思ひ切つて自分の恥を記さうとおもひます。もともと何によらず、書くといふ事それ自体がひとつひとつの恥をさらしてゆく事だと云へば云へなくもないのですから、今更らあらためてためらふ訳もない筈ですけれど、それでもやはり二十年の若き昔、自分があはれな自殺未遂者の一人であつたといふ事実は、いまなほ顔をそむけてゐたい思ひ出であり、かつは今迄一度もそれにふれる事がなくて過ぎてきましたのも、痛い傷にはできるだけさはるまいとする自分の弱さの一つなのでありませう。だがとにも角にもただ一すぢの道を死に於て見出し、まつしぐらにそれへ走つた者が、思ひがけなく生きて明日の太陽を見た時の心もち、——そのたとへやうもない虚しさはおなじ断層へ飛びこんだ人人のみが知るところのものであるかもしれませぬ。衆人環視の中に裸身のままひき出されてさんざんに打ち叩かれ、一切の感覚も思考力も失つてしまつたやうな、そのくせ羞恥ばかりは髪の毛のさきまでしみついてしまつたやうなその後の日日は、いま思ひ出してよく気がちがはずに過ぎた事だとそれがふしぎに感ぜられる程みじめなものでありました。
それにしてもなぜ自分は死なうと思つたのであらうか。ささやかながら生活の苦労は知らず、親もあり許嫁の人もあり、よき友よき師にかこまれて不足どころか恵まれすぎた境遇にありながら、突然死をえらんだ事は周囲の人人にとつて思はぬ驚愕であると同時に解きがたい謎でもあつたらしく、いくら考へても原因の見当らぬところから、つまりは若い女の気まぐれに過ぎぬとせられ、遂ひにはアブノーマルといふレツテルをはられて終りました。
人には申しませんが自分一人の胸のうちには、かずかず原因がかさなつてをりました事故、気まぐれの非常識のといふ非難にはおさへがたい憤りを抱かずにはゐられませんでしたが、しかし二十年後の今日つくづく思ひ返してみますと、やはり自分はある意味で非常識であつたと痛感されてまゐります。当時重大な原因とおもつたさまざまの事柄、それはいづれも枝葉末節にすぎなくて根本の原因はただ一つ、自分はそのやうに周囲の人人から愛されながら、しかし自分では人を愛する事を知らなかつた、敢て人のみではありませぬ、天地万物を真に愛するといふ事を知らなかつたため、遂ひには己れを生きて甲斐なきものと思ひこんでしまつたのであります。まことに愛こそは人間生活の源泉であり、しかも人はただ愛されるばかりでは生きられませぬ。愛する事を知つてはじめてほんたうに生活の正しい眼がひらかれるのではないかと存じます。これは実に平凡な真理で今更ら取りたてて申すまでもなくだれでもが承知のこと、古めかしいことを云ふと笑はれるかもしれませんが、ともあれ人間はとかく平凡な真理ほど忘れやすく、知りすぎる程知つてゐるといふ安心から、いつのまにやらそれを日常茶飯事のあひだに見失つてしまひ、そのくせ自分ではまちがひなくわかつてゐるとおもひこんで、気にもとめないやうな事が往往あり勝ちではないかとおもひます。私ども果していま現在、愛情に対する正しい認識をしつかりと握つてゐるでせうか。あなたはほんたうに己れを愛し人を愛することを御存じですかと問はれて、はいと即座に何の躊躇もなく確信をもつて答へ得る用意がまちがひなく出来てをりませうか。この頃の世情のさわがしさ。耳をおほひ顔をそむけたいやうな事柄がつぎからつぎへと捲きおこつて、暗雲空をおほふの感じ深きものがありますにつけてもいま一度、この愛情の問題をさまざまな面から考へてみたいと切実におもひます。
いふまでもなく当時は私にしましても、自分が愛情を知らぬなどとは夢にも思つてみたことがなかつた。自分は花を愛し犬を愛し人形を愛し、乞食にあつた夕べは御飯がのどをとほらぬ程、隣人愛に於ても欠けるところがないと自負し、自分を愛してくださる方方へは己れも亦おなじ愛情でむくいてゐるとのみ思ひました。だがふしぎな事にはいつからともなく私は周囲からそそがれる愛情に耐へがたい重荷を感ずるやうになり、そのままおなじ状態がつづけばいまにその愛情の重圧におされて息がとまつてしまひさうな焦躁感をさへ抱くやうになつたのでした。