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ある日、ある午後33

时间: 2020-03-31    进入日语论坛
核心提示:三千円のロイヤルオペラ東京にロイヤルオペラが来た時、私は『サムソンとデリラ』と『コシファンドッティ』の切符を二枚ずつ買っ
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三千円のロイヤルオペラ

東京にロイヤルオペラが来た時、私は『サムソンとデリラ』と『コシファンドッティ』の切符を二枚ずつ買った。夫婦で一夜のオペラ観覧料が五万円である。
ロイヤルオペラにしろ、シアターにしろバレエにしろ、外国の一流の出しものを東京で観ようと思ったら、法外なお金を取られると覚悟しなければならない。イギリス人の夫は、それがいかに法外であるかを知っているので、東京では我慢しろと言うのである。
東京では我慢しろと言ったって、住民登録をしてあるのが東京である以上、我慢だけしていたら永久に本場のオペラもシェイクスピアも観《み》られないではないか。
それで我慢しないと、ロイヤルオペラに二回行って金十万円がところふき飛ぶのである。
ロンドンで同じものを観れば、値段は約三千円ですむ。私は狂喜したものだ。
そんなに安いのなら、ロンドン滞在中の八日間、毎晩色々なものを観ようじゃないの、と、さっそくプログラムをきめ、今日はオペラ、明日はシェイクスピア、明後日はミュージカル、と予定表を作ったのだ。
いざ切符を買う段になって真青になった。どれもこれも満席で、ほとんどが売り切れなのだ。『レ・ミゼラブル』など六か月先まで一席の空席もないと言われた。四方八方に手をつくし、コネクションとダフ屋様の尽力で、ようやく手に入れたのが『リチャード㈼世』とミュージカルの『チェス』。実にラッキーであった。
当たり前のことであるが、シェイクスピアは英語で演じられたものを観るべきである。シェイクスピアの日本語劇など、歌舞伎を英訳したのを観るようなものだとつくづく思った。
それに改めて気がついたが、イギリス人の舞台装置と衣装の色彩感覚が最高に素晴しいのだ。ひとつひとつの場面が、一ぷくの名画を見るような、計算された洗練があるのだ。
実を言うと、このたびのロンドン滞在でひとつの決意をした。絶対にロンドンにアパートを買うか借りるかして、年に三、四か月はここに住もうと、私は心に固くきめたのだ。
その理由の最大のひとつが、ロンドンのエンターテイメントの質と量の豊かさである。それとチケット代の安さである。
『リチャード㈼世』を観たロイヤル・シェイクスピア劇場では、中程の最上席の椅子《いす》の背に、個人のネームプレートが打ちつけてあった。さすがだと溜息《ためいき》をついた。いつか私も椅子の背に自分のネームプレートを取りつけたいものだ。
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