八月のはじめ、私たちはタイ国際航空のジャンボ機でシアトルまで行き、そこから二十九人乗りのプロペラ機でバンクーバーへ向かった。
更に水上飛行機に乗り換え、ようやく目的地の小島に上陸した。
最後に乗った水上飛行機はエア・タクシーとも呼び、大小の島の多いガルフアイランズでは、そこに住んだりセカンドハウスを持つ人々の、いわば空飛ぶタクシーなのである。
五人乗りのエア・タクシーは、私たち家族と各自ひとつずつ持ってきたスーツケースで一杯になってしまい、バンクーバーのスーパーマーケットで買って来た一週間分の食料品や飲み物は積み残し。
エア・タクシーがとんぼ返りして、その夥《おびただ》しい食料品の山を運ぶことになった。
さて、ガルフアイランズの中の小さなひとつの島が目的地である。
この島を手に入れるために、私と夫が三崎の別荘地を売り、貯金をはたき、更にカナダと日本の銀行に向こう十年間にわたり借金をし、そのあげく夫と大喧嘩《おおげんか》を重ねた、因縁と怨念《おんねん》の島である。
八月と十二月、私たちが島で過ごす時以外は管理人夫婦と犬一匹という人口二人の島。
私たちは食料品をアメリカ製の大型冷蔵庫三つと食料貯蔵庫に収めて、ようやく一息ついた。八月のバンクーバーはカラリと晴れて、ちょうど軽井沢の夏から湿気をとりのぞいたような気候。冬期に雨が集中するため、晴天が続く。
島なんて行ってもすることないよ、とぶうたれる三人娘のために、今年無理をしてプールとテニスコートを作った。
島にプールを作るということは大変にお金のかかることであったと、わかったのは後の祭り。
職人さんをバンクーバーやビクトリアからつれてくるのに、いちいちエア・タクシーを使わなければならない。そして週休二日制を厳守する職人さんは金曜日の夜中にお帰りになり、月曜の朝またやってくる。途中でお腹が痛くなったり、都合が悪くなったりで、エア・タクシーは行ったりきたり。その請求書がみんな私の方に回ってくるという仕組み。
ようやくプールが出来上がると、今度はそれを満たす水がいる。島ゆえに水道水がない。冬の間に降った雨水をためておく井戸とタンクがあるだけで、これは生活水として貴重な水。とうていプールの水までまかなえない、ということがわかったのも後の祭り。やむなくバンクーバーから水を大量に買って運んでくるという苦しい策。世界一高い水。世界一高いプールについてしまった。
まだまだおまけがある。真水では冷たすぎて泳げない。人間の体温に適した水温に保つには、温めなければならない。そのために大きな大きなオイルタンクが運びこまれ、昼も夜もサーモスタットで温め続ける。
夜になると気温が下がり、水温はどんどん冷めるから、夜中でもオイルは燃え続ける。十分ごとに千円、また千円と、眠りながら気が気ではない。我々ごときが島にプールを持つなど身のほどをわきまえないことだと、改めてつくづく思うと、これまた後の祭り。
電気は海底ケーブルで引いてきてあるので心配はないが、とにかく水不足が島の悩みの種。極端な節約を強いられる。
「あなたたち、東京みたいに水を流しぱなしにして歯なんて磨いたら承知しないわよ」
それからお風呂《ふろ》は底から十センチの水ですませること。シャワーを流しぱなしで使わないで、濡《ぬ》らしておいて体にせっけんをつけて、改めて洗い流すことなど厳重に強制しなければならない。「おトイレは小の方は二回に一回流すのよ」その点を除けば、あとはすばらしく快適だ。
外はかっと暑くとも家の中はセーターがいるほど涼しいし、家は広々としていて、居間では電話がなると体育館の中を駆けていくような感じで、日頃の運動不足を一挙に解決。
庭にはアンズやブドウやブラックベリーやリンゴ、ナシなどがふんだんに実り、砂浜をちょっと掘れば日本の三倍くらい大きなアサリがザクザクでてくる。鮭《さけ》もバンバン釣れるし、モーターボートで十分のところにある少し大きな島のスーパーマーケットは、島の分際でありながら青山の紀ノ国屋も顔負けの豊富な食料品や冷凍食品がズラリ。同じ量のものを紀ノ国屋で買う四分の一の値段で買える。
水不足でお皿も充分に洗えないから、紙皿を大量に購入。おかげで皿洗いからも解放されて。
水以外のものなら、島には何でもある。電気缶切りも電気泡立て器もマッサージ器も、サウナ室もテレビもステレオも。とにかくお金持ちのカナダ人はお金持ちのアメリカ人と同じで、電化製品はちょっとした電機屋並みにそろっている。そういう人から買った島なのである。
ただし電気炊飯器だけはなかった。こればかりはデパートにもなくて、バンクーバーの日本食料品店の棚の隅でホコリを被《かぶ》って売っているのを、ようやく手に入れた。
さて今夜のメニュー。目の前の浜から掘って来たアサリの酒蒸し。ニンニクと白ワインで作ったものをレモンバターで食べる。バケツ一杯のアサリを五人でペロリとたいらげた。これは前菜。次はステーキ。一切れ三百グラムのステーキが一枚七百円くらい。ステーキはバーベキューで焼き、お醤油《しようゆ》をじゃっとつけて熱々のごはんとサラダ。最後のデザートは、庭で採れたブラックベリーに泡立てた甘い生クリームをタップリかけて。もう舌がとろけそう。夕陽が海に沈むのを眺めながら、ゆっくりと夕食を食べ終わる。カナダの八月は夜の九時までまだ明るい。
さて明日、我が小島に林真理子と桐島洋子と深田祐介の三氏が訪ねて見える予定だ。このお三人、それぞれバンクーバーに別宅をおもちになろうとしている。いわば我が隣人である。林真理子氏はすでに一軒家を買って、バカンスを過ごしている。久しぶりの東京からのお客さまのせいで、私は少し興奮気味だ。それに、おトイレの水、二回に一回流して下さいなんて言えないし。