぬ変態のお姉さんに仕へて辛抱したK子さんは自分が美しくて誰からも愛されるといふ強味のために耐へられもしたのでせうが、しかし世間一般にはさういふ場合美しい妹さんの方が孔雀のやうに羽根をひろげるもので、自分の美しさを内に潜める事の出来たK子さんはやはり恵まれた一人と申すべきでせう。これ等の方方の書かれましたものを拝見して何より心を打たれましたのはどのお方も実にけがれのない魂でまつすぐに物を見つめ、この切ない姉妹間の愛憎の波に身を投げ出して苦しまれたといふ事実です。さうしてこの方方を通じてそのかげに云はねども幾千幾万の若い女の人たちのかやうな姉妹間の心のゆらぎに悩んでをられる姿を手に取るやうに見受けられる心地がしましてここにも往きつ戻りつする女の問題が一つあることをしみじみ思ひました。私ども廿年のむかし愛情や金銭の問題に直面しまして姉妹の執拗な妬心を知りました際、いづれはこのやうな醜い争ひも女自身にしつかりした生活力がつくに従つて消えるであらう、さうしてさういふ時代は十年を出ずして来るであらうと思ひましたにもかかはりませず、今日依然として昔日の自分とおなじやうな悩みの中にある若い人人の心持を知りますと、すべての女が自活力を把握するといふ事のいかに前途遼遠であるかを思ひ、自活力のない姉や妹のために自活力を持つてゐる者の方が苦しむ日のいつまでつづくかを思ひ、又一方に濃まやかな愛情を持つて生れたために一層苦しまねばならぬ女自身の宿命といつたやうなものの哀れさが身にしみます。人間は誰しも親しかつた者程お互ひに反目しあつた時、相手を深く傷附けるものですが、日夜一つの家に起き伏した姉妹の間にさういふ問題が起つた場合その反撥は取りわけてすさまじくお互ひに結婚してからのちのちまでも、あるひは一生涯憎みあつて過ごすといふ事実もすくなくはありません。久米正雄先生の「紅頬褪する時」でしたか、あれに書かれた姉妹の妹は遂に姉を自殺させ、菊池寛先生の「貞操問答」に現はれた三人の姉妹もめいめい愛情は持ちながら一面は憎みあつて暮してゐる心情、怖しいまでにはつきりと掴み出されて面をそむけたいやうでしたが、それなれば女の姉妹は何処に自分の救ひをもとめればよいか、私考へますに何よりもまづ自分自身をつつぱなす、血と血のつながりといふ事をつつぱなして、姉をもあかの他人と思ひ妹をもあかの他人と観ずる事によつてかすかながらも一すぢの道が拓けるのではないかと思ひます。
男の兄弟は子供の時から他人の初まりと覚悟がさだまりそれ故どんな醜悪な事実に打突かつても取り乱すといふ事がない、これに反して女の姉妹は姉といひ妹といふ感情にあまりにも深く囚はれすぎてゐるところから、些細の事にもすぐ姉でありながら妹でありながらと咎めだてする気もちが多く、果てはそれ程の事でなくても非常に裏切られたやうな感情を持つ事になるのではないかと思はれます。
お互ひに他人と思へばどんな醜い感情を晒け出しあつたところで平気で相手をさげすむ事も出来るし嘲笑ふ事も出来ます。この平気で相手をさげすむといふ気もち、これは一見非常によくない事のやうですが、これだけの余裕を持つてさてあらためて姉なり妹なりに対した場合、そこから自然にわき出してくる愛情はもう動かす事の出来ないもので、さういふ愛情によつて結ばれた姉と妹の間柄こそ何ものにもまして美しいものではないかと思ひます。
意あつて文足らず何やら舌のもつれたやうな心もちにて思ふところをつくしませんが、とにかく女の姉妹は、他人の初まりと観ずる事によつて一歩前へふみ出し、自分の自活能力に関心を持つ事によつて更に一歩進まれたいと念じて筆を擱きます。
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