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ある日、ある午後27

时间: 2020-03-31    进入日语论坛
核心提示:十年一区切り毎年軽井沢を後にする九月の初めに、来年こそは避暑地に仕事を持ちこむまい、と固く固く決意するのだが、それが実行
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十年一区切り

毎年軽井沢を後にする九月の初めに、来年こそは避暑地に仕事を持ちこむまい、と固く固く決意するのだが、それが実行されたためしはない。
全く原稿を書かないということではなく、朝の早いうちに五枚くらい書いて、娘たちが起きだしてくる九時頃には仕事を終え、彼女たちと一緒に自転車に乗ってテニスコートへ出かけて行く、というのが、理想なのだ。
そして午後は、普段は手の出せないような本をじっくり読む。
四時頃ジントニックを作って、鳥の声などききながらゆっくりと飲む。
こういうことを、私は以前ごく普通にやっていたのである。原稿を朝のうち五枚書くかどうかは別にして、軽井沢に避暑に来ている女たちは、多かれ少なかれそんなふうに暮らしている。
これが贅沢《ぜいたく》でなくて何であろうか。ゆっくりと流れる刻《とき》。良い書物。適当なスポーツ。
三度の食事は美味《おい》しいし、空気はひんやりしているし、電話もあまりかかってこないし。そして、そうそう昼寝。
ウトウトしてきて手にした本が床に落ち、それを拾い上げるのもめんどうで、そのまま眠りの世界へと滑りこんでいく瞬間の、幸福感。
一体私はどこでそうしたささいな楽しみを、取り落としてしまったのだろうか? 失ってみて初めてその良さがわかるということが、人生には実にしばしばあるものだ。
そうなのだ。十年前には、私は昼寝も書物もゆっくりと流れる時間も、全《すべ》てに倦々《あきあき》としていたのだ。テニスは退屈しのぎであり、読書もまたそうだった。
昼寝は、そうした無為な時を過す自分に対する嫌悪感を一時忘れるための、逃避であった。
つまり私は同じ一日という限られた時間を、昔は長すぎるともて余し、今では短かすぎると嘆いているのである。
それにしても、どうしてこう両極端になってしまうのであろうか。
十年一区切りという。軽井沢で『情事』を書いた夏の日から、今年でちょうど十年である。そろそろ何かを変えなくてはいけない。
自分自身はそうは変わらないから、風景を変えようと思うのだ。
娘たちも大学・高校に通うようになり、上の二人は九月からイギリスにやって勉強させる。これを機会に、ロンドンに手頃なアパートメントを借りて、年のうち二、三か月あちらで生活してみようかと、ひそかに考えている。
娘たちは、子離れしない母親だと苦笑しているが、どっこいそんなことではないのだ。ロンドンには文化がある。劇場やオペラ座がたくさんある。私は充電しなければならないのだ。
今年は軽井沢に八月十五日までしかいない予定だ。上の娘二人をロンドンに送りかたがた、さっそくアパートでも物色しようかと思っている。来年の夏はどこで、どんなふうに過ごすことになるのだろうか。
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