もちろんそれはよく云へば素直な、正しく批判すれば個性のない水のやうな自分の性格に起因する事でしたが、ちやうどイソツプ物語の中の驢馬を売りにゆく老人のやうに、徒らに人のいふ事ばかりききすぎて、四角な器にいれられれば四角なりに、三角なれば三角に丸ければ丸くそのまま器のなりに納まつてゐるため、相手の人も亦めいめいに、自分の好みに添うて私を育てようとしたのでありませう。私自身どのやうな花を咲かせる種子であるかを見とほす事なく、ある人は紅い花をよいとし、ある人は白い花を望み、ある人は紫の花を見ようとしてつねに親切な忠言を与へてくれたのですが、こちらは身一つで赤にも紫にも白にも咲けるわけがなく、どれか一つをえらばねばならぬとしても自分の本質はいづれにあるか、あの道もあぶないこの道も下品と、あまりにいましめられた結果は到頭自分のゆくべき本道がわからなくなつてしまつたのでした。誰もそれを悪意でしたのではない、皆が皆好意を持つて導かうとしてくれたのですが、そのせつかくの好意も私といふもののほんたうの素質を見ぬいての上ではなく、極言すればめいめいが魂のない人形を愛翫するやうな自己満足な愛情であつたため、私にとつては好意が逆に作用し、遂ひには死の究極にまで追ひつめられるやうな事にもなつたのですが、かやうな親切はなるほど一応は親切にちがひないやうなものの、果して真実の親切であるか否か、愛情は人を育てるべきものでこそあれ断じて殺すべきものではありませぬ。さればこれ等の忠言はすべて親切らしく見えながらその実よけいな「おせつかい」に過ぎなかつたと断言しても決して誤りではないでありませう。古往今来世の中にはいかにこの愛情の仮面をかぶつた「おせつかい」が大手をふつて横行濶歩してゐる事か。さうして又いかに多くの青年子女がその「おせつかい」の愛情になやまされ、すくすくと伸びゆく若芽を摘みとられふみにじられてしまふか。殊にこの誤まれる愛情は一番よく子供を知つてゐなければならぬ筈の母親に於て一番多く見出されるといふ事実、これは女であるわれわれのよくよく考へねばならぬ問題ではなからうかと思ひます。
あるひは世のお母さまがたは云はれるでありませう、私どもはそのやうなわからずやではないと。私たちは若い娘の頃、封建時代の遺風からぬけ出すためになみなみならぬ苦労をかさねてきた、犠牲も払つた、だからいま自分の子供に対して充分の理解を持つてゐるつもりであると。それはまつたくその通りにちがひありませぬ。だが日進月歩、時代はつねに休みなく動きつつあります。昨日のものさしをもつてしては今日の何ものをも計ることは出来ない。私ども果して今日の新しい世代をはかる正しいものさしを持つてゐるでせうか。わが子とともにいつも新しい時代の息吹きを吸ひとり、それに対する批判の眼をはつきりと見ひらいてゐるでせうか。母の愛情も亦時代とともにつねに新しく教育されねばなりませぬ。
あるひは又云はれるでありませう。女には母性愛といふ尊いものがある。それはあらゆる時とところを超えた絶対のものである以上、母の子に対する愛にまちがひのあるべき筈はないと。ああ母性愛! これこそはまことに曲者の中の曲者、仮面の中の仮面でなくて何でありませうぞ。敢て奇言を弄し人を驚かせるのではありませぬ、われ人ともにむかしからいかに母性愛の美名に眼をくらまされ、正しい批判を失つて幾多の悲劇を惹起したか、而していまもなほおなじ悲劇をくり返しつつあるか。いまこそこの仮面をひきむいて美名の下にかくされた本体を見極めるべきではないかと思はれる、一般に無雑作に信じられてゐる母性愛といふものが、果して純粋無垢のものであるかどうか、子に対して何等の報酬をも予期しない犠牲的精神にのみ終始するものであるかどうか考へてみたいと思ひます。いやそれよりもさきにまづ、母は何かの危険に際し身をもつて子をかばふと云はれてゐる本能愛についても一応注意を払つてみたいと思ひます。といふのは私どもデパートの特売場においてあまりにしばしば母親をもとめて泣き叫ぶ迷子に出会ひ、添寝の乳房で子供を圧死した母親の新聞記事を、いつまでも読まされるからであります。
