札幌山鼻教会の聖合唱団の中から二人の大へん若い作曲家を出したといふ記事を何かで読んで、すぐその方のお名前と曲の名をひかへておいたのに、その紙片れをどこへやつてしまつたのか、いくら探しても見当らない。音楽の知識がまるきりないので、それを失つては何も云へず、又ラヂオがきらひできいた事がないからその作品がいつ放送されたのかもわからないのだけれど、とにかく素晴らしい事だと思つて興奮した気持だけはいまもなほ変りなくつづいてゐる。ひよつとするとその方方のお母さまと自分とがおなじ小学校に通つた事がありはしまいか。それともあの落葉松の垣根の中の女学校で顔をあはせた事がなかつたであらうかなどと考へて一層なつかしかつたが、さういふ素晴らしい青年たちの生れた札幌にはやはり素晴らしい少女たちが住んでゐるにちがひないと思つてうれしかつた。札幌といふ町が日本の都市の中でも際立つて特異な美しさを持つてゐるといふ事はもう誰でも知つてゐるけれど、そこに住む若人たちの性格にも又おなじやうな美しさのある事はまだ殆ど知られてゐないやうに思ふ。
何と云つても明治維新と一しよに生れたやうな町だから伝統といふものは何もなく、私などでも若い頃にはそれが一ばんさびしく、自分の感情まで粗くなるやうでまだ見ぬ内地の柔らかさに憧れたものであつた。流浪者の子供といふ気もちがいつも胸にこたへて佗しかつたが、いまではやはりあのやうな新鮮な土地に生れ、あの激しい気候にもまれた事を、幸福であつたと思つてゐる。今年は東京も冬がきびしくて、やうやくといふ思ひで春になつたせゐか、此頃は毎日垣根のそとをちんどんやが通り、そのあとから近じよのちひさな子供たちが隊を組んで、あなたと呼べばとうたひながら歩いてゆくが、札幌ももう雪が消えて、小さな人たちは半年ぶりに足もとからたつ土埃を、さぞ楽しんでゐるであらうとなつかしい。私たちがちひさい時には精一杯胸を張つて、主われを愛すと讃美歌を讃美歌とも知らずにうたつて歩いたが、いまの子供はどんな歌をうたつてゐるであらうか。離れてひさしふるさとの並樹の花のアカシヤの白い垂り花に、いま一度頬をふれてみたい思ひが胸を切なくする。
南一条東四丁目、——さういふところに私は生れた。西は円山公園の方へ十何丁目といくらでものびてゐるけれど、東はわづか五丁目六丁目で豊平川に区切られ、川の向うは豊平村となつてゐた。豊平川は淵もあり瀬もあり河原もあつて相当大きな川なのに、その水の色の美しさはまるで泉のやうにいつもすきとほつて清らかであつた。冬のうちは一面にうす氷が張りつめてひつそりとしてゐるが、春先きの一夜突然溢れるやうな水音が枕にひびいてきて夢をやぶられる事があつた。山の雪がとけてなだれ落ち、一夜に水量がますのであつたが、それは春のあしおとにしてはあまりに荒荒しく激しくて、私たちは歓びよりもむしろ恐怖にちかい感情を抱かせられた。よその土地ではしのびやかに軽くくすぐるやうに一日づつ近づいてくる春が、札幌ではこんな風にしてちやうど洪水のやうにただ一夜でやつてくるのである。あらゆる樹樹が一時に芽をつけ葉を出し花を咲かせる。一時に草が萌えたんぽぽが咲きたんぽぽの綿毛がとぶ。学校の垣根の落葉松は青青と色づき、青くなつたとおもふともう枝をそろへねばならぬほど伸びてしまふ。何もかもが一時にぐんぐんといふ勢で伸びてゆく目覚ましさは。
だが私たちの性格にもいつかさういふひたむきなものを養ひ、長い冬の耐へがたい重たさにも耐へてきた私たちは、しらずしらず落葉松のやうななだらかな抵抗法をも会得してしまふ。きびしい寒さの中にまるで枯れ切つたやうに見えながら、新しい芽はいつも油断なくその奥深く用意されてある。私たちはどんな圧迫の中にあつてもいつも自分の生活に希望を失はず、ひたすらに上向く心を持つてゐるらしい。
