大体どんな女の人でも花にたとえられると思う。真赤なバラのようだったり、白いユリみたいだったり、コスモスみたいだったり。
私はたまたま花ではコスモスが一番好きなのだが、もちろんコスモスみたいなはかないような風情の女とは、とてもいいかねる。自分の好きな花が、自分に似ているとはいいがたいという例である。
先日、私の誕生日に、さまざまな方が花束を届けて下さった。不思議なことに、そのどれもが真紅のバラであった。私の印象が真紅のバラだという意味か、あるいは私の書いたものがそういう感じなのか、またあるいは私が好きそうな花だと人が思うのか、その点はいまひとつ疑問なのだが、とにかく赤い赤いバラがざっと数えて二百本ほど家中に飾られたのは、壮観だった。
ひそかに花にたとえるなら私は自分で、ヒマワリだと思っている。あまり色気のない花なので内心がっかりだが、仕方ない。
女の人はそのように何かしらの花に似ているものだ。そして、その花のもつ香りが、その人の匂《にお》いなのである。その人に一番似合う匂いなのだ。
だから、コスモスみたいな女の人が、動物性の濃厚な香りをつけたら変だし、ヒマワリの私が幻想的な匂いをつけても似合わない。
その花に一番近い香りを、さりげなくつけるのが良いと思う。今私が使っているのは、男性用コロン。甘くなくて、ちょっと日なたの匂いがして、つまり、やはりヒマワリなのだ。
朝から香水をプンプン匂《にお》わせていたり、日本料理屋で懐石を頂くのに強い香りを放ったりするのは、常識がないが、逆に何の香りもつけていないとかえって妙な時もある。
それは正装した時、上から下まで飾りたてた時、香水を使わないと、料理で言うと塩味がきかない感じになる。
絶対に止《や》めたいのは、毛皮を着ている時の香水。これは、毛皮自体の強い動物臭のために、香水は悪臭になる。
それに香水の染みついた毛皮って、なんだか哀れっぽい娼婦《しようふ》のようで、気がめいる。
先日、エディンバラ城を見学して来たのだが、その一室に当時のお后《きさき》様の部屋があった。絹のベッドがあり、飾り棚にアクセサリー。
アクセサリーの中に、ペンダントのようなものがあった。宝石を埋めこんだ五センチ角の美しいものだった。
ペンダントかとガイドに訊《き》くと違うという。ベルトのように使うのだと説明してくれた。つまりそれは香水入れで、お后様が常に腰につけていたのだ。その宝石の部分がちょうど下腹の下の方にくる。
その昔、イギリスのお后様はお風呂《ふろ》というものに入らなかった。大体お風呂場がないのだ。入ってもせいぜい一年か二年に一度というから、おそれ入る。そのために、下腹あたりで匂いを放つ香水が、必需品であったのだ。匂いで臭いを制すというか。
その時代のお后様に生まれなくてつくづくと良かったと、私は思った。