最近の事ですが自動車に乗り中野昭和通りのせまい路を通つてをりましたところ、むかうから母親の手にひかれてきた三つぐらゐの小さな女の子が、どうしたはずみか突然母親の手を離れてちよこちよこと自動車の前へ駈け出し、あつと私は思はず腰を浮かせて、あぶないツと叫んだ刹那、自動車はぐぐつととまつて今度は私があぶなく胸を打つところでしたが、それで母親はと見るとこれ程の大事をも知らずに、そこの雑貨店のかざり窓を一心にのぞいてゐるのでした。あるひは夫のため子供のための何かを物色してゐたのかも知れませんが、それにしても自動車のくるのは見てゐた筈。このせまい通りで子供の手を離すとは何事ぞと、まあお母さんがついてゐながらどうしたのでせうと安堵のといきと共にもらした一ト言へ運転手はすぐ応じて、まつたく女ほどひどいものはありませんよ、いまのなんざまだいい方で、曲り角で不意に出あつた時なんかせつかくいままでひいてきた手を離して自分だけ逃げちまふのがありますからね。電車に轢かれたのなぞでもよくきくと大がいさうですね。それでいざ死なれてみると今度は気ちがひみたいに泣きわめくんだからいい気なもんですよ。落度はみんな轢いた方にあるやうな事になつてしまつてね。
この運転手は最早や四十すぎのいろいろの世の中を経てきた人間らしく、かうやつて毎日危ない車を運転してゐるものには女の無責任が実によくわかるといふのです。子供に対する愛情が女親の方がすぐれてゐるなどとはまるまる嘘の皮である、その証拠には試みに子供を連れて町を歩かして見るがよい。男親はかならず危険のない軒下の方を子供に歩かせて自分はしよつちゆう往来の方に気を配つてゐるけれど、女親ときたらどれもこれも例外なく自分が軒下の方を歩いて、かざり窓に見惚れてはつい手を離したりするものだからどうしても事故が起りやすい、「第一最初の心掛けからしてちがふんですからね、女なんかには安心して子供をまかせておけませんよ」
女であるところの私はこの運転手の体験から出た直言には返す言葉もなく、ただ苦笑をもつて聞き流すのみでしたが、この日の出来事は自分が眼のあたり見た事だけに深く身にしみわたるものがあつて、本能愛のいかに頼むべからざるものであるかをしみじみと感じさせられた次第でした。世間一般に本能愛即母性愛と見る向きが多く、それはどんな無智な女にもあるものとされてゐるやうですが、私の見た童女と母親の場合、又運転手が始終見馴れてゐる母親風景はいづれも明らかに彼女等の無智から来たものである事がうなづかれます。ここで私の申します無智、これは無教育の事ではありませぬ。教育ある母親のあひだにもかやうな無智は存在し、教育なき母親のあひだにも純粋の母の愛情を持つた人が多くあります。さき頃世上をさわがせた保険金搾取の母親などは、教育ある無智な母親の代表者とでも云ふべきでせうか。あの事件の発表されました折、あり得べからざる事と世人は色を失ひましたが、その驚きは今迄あまりに母性愛といふものを過信してゐたせゐでありませう。自から手は下さずとも下したと同様、誤まれる愛情からわが子を死地へおとしいれる母親のどんなに多いかを忘れてはならぬと思ひます。母親の偏愛が一家の中にかもし出す空気、ひいては社会におよぼす影響。私なども母親には気に入らぬ娘の一人で姉が十九で病死しました際、ああよい子は死んでわるい子が残つた、お前が姉さんの代りに死ねばよかつたのにと母から云はれました一言が、うら若い少女の胸にはどれ程つらく切なく応へましたことか。もちろん最愛の娘を失つて取り乱した際の言葉とはわかつてをりましても、その後ながく夢の中でいつも母からのどを締められ、又は刃物を持つて追はれる悪夢にうなされる事多く、おしまひには夢と現実との区別がはつきりしかねて、母の顔をまともに見られないやうな時代さへありました。
父は勉強せよと云ひ母は勉強など女には無益のわざであると云ふ。一家のうちにすでにこの意見の相違がありますのに、そとへ出れば又世人は待ちかまへて、ああでもないかうでもないと引き廻さうとする煩はしさ。たまたま自分の力で得た金をすら自分の思ひ通りには使へないやうなことさへあつて、世間といふもののうるささから逃れようとあせつた結果、たしかデカルトの言葉でしたらうか、「我れおもふ、故に我れあり」それを鵜のみにして穿きちがへ、我れあり故に太陽ありとそのあとへつづけて考へ、自分が眼をとぢれば太陽も滅し世界もなくなると、一図に死の道をえらんだ訳でしたが、さて偶然にも生命たすかつてあたりを見廻した際、第一にあたまへきましたのは、自分が死んでも太陽はあるといふ一事でした。