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もめん随筆52

时间: 2020-03-31    进入日语论坛
核心提示:ブロンズの脚母親は娘にふらんす語を習はせ、ピアノの稽古と、それから折折はゆらゆらと長い袂をなびかせて和服も着て通へる女学
(单词翻译:双击或拖选)
ブロンズの脚

母親は娘にふらんす語を習はせ、ピアノの稽古と、それから折折はゆらゆらと長い袂をなびかせて和服も着て通へる女学校へ入れたいと望んだ。十三歳の娘の脚は、ハガネを入れたやうにまつすぐで、打てばカンカン音がしさうであつた。母親は金属性のその美しさをみとめない訳ではないが、日露戦争以前の彼女の夢は、そこからは生れて来なかつた。母親はそのブロンズの脚をしなやかなキモノの裾でつつむことによつて、やうやく自分の夢を満たさうとし、娘は母親の満足に副うて日傘をさして踊の稽古に通ひ、ブロンズの脚はキモノの中でしとやかに坐ることを稽古せねばならなかつた。その代り娘は母親から学校の勉強を強ひられたことは一度もなかつた。娘は何らの掣肘を知らず、ただ草のやうに茫然と伸びた。
「あの子に学問をさせようとは思つてをりませんの」
母親はしばしば人に向つてもさう語り、家の中でもその点では優しすぎる母親であつた。そして、母親の第一の誤謬はそこにあつた。彼女は自分を理解のある母と考へ、その考への中で娘を侮蔑してゐる事には毫も思ひ及ばなかつたのである。——父親が会社員で母親が女学校の卒業生で、世間並に平和な彼等の家庭では母親の誤謬が訂正される日は永久に来さうにも思はれなかつた。けれども……
自然は明るい眼を持つてゐる。彼はどんな些細な誤りをも、遂にその明るさに照し出さずには置かないのだ。月給取りであるために平和な彼等の家庭は、月給取りであるためにその平和を傷附けられることは、当然のまはりあはせであつたが、恒産を持たぬ彼等は、やはり生活の保証を得るために、その月給にしがみつかねばならなかつた。会社は何故か時時その使用人を別な土地へ送ることを好み、彼等はやうやく住みついてあたりの風物にも馴染の出来たところで、また引越をせねばならぬ折は、あまりにしばしばであつた。そして彼等は従順な犬のやうにその事に馴らされてゐた。
会社は学校ではなかつた故、転勤を命ずる時期を、子供のためになぞ考へてはくれなかつた。娘は大切な六年生の二学期の半ばに、親に従うて新しい土地へ移り、学校をかはらねばならなかつた。東京から関西へ、会社は突然彼等の生活を三百五十哩移したのである。
「さて」——
母親はかつて、人からこんな話をきいたことがあつた。ある有名な琴の師匠の許に弟子入りしてゐる小盲人の話である。田舎から出て来たばかりで、あまりカンのよくないその少年は、人とむきあうてゐるつもりでいつも襖や壁に向つて坐つてゐるが、時時だしぬけに、
「さて!」といつてぽんと膝を叩く。お、何をするのかと驚いて人が振返ると、小盲人はさて! といつたばかりで、別に起ち上る訳ではなく、やはりぢつと静かに坐つてゐるのだ……といふ話であつた。
母親は、新しく移つて来た阪神沿線の山の見える二階で、一通り品物を片づけ終り、ひつそりとした秋の空気の中に坐つてゐて、ふと「さて!」と口に出していつた。いふと同時に小盲人の事を思ひ出し、話にきいたばかりで、見た事もないその少年の、壁に向つて坐つた姿が感傷的にしみついて来るのであつた。彼の郷愁の切なさが、そのまま自分の胸に応へて来、そしてその気持は新しい教室で新しい言葉の中に交つた娘の、所在ない姿に延長し、夢の中でやにのついた長い腸を噛まされるやうな、噛んでも噛んでもかみ切れないやうなやりきれなさに、ジワジワと身体がしまつた。何か触れてはならない気持がその苦さの中に沈んでゐるやうであつた。
「私達、いつたいいつまで転任して歩けばいいんでせう!」
ちひさな姉妹達がいつもめいめいの脊丈をはかりに行つた茶の間の柱、横にひかれた鉛筆の細い線にまで母親は名残りを惜しんで、しばしばその言葉を夫の前に嘆いてみせたが、その事さへも今では遠い思ひ出となるほど、母親の気持は動かなくなつて来た。あの時分はまだ子供達もちひさかつた。母親も若かつた。嘆きながらも明日の日が予想された。楽しく、朗かに。
子供達が自分から壁のらく書にさへ心を残すほど成長するにつれて、母親の頭には何か払つても払つても払ひきれないモヤモヤしたものが、おほひかぶさつてゐるやうな物憂さがしみつき始めた。うんざりする! さういふ感情さへ今では母親の頭にハツキリとは考へられなかつた。彼女はただ疲れ、そして黙つて荷物をまとめ、からつぽな頭で汽車に揺られた。新しい土地、新しい空気、考へるさへ物憂かつた。だがしかし、娘は女学校の入学試験を受けねばならない。——
