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ある日、ある午後16

时间: 2020-03-31    进入日语论坛
核心提示:�詩人�ムッシュウのことまだ人生について何も知らない十九歳の時のことであった。ある夜、一度も会ったことのない人から電話が
(单词翻译:双击或拖选)
�詩人�ムッシュウのこと

まだ人生について何も知らない十九歳の時のことであった。ある夜、一度も会ったことのない人から電話が私にあった。
知らない名前だった。聞いたこともない声だった。
彼は私の知っているある絵描きの名を上げて私を安心させ、一度会いたいのだけど、とたくさんの沈黙を混じえる話しかたで、私に語りかけた。
その声の静けさと、言葉の間にひんぱんに挿入される沈黙の暗闇《くらやみ》とが、私の胸をわしづかみにしたのだった。
——知らない人に誘われても、ついて行ってはいけませんよ——不意に子供のころ繰りかえし言われた母の言葉が私の耳によみがえった。——知らない人と遠くへ行ってはいけません。
私は翌日彼に会い、一目で恋に落ちた。彼は、彼の声にそっくりだった。つまり、彼の声の体現するものに。
人々は彼をムッシュウと呼び、詩を書かない詩人だと私に教えた。私は狂ったように彼にのめりこみ、毎日のように彼に会い続け一年が過ぎた。
私の母は心配のあまりやせ、父は毎晩のように門限をはるかに過ぎて帰って来る娘を、起きて待っていては時々殴った。
私は父を安心させようとしてムッシュウを紹介したが、結果は最悪だった。彼の風体を一目見るなり父は激怒とショックで蒼白《そうはく》となった。二十数年前には信じられない長髪で、ヨットのデッキシューズのような靴を素足ではいていたからであった。
しかし父が激怒したのは、娘の恋人が、彼の常識と理解をはるかに越えた見知らぬ男であったからであった。その見知らぬ男が、娘を遠くへ連れ去ってしまったからであった。
ある時、父は一通の書類を私の前に置いた。興信所の報告書であった。ムッシュウには妻のような人がいたのだった。その女性を私はよく知っていた。毎日のように顔を合わせていたムッシュウの仲間の一人であった。
私の恋はそのような形で突然終わったが、彼との友情は残った。彼は私に実存主義を教え、セザール・フランクを語り、パウル・クレイを、カミュを、フォークナーを教えてくれた。
やがて私は別の男と恋に落ち、結婚した。当然のように新婚の夫にムッシュウを引き合わせた。私たちはみんな友達になれると思ったのだ。
けれども夫は激しい拒否反応を示した。「彼は何者か?」とまるで異星人であるかのように言った。そして私に彼と会うことを禁じた。
多分、夫もまた、昔父が感じたように、ムッシュウが私の心を遠くへ連れ去ることを恐れたからだろう。
それでも私は時々こっそりとムッシュウに会い続けた。二十数年が流れ、つい先日も一緒にお茶を飲んだ。これからだって会うと思う。
ところで私と彼との関係は常に淡白であった。彼はただの一度も指一本私に触れなかった。そのように彼は私を愛してくれた。そしていまだに彼は一行の詩も書いていない。
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