まことに幼稚な書くもお恥しい考への混乱ですが、その時は実際にさう感じ、さうしてそれが又非常に新しい発見のやうに思はれもしたのです。そればかりではなく、万一私が生きかへらなかつた場合には、私の主治医であつた女医と看護婦とは自殺してお詫びをする覚悟であつたときかされて、はつと一時に心眼がひらけたやうに、自分の身は決して自分一人のものではなく、まちがひなく社会の一員である事を痛感したのでした。無責任な自分の行動があやふく二人の人を殺さうとしてゐたのかと気づいた時には、真実脊すぢがぞつとする寒気を催し、その二人の人が自決したあとのその家庭の方方へおよぼす波紋を思ひやると、それからそれへ唐草のやうにつながつた社会図がはつきりと浮みあがつてきて、生命とはそのやうに大切に守られてあるものかと思ひ、わがものにしてわがものにあらず、自分も亦責任をもつてわが生命を守つてゆかねばならぬと思つたのでありました。
わがものにしてわがものにあらず。この考へは又そのままに母親のわが子に対する愛情にうつし植ゑてまちがひはないとおもひます。むかし私の知つてをりましたある髪結さん、もちろん教育などある筈もなく、バケツをパキツだの西瓜をらつかだの感冒かぜがはやるのと勝手な言葉をこしらへて使ふ人でしたが、大切な一人息子が中学を卒業してアメリカへ行きたいと云ひ出した時「ふン、男の子だもの、やりたいだけの事をやつてみるサ」と何のみれんもなく、つましい暮しの中から貯めた貯金全部をひきおろし、それを持たせてさつさとアメリカへやつてしまつたのです。他人の方がかへつて心配して、さびしいでせうと慰めるのに、ごらんのとほり貧乏でろくな事もしてやれなかつたが、それでもまあ私どもの身分で中学だけは卒業させたのだから、これで幾分か親の役目も果したといふものさ、あとはあの子の考へ次第、腕一本で出世をしようと乞食にならうと、それとも亦碧い眼の嫁さんを連れて帰つて来ようと好きなやうにしたらいい。私はあの子の厄介にならうとは思つてゐないのだから。なんの子供を育てるのは親の役目さ。それが天道様への御奉公さ、息子は息子で又自分の子供を育てなければならないのだもの、親までしよひこんでたまるものかね。さう云つて煙草をくゆらす横顔にさすがに一抹のさびしさの漂ふのは見逃されませんでしたが、それにしてもよくもそこまで考へ到つたもの。育てられた恩返しに子は親に孝養をつくすべきものといふ考へがまだ一般の常識とされてゐた時代にこれだけの事を云つたのですからこの髪結さんなどはあるひはかくれたる新しき女の先駆者かもしれませぬ。それはさておきこのごろ仕事を持つた御婦人がたのあひだに、女は経済上の独立は出来ても精神上の独立は出来ないのではないかといふ事が問題とされてゐるやうですけれど、この髪結さんはそれをも三十年の昔に解決してゐる、もちろん感情の粗さもありませうが、この人はつね平生から夫や子供にたよらうとする考へはみぢんもなく、まつたく精神的にも独立して「天道様へ御奉公」といふ信念に安心立命を見出してゐたらしいのです。しかもこの人は夫にも子供にも実に細かく気がとどいて、留守の戸棚にはいつあけてみても何かうまいものが入れてあり、子供の着物はいつも小ざつぱりと糊がついてをりました。実にいそがしいからだで、とても自分では手を下してやつてゐられないのですが、人手ながらもいつもむらなくさういふ風に気を配つてゐる点、世の大方の母親の学ぶべきところすくなくはないと思はれます。
この髪結さんの息子は後年出世をしてアメリカから帰つてまゐりましたが、世界中で自分の母親ほどありがたい母親はないと云つてゐるのをききました。母がすこしも私慾のない純粋の愛情で愛したればこそ、子供の方でもまつすぐに愛する事を知つたのでありませう。この場合、愛するといふ言葉は生きると書きなほしておなじ事ですが、わが子をほんたうに愛するためには、わが子を正しく生かすためには母親は何よりもさきに自分自身精神的に独立する事、それが一ばん肝要なのではないかと思はれます。敢て子に対する道ばかりではありませぬ。