母親はまるきり空手であつた。それについて何の用意もなかつた。転校は始めての経験ではない、それが彼女を安心させた。学問一点ばりの学校でなくともよい。さう思ふことは二重の安心であつた。そして彼女が茫然と手をつかねて日を送るうちに、東京とはまるで違ふ事情が、春の山雪のやうに思ひがけなく、母親の頭上へなだれ落ちて来た。
娘は三年生の時に一度、東京の中で、郊外の私立の小学校から市内の市立小学校へ転校した経験を持つてゐた。それはやはり二学期の半ばすぎで、程度の低い学校から高い学校への転学であつたから、成績の下ることは十分覚悟してゐたにも拘らず、二学期の通知簿は以前の学校とおなじ表であつた。
「こちらではまだ日が浅くて、はつきりとわかりませんから、推定で以前とおなじ成績を差上げておきます。三学期からは、こちらの学校の採点方法でいたしますから、落ちないやうにしつかりなさるのですよ」
若い女の先生の思ひやりのあるその伝言は新しい学校にまだ馴染みにくかつた母子二人に、温かい息を吹きこんでくれた。娘は学校に興味を持ち、それ以来一度も落ちることなく、ずつとおなじ成績を通し得た。彼女は別に頭のよい子ではなかつたが、普通の全甲を貰ふだけの力は持つてゐたのである。
母親のあたまには、まだその記憶が鮮かであつた。それ故二学期の末になり、新しい学校で貰つて来た成績表をひらいた時、彼女は油断してゐた足をどんと不意に突きとばされた気がした。八点、八点、八点、体操、唱歌、図画、書方、裁縫、おおそれらは全部主観的なものばかりではないか——
「こつちの学校の人たち、みんなよく出来るの?」
おぼつかない娘を相手に、母親はきいて見ないではゐられなかつた。
「わからないのよ、みんな何でもかくしてばかりゐるんですもの。それに第一入学試験の準備ばかりで、なほのことわからないわ」
さう答へる娘は、母親よりも一層茫然として、手頼りなげな顔であつた。娘は一時に六冊も買はされた参考書を机に積み重ねて、ただその高さを眺めてゐた。何からどうすればよいか、まるで手のつけようがなかつた。楽しい日光行きや伊勢参宮や、それから神宮外苑のマスゲームや、高い秋の空の下で胸一杯息をして、試験準備なぞまるきり考へもしなかつたあの小学校からやつて来た娘には、新しい学校での試験準備のものものしさは、驚きを通りこしてむしろ馬鹿らしくさへ感じられるのだつた。あつちの学校では……母親にも娘にもそれが考へられた。あの学校では、——
その小学校では、生徒の成績は全部はばかりなく公開されてあつた。教室の壁にグラフが貼りつけてあり、力だめしの結果によつて一ト月ごとにその表は新しくされた。従つて生徒達の気持は明るく、朗かにお互ひにかくしあふところは少しもなかつた。返された答案を見せあひ、採点の仕方に不審のある時は、揃つて先生の処へたづねに行つた。(先生とて神ではない故、おなじ答へに対して、違ふ点数をつけてしまふ場合もある)——その上になほ月に一回づつ、作文や書方、図画なぞの成績品が各自の家庭へ廻されて来たから、親は家にゐても、学校へ行つたとおなじやうに級全体の成績程度を知ることが出来た。では成績のよくない子までそのことを人に知られ、肩身をせまくしてはゐまいか。……一応考へられるこの疑問はしかし、問ふ者の頭のにぶさを示すにすぎない。それほど明らかにされた成績については、子供達は些かも拘束されることがなかつた。そこでは、学校の成績ばかりがその子の価値ではなかつた。彼等はかくしだてのない朗かな環境の中で、お互ひのよさをみとめあふやうに自然に教育されてゐたのである。
「東京の学校は、教育程度が低いてさういふの。府立を受ける資格は全然ありませんて」
もうすぐ願書の受付が始まる二月末のある夕、娘の受持教師をたづねて帰つた母親は、よそゆきの羽織のままで火鉢の前に坐り、興奮から頬を紅くして饒舌になつてゐた。彼女の心にはいま聞いてきた教師の言葉と、それを反ばくする自分の言葉とが、をさのやうに交錯した。「この学校では前の学校の成績は一切考慮に入れぬことになつてゐます」「さうですか、しかし医者は患者の既往症を知らないで、正しい診断が出来るでせうか」……
母親は教師の前では、何もいはなかつた。従順に、ひたすら席順の事を懇願したばかりであつた。郷に入つては郷に従へ、母親は胸の中に苦笑を噛みながら、気負つた教師の暴言を唯々としてきいてゐたのであつた。東京の教師は一体何を教へてゐたのか、私の級ではあんな成績では二十番以下です、他の子は皆もつとよく出来ます……
