エーゲ海航海誌
八月二十七日
ピーターが水を節約するようにと、みんなに言い渡した。タンクに貯めた水が底をつきかけているのだ。次の給水地には明日の夕方まで着かない。
おかげで娘たちは、むやみに水を流しながら歯を磨く習慣が改まった。洗面器に軽く二杯で、水浴をするコツをのみこんだ。でも並々とお湯をたたえた日本のお風呂《ふろ》に入りたいよ、と娘たちは私に訴えた。
サーシェからダーセックという、無人の港へ移動。レストランひとつない。人家もない。野生のヤギの親子が三匹。ロバが二匹、草を食《は》みながら移動していくのが、あたりに動く唯一の生き物の姿だ。
ここもトルコ特有の荒涼とした岩山に三方を囲まれたチャーターヨットのための入江で、三|艘《そう》の先客があるだけ。
水はこれまでで一番美しく澄んでいる。でもここにも小魚がチョロチョロしている他、魚の姿はない。
夕方、八十歳だというトルコ人の老人が、小さな古い漁船でやって来て、ほんの一握りの青とうがらしを売りに来る。他には一袋のアーモンドがあるだけ。ペッパーが青とうがらしを買ってやる。老人は歯のない口をあけて笑った。
次にどこからともなく漁師の親子の舟が来て、中くらいのタコを三百円でどうかと言う。タイに似た魚が四匹で千二百円。とにかく他のものに比べると魚やタコは高いのだ。ペッパーはそれでも魚を四匹買った。少し古いのか、彼女が下のキッチンで内臓をさばくと、長いこと、生臭さがヨットのキャビンの中にこもって消えなかった。
夜になって、ギリシャ側の山の後ろが妙に明るい。無線のラジオをつけてみると、ギリシャの島のどこかで山火事が起きているのだという。朝から燃え続けて、まだまだ広がりそうだという。気のせいか、空気がほんのわずかきな臭い。