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ある日、ある午後20

时间: 2020-03-31    进入日语论坛
核心提示:昼下がり三十代の頃、私は昼寝ばかりしていた。昼食の後、読みかけの本を持ってベッドにもぐりこむのである。その頃、一日がやた
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昼下がり

三十代の頃、私は昼寝ばかりしていた。昼食の後、読みかけの本を持ってベッドにもぐりこむのである。
その頃、一日がやたら長くて、私は時間をもてあましていた。子供たちが学校へ行くようになり、私にはもうやることがあまりなかったのである。
することがないので、本を読んだ。一日に二冊くらい読んでしまう日もあった。
いくら本を読んでも満たされることはなかった。胸がいつもひきつれたようで、うつうつとして常に哀《かな》しかった。
理由もわからずに焦っていた。するとますます胸が波立ちひきつれが強まった。
そういう時、本を読んでも気がまぎれなかった。だから私は昼寝をするようになったのだ。
三十分くらい眠って、さっと起きシャワーを浴びれば快適なのに、いつまでもグズグズしていた。不思議なことに、昼下がりの眠りはダラダラといつまでも続けられるのだった。
躰《からだ》のふしぶしが重く痛み、ダラダラと眠っていることに心身ともにうんざりすると、私はベッドから起きだす。夕方になっていることも、多くあった。
口の中が苦く、躰は熱をもったように熱かった。この時私は自嘲《じちよう》をこめて「眠り病」と名づけた。
私の「眠り病」は、現実からの逃避であった。眠っている間は、色々と思い悩んだり、死ぬほどの倦怠感《けんたいかん》に怯《おび》やかされることはない。
「眠り病」は三年ばかり私にとりついて私の持病となった。それはある時私にも小説が書けるかもしれないと奇妙なことを思いついて、実際に書き出してみる前日まで続いた。
そして小説が一冊生まれると、私の「眠り病」はあとかたもなく治ってしまったのである。
あれから十年の歳月が流れた。時々、あの頃のことを考えると、やっぱり口の中に苦い味が広がるのだ。
天気の良い夏の軽井沢の昼下がり。木《こ》もれ日がチラチラと庭に落ちるのを見ると、あのふつふつと悲しかった無為の日々のことを、まざまざと思いだすのだ。
あるいは、この地方特有の、どしゃぶりの雨がくる日もくる日も続く時など、ベッドの中でウトウトしながら聞いたあの雨音がよみがえるのだ。
風が吹いても嵐《あらし》になっても、秋晴れの美しい日でも、私の記憶にある昼下がりは、そんなふうであった。『情事』を書きだしたのも、また劇的な昼下がりのことであった。
その夏、軽井沢には異常に雨が多かった。土が溶け出して、道はボコボコになり、庭の地盤もゆるんでいた。
ヒマラヤ杉や庭の大木も降りしきる雨に打たれて、ひたすら惨めそうにうなだれていた。
私は木もれ日を思い、秋の透明な日射《ひざ》しを思った。
——夏が終わろうとしていた——という第一節で小説が書きだされた。私が書いているというよりは、何かの見えない手が、私の手に宿って、私に文字を書かせているというような感じが、しきりにしていた。今でも時々私は、私の手に宿る何者かの見えない手の存在を感じることがある。その何者かの手を、何と名づけたらよいのだろうか。
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