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ある日、ある午後41

时间: 2020-03-31    进入日语论坛
核心提示:エーゲ海航海誌一九八七年八月二十日東京の自宅を出たのが昨日の午前八時。ロードス島に向かっているのだが、丸一日半たった現在
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エーゲ海航海誌

一九八七年八月二十日
東京の自宅を出たのが昨日の午前八時。ロードス島に向かっているのだが、丸一日半たった現在地はまだローマの空港。
乗りつぎの時間が悪くて、私の乗るアテネ行きは六時間も待たなければ出発しない。もっと早い便にキャンセルでもあればと掛けあうと、多分あるだろうという。
いつわかるのかと訊《き》くと、出発の三十分前にははっきりするはずだというのだ。そこでキャンセル待ちの予約を入れておいて、朝の空港の中をぶらついた。端から端まで歩くと一キロ半くらいはあるかもしれない。途中にクリッツァの店が開いていたので、東京とローマの値段の違いを知りたいと思い、とびこんだ。
ところがそういう場合、とうてい空手で店を出て来たためしがないのだ。その時も例外ではなく、両脇《りようわき》に長いスリットの入ったスカートとウールシルクの大きなスカーフを買ってしまっていた。両方で四万円弱だから、むろん東京でクリッツァを買うより相当に安い。しかし、何がなんでも必要な買物というわけではなかった。これというのも待ち時間が六時間もあるせいなのだ。
とにかく今やヨーロッパはバカンスの真最中。ギリシャに向かう飛行機はどれも満杯なのだ。ヨーロッパにかぎらず東京とて同様で、成田アテネ間の直行便は満員で取れず、しかたなくローマ経由でアテネに入るという方法を取らざるを得なかったのだ。
昨夜は、夕方の六時から夜中の十一時半まで、バンコック空港のトランジット用の特別待ち合い室に坐《すわ》っていた。猫も杓子《しやくし》もバカンスのあおりをくらって、目的地ロードス島への道のりは、成田からバンコックへ。そしてローマ経由でアテネ。そこからローカル便でロードス島という順序である。最終的にロードス島に足を下ろすのは、なんと我が家を出てから丸々二日、四十八時間後ということになる。ジェット機やコンコルドが飛ぶこの時代には、嘘《うそ》みたいな話。それもこれも地球規模のバカンス騒ぎのせいである。
それにしても、空港待ち合い室というのは、興味深い人間観察の場所だ。それこそありとあらゆる国籍の人たちが右往左往しているのだ。そして当然日本人の団体さんもぞろぞろと、そうなのだ。ぞろぞろとした一団がいると思うと、それは日本からの団体さんなのだ。
例によって添乗員につき添われて幼稚園の遠足みたい。
「はいみなさん、この辺でなんとなく集まっていて下さい。バラバラに散ると乗り遅れますから、グループから決して離れないように。では名前を呼びますから返事を大きな声でして下さい」
ハーイ、ハーイとあちこちで元気の良い中小企業の部長さんや課長さんや、その奥さんたちの声が上がった。やれやれ。
「ちょっとおネェちゃん、写真一緒に撮らしてよ」と、四、五人が群れをなして金髪の女の子たちにたかって行く。カメラをかまえると、相手の困惑もおかまいなく、入れかわり立ちかわりパチリパチリ。
「おーい、このベッピンが撮らしてくれるってよォ」とわざわざ仲間に大声で呼びかける。そうかそうかと、赤ら顔のおじさんたちが、ガニマタでその方へと押しかけて行く。
外国の空港にいると、日本人の男たちのガニマタがことさらに強調されてよく目立つ。それからあたりはばからぬ大きな怒声。団体さんのマナーは相変わらずちっとも良くなっていない。
出発十分前にようやくキャンセル分の座席にありつけて、私は搭乗手続きをした。
「私のスーツケース大丈夫でしょうね。必ず積んでもらえるでしょうね」
と十回くらい念を押し、シィー、セニョーラ、もちろん、と調子良いローマ男。不安をぬぐえないまま、一便早い飛行機でアテネに。そして案の定。私のスーツケースは乗り遅れてしまったのだった。
結局何のことはない。一便早めたつもりが、当初の予定通り次の便で、スーツケースは到着した。次の便といったって、五時間も後のことだ。同じ待つなら、アテネ空港よりローマの空港の方が、はるかにましなのだ。この旅行は全くついていない。
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