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ある日、ある午後26

时间: 2020-03-31    进入日语论坛
核心提示:別れの美学私の小説のテーマは、別れである。もっと正確に言うと、男と女の関係が次第に破綻《はたん》に向かうその過程《プロセ
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別れの美学

私の小説のテーマは、別れである。
もっと正確に言うと、男と女の関係が次第に破綻《はたん》に向かうその過程《プロセス》にだけ、私は興味を覚えるのだ。
この私の一連の小説を評して、男にとって都合がいい女たちが描かれている、と言われたことがある。
つまり、自立しているから、別れを怖《おそ》れない。男に捨てられても、髪ふり乱したりしていつまでもつきまとわない。プライドが許さないのだ。
むしろ男が少し冷たくなってきたかな、と早めに察知して、女の方から別れの準備をしたりする。別れ話に逆上して刃物ざたにもならないし、愁嘆場とも無縁だ。
男が、「そろそろ僕たち別れようか」
と言いだすと、
「あなた、別れたいの? じゃいいわ」
とあっさり応じる。あまりの簡単さに、男の方がかえってうろたえるくらいだ。
あっさりと応じるということは、別れが辛《つら》くないわけではない。私の小説の主人公たちは、別れ話をきりだしたとたん、あるいは相手が自分と別れたがっていると察知したその瞬間から、自分の方で相手を切ってしまうのだ。
それは一瞬の決断である。
なぜ一瞬にして、好きな男と別れる決意がつくのか?
彼女たちはまず怒りを覚えるわけだ。
——私と別れたい? この私を捨てるの? ——。
それは絶対にプライドが許さない。
——じゃ別れてあげるわ——。
と一気に結論を出す。ただし、こう続く。
——今にみていらっしゃい。いつか、私と別れたことを必ず後悔させてみせるわ——。
この最後の胸の中の呟《つぶや》きが、彼女を支えるのである。そしてたいてい、そういう女たちは何年か後に別れた男と再会し、彼らをじだんださせる。別れた男たちはもう一度彼女を求め欲するが、彼女には戻っていく気など最初から更々ない。二年前に自分を捨てた男なんて、というわけだ。
だから私の小説を読んで、男に都合の良い女たちだね、というのは早計だと思う。男に捨てられたとみせかけて、実は、女が男を見捨てる小説なのだ。
第一、私は、別れに美学があるとは思わない。別れというものは本来美しいものではない。怒り、嫉妬《しつと》、復讐《ふくしゆう》、悲しみ、絶望といった感情で、がんじがらめになるのが、別れなのだ。
だから、別れをどうくぐりぬけるかではなくて、その別れによって、自分がどれだけ人間として推進され、豊かになれるかということだと思う。
別れにともなうエネルギーを、マイナスにではなく、プラスの方向に使うことなのだ。
『風と共に去りぬ』のラストシーンを思いだしてみよう。身心共に傷ついて、たった一人ぽっちになってしまったスカーレット・オハラが呟く言葉。
「明日があるじゃないか」
明日がある。そうだ明日がある。明日からがんばろう。
明日になったら、また考えてみよう。
あのラストシーンで彼女が感動的に美しかったのは、別れに打ち勝っていく姿である。別れに負けなかった。その苦しみや悲しみにどっぷりと浸ってしまうことを、選ばなかった。苦しみや絶望を、直ちに生き残ることへのバネに変えた。そのどたんばの強さなのではないだろうか。
悲しみにどっぷりと浸り、青ざめてしおれた花のようにしている女たちに、私は同情を覚えない。悲しみに呑《の》みこまれ、苦痛に流されるままになっているさまは、絶対に見よいものではない。
雄々しい女たちがいいと思う。
多分、私の描く女たちは、男がきりだす別れ話を、悲しいとか絶望的だとかいう思いでは聞かないのだ。彼女が感じるのは、怒りだけである。
男が自分を捨てることに対する怒り。これは相手に対する怒りだ。それから捨てられる自分に対する怒り。
相手だけを恨みつらみするのではなく、自分にもある程度の反省が加えられるかどうか。これが大事なのである。
反省がなければ、その人間は決して向上することはない。
そして私は、別れに際して、自分に反省が加えられる女性を尊敬する。
世の中に、別れのない出逢《であ》いなどひとつもないのだ。そして、更に言えば、その恋愛がめくるめくような歓《よろこ》びで満たされるのも、別れをそのどこかに隠しもっているからである。
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