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ある日、ある午後29

时间: 2020-03-31    进入日语论坛
核心提示:ターニングポイントつい最近、私は従弟《いとこ》を癌《がん》で失《な》くした。まだ四十代前半の働き盛りであった。小学校に上
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ターニングポイント

つい最近、私は従弟《いとこ》を癌《がん》で失《な》くした。まだ四十代前半の働き盛りであった。小学校に上がるか上がらないかの幼い子供たちと妻と、もうじき八十歳になる老母を残しての、あまりにも無念の、そして無惨な死であった。
私は彼を見舞うために、アメリカへ行った。急な知らせだったので、動転するあまり、なぜか頭から行く先をボストンと思いこみ、タクシーでリバーサイド通りというのを、一日中探しまわった。
けれどもいくら探しても目ざす番地がみつからない。黒人のタクシードライバーは無愛想で、不親切で段々泣きたくなってきた。ようやく従弟の家に電話をしてみると、ボストンではなくシカゴだという。なぜ、そんな思い違いをしたのか訳がわからず、私は今度は唖然《あぜん》として、本当にポロポロ泣きながら、飛行機の切符を買い直し、シカゴに向かった。とにかく、従弟の癌のニュースで気が転倒していたのである。
 私の従弟は、変わりはてた姿で、ベッドの中でうとうとしていた。モルヒネのせいだった。モルヒネは、打ってもすぐに効かなくなって、そうすると彼の意識は、ぞっとするようなすさまじい痛みと共に戻って来て、私のことがわかるのだった。
一眼見て、私の心臓は縮み上がり、足がすくんだ。従弟は、骨と皮と苦痛《アゴニー》だけの存在のように見えた。そして私の胸に、激しい怒りが忽然《こつぜん》と燃え上がった。
なぜ人は死ぬ時に、こんなに痛み苦しまなければならないのか、という思いである。従弟の姿を目《ま》のあたりに見た時、そうした激痛——人間としての尊厳まで奪い去ってしまうほどの酷《ひど》い痛みは、およそ無用であると感じた。
医学が発達し、あらゆる薬が作られ、すばらしい医療技術が進んだ。にもかかわらず、死にむかう人々の痛みが取りのぞけないなんて、どうしたことであろうか。
臓器の移植が出来たり、複雑な脳や心臓の手術が可能になり、人を長く生きさせるようにはなったけれども、私たちが死ぬ時のケアが、全くなされていないような気がするのだ。
私は、人間として尊厳をもって死にたい。肉体や神経や骨や臓器の激痛に、泣き叫びながら、死にたくはない。あるいは泣き叫ぶ体力も全くなくなるほどの苦痛に打ちのめされたまま、死にたくはない。私は死ぬのなら、自分の死にかたや死の時機を自分できめたい。いたずらに、苦痛に打ちのめされたまま、モルヒネなどで、無理矢理に生きのばされたくない。
医者は、あるいは国は、あるいは私たち一人一人は、やがて誰《だれ》にでも平等に訪れる死に対して、考えなければいけないと思う。安楽死の問題も含めて、死の医学、死の学問、死のカウンセリングのようなものが、必要なのである。全《すべ》ての人は尊厳をもって、死にむかう権利がある。苦痛の中に、私たちの老いた肉体や魂を放置しておくのは、医者たちの怠慢であるとすら、私は考えている。
従弟《いとこ》の姿を見て、私が強く思ったのは、そういうことであった。私たちは、それが誰であろうと、人を(あるいは動物全てを)、骨と皮と激痛だけの存在にまで放置すべきではないのである。
人は誰《だれ》でもやがて老いて死んでいく。それは仕方がない。でももし、私たちに、少なくとも苦痛のない死がせめて約束されていたら、私たちの生というものが、どんなに救われるだろうか。おそらく人はもっと幸福に、満たされて、充実しながら生きられるのではないか。
良い年の取りかたをしたい、と最近つくづく思っている。私たちの老年というものは本来、自分たちが若い時、汗水たらして働き、まいた種がやがて実り、それを刈り入れる時なのだ。
私は、何が財産かといって、友人ほど大事なものはないと思っている。もしも、よい友だちにめぐまれたら、それは名声や仕事の成功よりも、はるかに、私を満たしてくれる存在になると思うのだ。
夫が多分先にこの世を去ることには覚悟が出来ても、友だちが一人もいない老後なんて、とうてい耐えられないような気がするのだ。
それでは良い友だちとの友情を、どうしたらこの先もずっと保ちつづけることが出来るのだろうか?