そのよく出来る子達の成績品を、母親は一ト目も見ることは出来ないのだから、言葉の返しやうもない訳であつた。東京の学校より知らぬ母親が、何処もおなじやうに成績は公開されてあるものと思ひこんでゐたやうに、此処の教師はまた、母親は必ず贈物を携へて挨拶に来るべきものと思ひこんでゐるらしい。その喰ひちがひが彼女にはをかしかつたが、おなじ日本のおなじやうな都会の小学校教育にさへ、こんな差があるといふことは、おもむろに母親の胸をゆり動かす問題であつた。おなじ月給取りの切ない中産階級ではありませんか、途中で転校して来た子供を、そんなにムゴク突き落すのは、結局お互ひの身をけづりあふことになるでせうに……
さう思ふ彼女自身がしかし、まだフランス語とピアノの夢から抜けてはゐない小市民であつた。娘は優しく、美しく成長しなければならない。学校は別に府立でなくともよかつた。ただ母親の心には「不当」に対する憤りが沈潜した情熱に思ひがけない火をつけてしまつてゐた。いはれなく侮辱された東京の教師の冤をそそぐためには、娘はぜひ府立に入学しなければならない。だが選挙のさわぎのやうな準備教育をよそに、のんびりと画を描いて過ごして来た娘にその大任が果せるであらうか。母親の懸念はそこにあつた。そして彼女はいまひそかに、あまり放任に過ぎた過去を悔いた。
娘は両親の前へよばれ、自分自身の意志で学校を選むやういひ渡された。娘はためらはず言下に府立と答へた。
「学院の方ならば伝手もある。お母さんもよからうといつてゐる。府立は受持の先生が資格がないと断言してゐるのだよ、わかつてるのか」
「ええ、知つてるの、でも私ぜひ府立を受けたいの」
「なぜ? なぜそんなに府立が好きなのだ」
「あたしお医者さんになるつもりなの。だから府立へ入つておきたいのです」
「お医者さんに?」あまりの唐突さに母親は呆然と娘を見た。「お医者さんに? それはまたどうして?」
「だつてお母さん、世の中には病気になつても、貧乏なばかしに、お医者にみて貰へない人がたくさんゐるでせう。私女医になつて働いて、さういふ人達をみてあげたいの」
女医になる……娘のその志望は読本の中のナイチンゲールの話から思ひついたものかも知れなかつた。だが、もし落第したらどうすると念を押されて「その時はゑかきになる」といつた言葉は、女医を志望する彼女の気もちが本質的のものであることを母親にうなづかせた。医者とゑかき、そこには必然的な結びつきがある。——
それにしてもこのをさなげな娘が、いつの間にそれほどの考へを自分のあたまに植ゑつけてゐたものであらうか。母親はまだ前髪さへ切りさげた娘を、もの珍しく見入つた。いつの間に彼女はそんな実際的に世の中に役立つ人間になり度いと、考へはじめてゐたのであらうか。をさない彼女にそれを考へさせたものは何か。
ハツキリとした一つの志望の前につきあたり、母親は自分の考へを振り返つてみて、では自分は娘に何を望んでゐたらうか。フランス語とピアノを習はせ袖の長いキモノを着せて、そしてそれからどうするつもりだつたらうか。母親は自分自身のとりとめなさに、冷たい汗がにじみ出て来た。彼女はやうやく自分の誤謬を知つた。娘は草のやうに放置され、しかも自分の道を見出してゐたのである。
受持教師の反対を押しきり、府立を受けるといふことは、凡てに困難な問題だつた。百パーセントを期する先生は、見切りをつけてゐる生徒に対し、親切であり得るはずはなかつた。娘は敢然と先生の皮肉に対抗し、それを母親に洩らすことはすくなかつたが、さういふ教室を想像する母親の、傷附きやすい心はその痛みに耐へかね、原因をさぐり求めて落附かうと焦慮するのであつた。受持教師は何故百パーセントを期せねばならぬか。そして校長は、そして視学は、……
母親の思考の波は次第にひろがり、小波をよせてはまた胸に返した。さういふ自分が、なぜ子供を育てる時おなじ学校に六年間通はせ得ないのか。それはひとへに、自分達の生活が月給によつて支持されてゐるために外ならなかつた。それが大方の恒産を持たぬ学校卒業者の生活なのだ。あはれむべき無産知識階級。彼等はお互ひに手をつながねばならない。そのくせ彼等はその小さな窮屈な知識をよろひのやうに着込んで、仲間をおどすことばかりに熱心なのだ。……
人は浜辺に行き、しつとりとしめつた砂をふんで歩く時、いつとも知らず素足になつてゐるであらう。自然が人をさうさせるのである。だが彼等はいはば自然にそむき、浜辺にゐながらいつまでも足袋をぬがぬ人達ではないか。ささやかな生活の安定が彼等に卑屈な足袋をはかしておく。そして母親自身もまたおなじく足袋をはいた一人にちがひなかつた。
娘は試験に合格した。よく出来るといはれた同級生をぬいて合格したのであつた。彼女は身をもつて「不当」をはね返し、志望の第一階に正しく足をふみ出して行つた。それは生れながらに足袋をはくことを知らぬブロンズの脚であつた。まつすぐに伸びたハガネ入りの脚であつた。
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