返回首页
当前位置: 首页 »日语阅读 » 日本名家名篇 » 作品合集 » 正文

ある日、ある午後02

时间: 2020-03-31    进入日语论坛
核心提示:のんべえの身上書私は特にこれというお酒を決めていない。かなり融通がきく方で、和食には日本酒がいいし、中華料理なら紹興酒以
(单词翻译:双击或拖选)
のんべえの身上書

私は特にこれというお酒を決めていない。かなり融通がきく方で、和食には日本酒がいいし、中華料理なら紹興酒以外は考えられない。洋食なら当然ワインである。食前酒も、よく頑固にジントニックしか飲まない人、シェリーを好む人もいるが、私はそれも時と場合によってかなり浮気するほう。ウォッカトニック、ブラディメリー、チンザノの炭酸割り、ミモザカクテルといったレパートリーを気ままに愛飲している。
ただし食後酒はカルバドスだけ。それも洋なしのタルトがデザートにつく時にかぎる。
お酒がなくても生きていけるが、お酒が入らないと絶対に出来ないことがひとつだけある。——それはディスコだ。
私はディスコが好きだが、素面《しらふ》では絶対といっていいほど踊れない。自意識過剰なのだ。かなり飲んで、足がふらふらしてこないと、ダンスフロアに出て行けない。でも酔って踊っているのは、とても気分がいい。最高だ。もっともディスコの相手はたいてい迷惑しているみたいだ。たとえどんなに相手のヒンシュクを買おうと、私は全然意に介さない。何しろ酔っているからである。
どんなに素敵な人でも、相手が全くお酒ダメということがわかると、とたんにつまらなくなってしまう。お酒なしで食事するなんて、とても片手落ちみたいな気がするし、男と女の会話もわずかでもアルコールを帯びるのと帯びないのでは、輝きも違う。素面《しらふ》でセクシーな話をしたり、エロティックな会話をする気にはなれないし、無理にすれば気持ちが悪くなる。それに第一、お酒が入るとセクシーな気持ちになるけど、一滴も入らないとそうはならない。
ところが、私の男友達には、どうもお酒に弱い人が多いのが悩みの種だ。女性は、やたらめったら強い友人が多いのだが、男性はだめなのだ。もちろん酒豪もかなりいるが、不思議なことに酒豪に惚《ほ》れたという経験がない。酒豪がイヤなのではなく、惚れた男に酒豪がいなかったというわけである。
本当に好きになった男たちが、一人二人の例外をのぞいて、ほとんどお酒が飲めないというのは、私の悲劇である。アルコールに漬かって、関係が発酵していかないみたいなのだ。そのうち、相手は私がアル中ではないかと疑いだして、それで恋が終わり。
外国に行くと、例えば劇場やオペラ座に、必ずバーがある。公演の前に軽く二、三杯飲んで、舞台にのぞむ。休憩時間にもバーは黒山の人だかりとなる。こういうことは、日本でも見習ってほしいものだと思っていたら、最近できたサントリーホールにバーがあった。もっともサントリーのホールだから、バーの発想がスムーズだったのかもしれない。
それと、思うことは観劇の始まる時間が、日本は六時とか六時半と早いことである。これでは一日の仕事のアカや緊張がこびりついたままだ。せいぜい二、三杯飲むくらいのゆとりを見て公演時間をきめて欲しい。
いつだったか銀座のセゾン劇場で、ピーター・ブルックの�カルメンの悲劇�を観たが、確かこの時の開演時間が夜の八時であった。
おかげで仕事直後に駆けつける必要もなく、シャワーを浴び、髪も洗った。ドライヤーで乾かして、ゆっくりとお化粧し、アクセサリーの選択も楽しみつつ。
待ち合わせは七時にセゾン劇場内のバーでということだった。
お酒をゆっくり飲んで、会話を楽しんで、それから劇場へ。夕食をあわてて食べる必要もないので、観劇の後に、ということになっていた。
すばらしい舞台に感激。十時を廻《まわ》った頃、夜の銀座へ。