夫に対してもそれは同様であつて、細君が精神的に独立してゐるとゐないとでは家庭の色彩といふものがまるでちがつてくる、私は以前からときどきふしぎに思つたのですが、女の経済上の独立といふ事は非常にやかましく云はれながら、精神上の独立といふ言葉を殆どきかないのはなぜであらう。あるひは私ども子供の時代にさういふ事が高称されてゐたけれども、何ぶんにもこれは眼に見えぬ心の中だけの問題であるところからツイごまかされやすく、いつのまにか皆がそれを家庭生活のあひだに取り落して忘れてしまつたのではないであらうか。もつとも経済上の独立のないものに真の精神上の独立もあり得ないといふ見地から、まづ経済問題の方がやかましく取りあげられたのかもしれないと思ひますが、さて女の経済上の能力がみとめられました今日となつては、同時に精神上の独立をも獲得する事が母として妻として正しい生き方であらうと思はれます、独立といつても何も一家の中で肘を張つて旦那さんと席を争ふのではありませぬ。むしろその反対に、家庭生活を滑らかにするため愛情の油をそそぐのであつてその油をまちがひなくそそぐためには精神上の独立が必要だといふ事になつてくるのであります。つづめて申せば女はもつと聰明になればよいので、聰明から出発してゐない愛情に純粋なもののあるべき道理がありませぬ。女ほど愛情のまん中に暮しながら愛情のわからないものはないと云はれ、女は悧口である、だが聰明ではないと云はれる事について、私ども自から省みるべき点がいろいろありはしないかと思はれるので御座います。
さき頃ちよつとききました話に、若い御夫婦の方で二人とも職業を持つてゐる家庭なさうですが、毎日の実に些細な事で女の方がなやんだあげく、いつそ別れようかそれとも自分の方が職業を捨てようかと思つてゐるといふ事をききましたが、その衝突の原因といふのが、旦那さんが実に鷹揚に奥さんを使ひたてる。自分は長火鉢の前に腰をすゑたきりで、オイ新聞とつてきてくれ、煙草もつてきてくれ、お茶をくれといふ調子で、奥さんがまたおとなしくハイハイと運んでゐるのださうですが、疲れてゐる時にはつい腹のたつ事もあつて思はず、あたしだつて働いてるんですよと口走ると、働いてるのがどうしたといふやうな事から喧嘩がおきるのださうですが、私はそれをききながら悧口ではあるが聰明でないといふ言葉をおもひ出して何かヒヤリとした気もちがしたのでした。女がそとに出て一人前の職業婦人でありながら、家へ帰つてはやはり昔ながらのやさしい妻のつとめを果さうとする。それは一応うるはしい愛情のやうに見えながら実はこれ程おろかな生活態度はないので、それでは女の方が疲れてゐる上にも疲れて二重の負担を負ふ事になり、果てはヒステリツクに、あたしも働いてるんですよと云はでもの事を口に出してますます自分を低くするばかり、夫も妻もそれで幸福になれよう筈がありませぬ。夫といへども完全に手足はついてゐるのですから、自分のものは自分で始末すべきであつて、妻がそれに手を出すのはよけいなおせつかいに過ぎず、そのまちがつた奉仕癖が遂ひにはせつかくの家庭を破壊するやうなことにまでなつてしまふのです。殊に女が職業を持つてゐる事に何か特殊な優越を感じ、その自分が家庭では夫への奉仕にも欠けるところがないと二重の優越感を抱くとすれば、女にとつてこれくらゐ危険な事はないでありませう。なぜと云つて男はどんなヤクザな男でも、そとで働いてきて俺は働いてきたのだと恩にきせるやうな事は云ひませぬ。働く事を当然としてゐるのにひきかへて、職業を持つ女はなぜか働く事を特殊なものに思ひやすい、私は働いてゐるのだからといふ気もちがとかく先きだちやすいのは、身をもつて女の生活の浅さを証明するやうなものでなぜ女も男と同様に、働く事を当然と思ひ得ないであろうか。悧口ではあるが聰明でないといふ言葉は、実に女の痛いところをぴしつと打つて容赦がありませぬ。
さて思はぬ方へ筆がそれ、愛情の問題がいつか下積みとなりました事、まことに日常生活における女の姿とおなじで我れながら苦笑を禁じ得ませんが、ひろげたまま行衛不明になりましたさまざまな事柄につきましては他日又記す機会もあらうと存じ、いま一度デカルトの言葉を自分勝手に借用してこの小文を終らうとおもひます。「我れ愛す、故に我れあり」