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ある日、ある午後14

时间: 2020-03-31    进入日语论坛
核心提示:父の肖像ある雑誌で、「私にインスピレーションを与えた男たち」という企画があり、私はあれこれ頭を悩ました揚げ句、とにかく五
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父の肖像

ある雑誌で、「私にインスピレーションを与えた男たち」という企画があり、私はあれこれ頭を悩ました揚げ句、とにかく五人の男たちを選び出した。
雑誌の性格や企画の意図からして、あまり大まじめに考えてもシラケると思い、遊び心を加味して選んだのである。
その五人がどういう男たちかは、ぜひ『風のように』(角川文庫)を見て頂くことにして、ここで私がハッと気づいたことは、男たちに共通するものがあるということだった。
もちろん彼らは人種も違うし、国籍も肌の色も違う。それぞれの男たちは互いに似ていないし、共通点もあまりない。一人はイギリス人であり、一人は日本とドイツの混血の男であり、一人は男優であり、一人は版画家、そしていま一人は詩を一行も書いたことのない詩人である。
彼らは互いにはどこも似ていないが、奇妙なことに、それぞれがどこか私自身の父に似ているのである。そのことに気づいて私は愕然《がくぜん》としたのだった。
ある男は父と声が似ている。横顔を見せてほおに手をついている時のポーズが酷似している男。照れてはにかむ時の苦笑のしかたがよく似た男。手の型がそっくりな男。言葉と言葉の間の取りかたが気持ちの悪いくらい似ている男。同じような字を書く男。不機嫌さが黒々としていて女の手にあまるところが父と共通している男、といった具合なのだった。
私の好きな男たちが、いずれもどこか少しずつ父に似ているというのは、実に複雑な思いがする。
子供の頃、私の父は厳格で、ほんとうに怖い人だった。本当は小説家になりたかった人なのだが、戦争があったり、家庭を持ち子供たちができたりしたことで、彼は小説家への夢を断たねばならなかったのだ。
それでも物を書きたいというやむにやまれぬ衝動から、私の父は日曜日というと文机《ふみづくえ》に向かって黙々として書いていた。
子供のころ、私は、日曜というと文机に向かって物を書く父の背中が嫌だった。何かたとえようもない重荷でうちひしがれていたからだ。夕方になって、部屋から出て来る父は、体中の血をすべて放出してしまった人のように見えた。あるいは、体の中のどこか目に見えない一部を、えぐり取られた人のように見えた。その時私は、幼い心に、小説家にだけはなりたくないと思った。それから、あんなふうなうちひしがれた背中を持つ父のような男とだけは結婚したくない、と。
それがどうだろう。私はいつのまにか自分でも小説を書くような女になってしまった。そしてある時、ふと見た夫の背中が、父のとよく似たうちひしがれたような背中であることに胸をつかれたような気がした。
そして今、私が好きだった男たちのすべてが、あの一種うちひしがれた背中をしていることに、私は改めて気づかされたのである。男の背中とは元来そのようなものかもしれない。
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