私がカナダに小さな島を買ったと知ったら、口の悪い友だちが、いよいよ亭主を島流しにするつもりかと言った。
とんでもない、あんな居心地の良い島なら私の方が島流しにされたいわ、と笑ったが、ほんとうに快適なのである。
島といっても無人島ではなく、家が二軒建っており、管理人夫婦が住んでいる。電気も水道もオイルタンクも全《すべ》て整っていて、大型の電気冷凍冷蔵庫が六つもある。地下から暖炉用のマキを運ぶための専用のエレベーターまでついている。なにしろ家が広くて、寝室からキッチンまで歩くと、下北沢の自宅から駅までと同じくらいの距離感がある。
アメリカ式文明のありとあらゆる利器を整えた寝室六つの家である。下北沢の小さな家と猫の額ほどの土地と比べたら、誰《だれ》だって島流しを希望するのに違いないのだ。ちなみに下北沢の百四十坪の土地を売れば、うちのカナダの島が十個は買える勘定になる。何が贅沢《ぜいたく》かと言えば、カナダに島を買うことではない。今の日本の土地の値段を考えれば、その気になりさえすれば自分の住いを売って誰《だれ》だってカナダに島を一個手に入れることが出来るのだ。
問題は、その島を一年の内にどれだけ利用できるかということ。往復の飛行機代のこともあるが、島で無為に過ごす時間の有無が最大の贅沢なのだ。
そんなわけで、本物のお金持ちでない私たちは、その贅沢とは無縁で、島は利用されないまま、静かな時の流れの中にひっそりと浮かんでいる。
カナダに対する認識の中でまちがっていたことがひとつあった。バンクーバーは寒いかと思っていたが、暖流の関係でちっとも寒くないのである。
その上物価は日本の三分の一くらいだろうか。天候が良く、環境も最高、その上物価も安いときたら、一日も早く島流しになりたいものだ、と本気で思う今日この頃である。
バンクーバーの街にも滞在してみたが、色々な国々に滞在してみた経験と比べても、かなり快適である。観光客に対する応対が温いのだ。町をざっと車で回ってみるとわかるが、思わず溜息《ためいき》のでるような家がいたるところに見られる。樹《き》が多くて、街全体が公園みたいなのがすばらしい。言ってみればバンクーバー中が田園調布という感じ。
そしてどこからも海の眺めがすばらしく、正にウォーターフロントの都市。私も夫も心底この都市に惚《ほ》れこんでしまったので、いずれ子供たちが手を離れたら、本気で自分たちの島流しの計画を考慮中である。
さて、ガルフアイランズのひとつであるうちの島へは、バンクーバーから水上飛行機で十五分の距離であるが、更に十五分反対側に飛ぶとヴィクトリアへ行ける。ということは、食料品やちょっとした買い物には、どちらの都市にも行けるということだ。
ヴィクトリアはミニイギリスといった風情《ふぜい》の街で、こちらの方は大分観光に力を入れているのがわかる。観光客も多いが、お年寄りの姿も目立つと思ったら、ここはカナダ人のリタイアの町とでもいうか、老後をヴィクトリアでというのが平均的カナダの人たちの手の届きそうな夢だということだった。気候が穏やかで、日照時間もバンクーバーより多いというのが主だった理由らしい。
けれども私が見るところ、エンターテイメントにしろ、レストランの質や種類にしろ、やはりバンクーバーには劣るようだ。ただし、バンクーバーよりは古い町だから、建物には独特の雰囲気もあるし、骨董店《こつとうてん》にも見るものが多い。もっともあくまでもミニイギリスであるかぎり、ロンドンに比べたら問題にはならない。カナダというのは歴史の浅い国だということを、至るところで思いださされた。世界一だとバンクーバー在住の人が連れて行ってくれた寿司屋では、さすがサーモンがすばらしく美味であった。ちょうどトロのような味なのである。寿司屋があれば、私はカナダでもアラスカでも暮らしていける。その寿司屋ではデザートにあんみつが出た。