私の失敗例をまず書いてみよう。五年ばかり前、とても親しい女友だち五人ばかりと、週に一度はランチを食べたり、飲みに行ったりしていたことがあった。二、三泊の旅行も何度か一緒にした。それぞれ家庭があったから、家のことをちゃんとやった上でのことであった。
とにかく逢《あ》うと楽しくて、気が合って、ずっと友だちでいようね、と口にだして、何度も何度も誓いあった。
「年とったら、どうせ亭主はどこでも先にいくじゃない。そうしたら私たち一緒に住んで、共同生活しましょうね」
「その時は家も土地も売って、ハワイかどこかにそろって移住しない?」
「病気したらお互いに看病しあってね。あなたたちの死に水は私がとってあげるわよ」
などといったことを、大いに笑いながら話したのである。
ある時、その中の一人が、恋をした。その恋は急激に進展して、彼女はもう私たちを必要としなくなってしまった。集まりにもほとんど顔を出さないし、出しても途中で彼に逢《あ》うといって中座した。
時々一緒にランチをしたり、夜飲んだりすると、彼女は自分の恋や恋人や、二人ですることなどを熱い口調で話した。
逢えば必ず一人で、最初から最後まで、彼のおのろけだった。段々に私たちは退屈になり、しらけていった。
そのうちに、彼女の話はどんどんエスカレートしていき、ついには恋人がベッドの中でどんな様子かということまで喋《しやべ》るようになった。そしてそういう話は形而下《けいじか》的に面白いので、女たちもニヤニヤして聞いた。
やがて、何か月かして、その恋が終わり、彼女は傷心をかかえて、また私たちの集まりのレギュラーメンバーになった。
ここからが問題である。我々女は、彼女の恋をたきつけたり、からかったり、うらやましがったり、そそのかしたりしておきながら、ついに失恋をした彼女を温かく受けとめるということができなかったのである。自業自得よ。盛りのついた雌猫みたいだったんだもの、というのが、真情であった。女の友情というのは、そんなものなのである。
女友だちの恋愛を、心の底では嫉妬《しつと》し、受け入れることができなかった。そしてその女友だちが失恋して、ボロボロになって戻って来ても、抱きとめてやることもできなかった。
なぜこんなことが起こるのだろうか? 私は、距離感のせいだと思う。
どんなに親しくとも、あまりにも露骨に、髪ふり乱した姿を友だちに見せてはいけないのである。男と女の仲と同じことで、友情にも節度と神秘性は大事なのだ。
恋人とのベッドの中の一挙手一投足を友だちに喋《しやべ》りまくるような人を、どうして私たちは尊敬できるだろうか。尊敬も出来ないし、好きにもなれない。そのような節度がない関係というのは、必ず終わりが来る。
私たちの仲良しグループは、それから間もなく自然に解散してしまった。なんとなくお互いの恥部を見てしまったような気がしたからである。
グループの友情というのは、まず育たないと思った方がいい。友情というのは、ランチを食べて男の話をすることではないからだ。騒々しく喋り、着飾ったお互いの姿を見せあうことでもないのだ。
 友情というのは、ひっそりとはぐくまれるものだと思う。そして、本当の友人との会話というのは、「私が」という主語が少ない会話のはずだ。私がね、私はね、私ってね、という言葉がひんぱんに出るとしたら、その友情は長くは続かない。
反対に、「あなたは……」というように、会話の中に「あなた」が多くなるはずである。
同時に、自分がしてもらったらうれしいことを、相手にもしてあげる。人間関係の全《すべ》ての尺度はそれに尽きると思う。自分にとって快いことを、相手にしてあげる。そんなふうにすれば、必ず良い友情にめぐまれる。
「ねえねえ、聞いてよ。私、最近恋をしちゃった」
と言いたくとも、それは言わないことだ。不倫の恋の話などして、大事な友だちをある種の共犯関係にひっぱりこむべきではない。それを距離感というのである。
人妻の恋は、ひっそりとして、ひっそりと葬るべきである。それが出来ないのなら、恋愛などするべきではない。
ある時、私は親しい友だちからこんな電話をもらった。
「どうしている? 元気? あなたの一番新しい作品を読んだわよ。——小説の嘘《うそ》と本当を、私だけはよくわかっているつもりだけど、それでも、なんとなくあなたのことが気にかかるのよ。ほんとうに元気?」
こんなふうに電話をもらうと、胸がじんとする。ああこの人は本当に私のことを心配してくれているんだ。大事に思っていてくれているんだ、と感じることができる。
そんな時、私はこんな男と女の会話を思いだすのだ。
別れ話の後、いよいよ本当に別れていく時に男がこういうのだ。
「大丈夫かい?」
そして女はこう答える。
「いいえ」
「じゃ送ろうか」
「一人で帰るわ。一人で帰らなくては……」
そして女は毅然《きぜん》として踵《きびす》を返し歩み去る。
友情にもこれと同種の節度とプライドがあってしかるべきなのだ。だから私は、女友だちの優しい電話に対して、こう答える。
「また明日電話くれる? きっともっと元気になっていると思うわ。あなたのおかげで」
 もしも、私の老いの先に、尊厳死といったものが用意されていて、一人の良い友人にめぐまれていれば、老いていくということは、もはや恐ろしいことではないような気がする。
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