しかし銀座のレストランは、すでにラストオーダーが終わっている。私たちはタクシーで青山通りへ。真夜中過ぎまでやっているブラッスリーがある。十時半という時間に駆けつけたのにもかかわらず、ブラッスリーの中はほぼ満員。
ほとんどの人々が私たちのように観劇帰りか、映画や音楽会帰りらしいのはその興奮した面持ちでそうとわかる。そんなふうだから、ブラッスリーの中は活気づいている。まずシャンペンを一杯ずつとって乾杯。夜の遅い時刻の夕食前のシャンペンは、実に美味にして贅沢《ぜいたく》な味。
ささやかながら、人間として生まれた幸せ、女として生まれた幸福をつくづくと感じる一瞬。眼の前には、その夜の感動を共有した友人がおり、いいお酒と、いい食事と、いい会話。いい友情。人生の幸福ってこんなふうに、ふっと満たされてしまうのだという一瞬である。
そのどれかひとつでも欠けたら、幸福感はなかったかもしれない。たとえどんなに美味なお料理とワインでも、一緒に食べる男に魅力を感じなかったら楽しさは半減どころか四分の一にも、八分の一にも減ってしまう。
けれども絶対にひとつだけ選べといわれたら、私は美食よりも、観劇よりも、美酒をとる。
お酒は私を確実に酔わせてくれるから。そしてその酔いが確実に冷めるから。誰《だれ》にも迷惑をかけず、誰も傷つかない。失望もしないし。
私の友達はお酒に関して両極端だと前に書いたが、飲める男たちがこれまた凄《すさま》じくも徹底的に飲む口なのである。
ある絵かきは、徳島産のスダチをひとつ目の前に置き、これをちびちびと絞りながら、ウイスキーのオン・ザ・ロックを、一晩中飲み続ける。彼によると更に上がいるそうで、ひとつまみの塩を肴《さかな》に、これもチロチロなめながら一升酒を飲むという本当の酒飲みの話も聞いた。塩をねェ。と私は、ただただ呆然《ぼうぜん》とするのだ。世の中には美味《おい》しいものがいくらでもあるのに。
別の友人は、一応目の前に、酒の肴らしきものを幾皿か並べはするが、よく見ているとそれらにほとんど手をつけない。一応チマチマ皿が並んでいるので、一緒に飲んでいても味気ない感じはしない。安心してこっちは食べられる。
「これ、すごく美味しいわよ。冷たくなる前に食べてみてよ」と私がすすめる。
「そう? よかったら食べてくれよ」と彼はさりげなく私に言う。
「食べなくちゃだめよ。でも、いいの? そう? じゃ、食べちゃうわよ、私」
別の一皿を彼はさも自然な感じで、私の前に置きなおす。私はお喋《しやべ》りに夢中で、知らずにそれに箸《はし》をのばしてしまう。
いつのまにか彼の前の料理が片づいている。しかしどうもスッキリしないのだ。知らず知らずに私が全部食べてしまったかもしれない、と不安が過ぎるのだ。その証拠に私のお腹ははちきれそうだ。
彼は知能犯だ。さすがに新聞社の記者だけある。
私はお酒が好きだがたとえ一品でも肴《さかな》がつかないと、ひどく惨めになってしまう。そんなわけで、私は男友達とお酒を飲んでも手放しに楽しめない。彼らはあまりにもお酒の飲み方が偏屈的なのだ。でなければ、まるきりだめの下戸の口。
だから飲める女友達と飲む方が、圧倒的に楽しめる。彼女たちは何しろ食いしんぼうだから、次から次へと運ばれてくる物を片づける。
最近の女性は、へたな男など足元にも及ばないほどアルコールに強いから二人でウイスキーをワンボトルあけることだってある。
それでケロリとして、二日酔いにもならない。
第一、男の酔っ払いにくらべて、女のへべれけになる姿はずっとずっと少ない。私の二十数年に及ぶお酒の歴史で足腰が立たなくなったということは一度もない。私の小説に出てくる女たちも、私に負けず劣らずお酒を好む方だ。彼女たちも食いしんぼうで、男好きだ。
轻松学日语,快乐背单词(免费在线日语单词学习)---点击进入
顶一下
(0)
0%
踩一下
(0)
0%

[查看全部]  相关评论