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ある日、ある午後15

时间: 2020-03-31    进入日语论坛
核心提示:私の銀座メモリー芸大の学生だった頃、ヤマハ楽器店に用があって、最低週一回は銀座に通ったものだった。そういう場合、最寄りの
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私の銀座メモリー

芸大の学生だった頃、ヤマハ楽器店に用があって、最低週一回は銀座に通ったものだった。
そういう場合、最寄りの新橋から行けばいいようなものを、私たちはわざわざ地下鉄の日本橋駅で降り、京橋を通り銀座通りを抜けて、銀座のどん尻《じり》にある(新橋側から言えば始まりにある、ということになるが)ヤマハのドアを押すのである。
もちろん目的は、楽符を買うとかレコードを買うとか、ヤマハホールで行われる音楽会に行くとかそういうことであったが、そうしたことよりも、盛んにお喋《しやべ》りをしながら銀座通りをすみからすみまで抜けて行くことに、私たちは青春を感じていた。喫茶店でお茶を飲むようなお金も、ままならない親がかりの大学生だった。
しかし銀座通りをウィンドウショッピングしながら、ブラブラと歩くのにはお金はかからない。デパートの大きなウィンドウが始終模様替えをするので、それも楽しみだった。段々眼も肥え、どこのデパートのセンスが一番良いかということもわかり、最新流行のファッションもいち早く頭に入った。デパートのウィンドウというのは、世相と流行をどこよりも敏感にそして早く取り入れるから、音楽の勉強の足しにはならなかったが、後に広告業界で宣伝表現の仕事をするようになった時、それが大いに役に立ったものである。私の勤めた広告代理店は、初めのうち銀座四丁目に近い並木通りにあり、アイディアに困るとふらりと外に出て、デパートのウィンドウをじっと覗《のぞ》いたものだった。
それにしても大学の四年間を通じて、一体銀座通りを何往復したことだろう。のベキロメートルにして、一体どれだけ歩き回ったことだろう。そして歩きながら交わした夥《おびただ》しい青春の会話。
どこか別の大学のオーケストラで、アルバイトをしたりした時のギャラを握りしめて、私と親友は千疋屋《せんびきや》へ駈《か》けこむ。千疋屋のフルーツパフェには、その頃どこの店でも使わない本物のメロンが入っていたのだ。そして値段も学生には不相応に高かった。千疋屋のフルーツパフェも青春の味である。
やがて銀座のどまん中に職を得て、三年間働き、結婚、出産のため私と銀座の深いつながりが、ついに切れた。
しかしあれから、二十年以上過ぎた今でも、私にとって銀座でなければ、というものがいくつかある。
イエナの洋書。ワシントン靴店でしか買えないクィーンサイズの靴。(うちの娘たちの足のサイズはみんな二十五センチなのだ)セゾン劇場での興味ある演劇など。
銀座に出るとランチは必ず『大増』のタイ茶漬ときめている。
夥《おびただ》しく変わる都市の街とは違い、銀座には二十年前に存在した店が、今でも変わりなく存在している。これはとてもうれしいことだ。
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