自然がそこに伸びる樹木や果実とおなじやうに、少女たちをも育てるのであらう。私の瞼にうかぶ札幌の少女は夏林檎のやうにほのぼのと肌白く、頬はさくらんぼのやうに染まつて、苺のやうに情味の深い唇をしてゐる。さつと林檎をくだいたやうな涼しい匂ひを持つてゐる。さうしてその眼は、心の窓といはれる眼は八月の空をのぞいたやうに深く澄みわたつてゐるのである。
札幌を見た事のない人にはいくら云つてもあの空の深さとひろさがわからないやうに、札幌にだけ住んでゐるあなた方にもまだ自分自身の眼の美しさはほんたうにわかつてゐないかもしれない。私などでもまへには、女の眼の澄んでゐる事は当然と思つて気にも留めなかつたのを、東京へ出て初めて澄んだ瞳のすくない事に驚き、大阪へ行つて更に濁りない眼は暗夜の星のやうに貴いものである事を知つたのであつた。関西の女の人はよく眼を伏せて話をするけれども、札幌の少女の眼はいつもぱつちりと輝いてゐる。もしいまのあなた方のあひだに物思はしく眼をふせる事がはやるとすれば、それはあなた方自身を見失ふ一ばん不愉快な流行である。あなた方の字引に卑屈といふ字はなかつた筈である。私たち少女の頃なにか思ふ時には顔をあげ、空を仰ぎながら考へたものであつた。私はさういふ少女の中の一人として、小学一年から同窓の素木しづ子といふ友だちを思ひ出すのだけれど、その名前はあなた方のお母さまの耳にも親しい事であらう。おしづさんは十八の若さで片脚を失ひ、胸にも病ひを持ちながら健気にも一管の筆で起ちあがつた人である。「黄昏の家の人人」といふ詩情豊かな作品を書いて、第二の一葉とうたはれながらわづか二十四で逝つてしまつた。そのおしづさんが画家の上野山清貢さんと結婚して、結婚して後も上野山さん上野山さんと呼んでゐるのを、をかしいと笑つた人があつておしづさんは私に憤慨したものであつた。「だつて上野山さんは上野山さんぢやないの、ねえ。それを結婚したから急にあなたと云はなけれやならないなんて、それこそへんぢやないの」
夫婦生活はおしづさんにとつて、征服者と被征服者の毎日ではなくどこまでも対等な友だち同志の暮しであつたのだけれど、因襲にとらはれた世間の人にはそれが奇異に思はれもしたのである。私たちにはおしづさんの態度の方が自然でよかつた。いまの若いあなた方もおそらくさういふ風に、すくすくと曲みなく育つてゐられる事と思ふ。
芥川さんがマヨネエズをかけて喰べたいと云はれた博物館の芝生も、いま頃は鮮やかな緑にもえてゐる事であらう。十七年のあひだ朝夕に見なれた藻岩山も紫にかすんでゐる事であらう。いつか三角山のスロープを夢に見て、さめてから後しばらく涙がとまらなかつたが、ふるさとの町はそんなにもなつかしくいつも心に生きてゐるらしい。ゆさゆさと豊かに揺れる楡の大樹、あの大らかな葉ずれの音をいま一度聞きにゆきたい。
まつすぐな道路とおなじやうにあなた方もまつすぐな心を持ち、その清らかな澄んだ瞳をいつもはつきりとみひらいて、怖れずたじろがず真理をもとめてほしいと思ふ。アカシヤの花やリラの匂ひを身に吸ひとつて香り高い女性となつてほしいと思ふ。あなた方は人に媚びる事を知らないけれど、あなた方の情熱は、さう、私はむかし雪の夜半に赤煉瓦の道庁の焼けるのを見た事があつたが、氷に燃えるあの火華の美しさはそのままあなた方の情熱ではないかと思ふ。
ふるさとの若いあなた方に期待する事の愉しさ。女は郷土色が強ければ強いほど女として勝れてゐる。いつも自由で新鮮なあの町に生れたあなた方はどんな道を進まれる事であらうか。それを思ふのは愉しい。
この作品は昭和二十六年十一月新潮文庫版が刊行された。
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