イギリスという国から連想するのは、『尊厳《デイグニテイ》』という言葉だ。
私にとってのイギリスとは夫アイヴァンその人そのものであるが、彼との二十数年にわたる結婚生活をふりかえってみて、イギリス人の夫をひと言で表現すれば、彼もまた『尊厳』の怪物であったと思う。
結婚して最初の日曜日、寛《くつろ》いだ気持ちで朝食の席に着くと、眼の前の夫がネクタイをしていたことに驚いたあの日から、イギリスの尊厳が私を支配し始めたのである。
その昔私は、洋画《スクリーン》の中でよく見かけたように、夫も妻も共にタオル地か絹のガウンをまとって、日曜の朝食の食卓を囲むという図を、夢見ていたのだ。そして夫が妻のカップにコーヒーを注《つ》いでくれるとか。
それなのに私の新婚の夫は、日曜日の朝なのにもかかわらず、きりっとネクタイなどしめ上げて、私にモーニングコーヒーを注いでくれるかわりにジャパンタイムズのクロスワード・パズルになど熱中しているのだった。日曜日の朝のネクタイとクロスワード・パズルは、イギリス人の象徴である。
とにかく家では夫がいばっている。家庭内では男による絶対専制君主の国なのである。にもかかわらず女王様がおり、女の首相をいただくというのがなんともおかしくてならない。片腹痛しといったイギリス男の心境であろうか。
しかしデニス・サッチャーにしろ、エディンバラ公にしろ、ご自分の妻であるマーガレット・サッチャーやエリザベス女王の陰で、それは心を砕いて彼女たちを支えているのが感じられる。有名な女、強い女、権力を持つ女をそうして陰で支えられるのは、真に立派な男だからである。その男性にほんとうに力がなかったら、そうした女性たちのたづながとれるわけがないからだ。デニス・サッチャー氏もエディンバラ公も、実に穏やかで良い顔をしている。イギリスの男性というと私がすぐに思い浮かべるのはこのお二人である。
私は、女性と上手に折りあっていける男性が好きだ。それは決して単に優しいということではあり得ない。力強くて、優しくて寛大で、ユーモアがあり、そして頭のてっぺんから足の先までを『尊厳』がきりっとつらぬいている。それがイギリスの男性である。
時々、夫をも含めてイギリス人を考える時、『武士は食わねど、高楊枝《たかようじ》』という言葉が頭に浮かぶ。やせがまんも彼らの特質である。