夫の両親がまだ存命の頃、私たちは毎年クリスマスを英国北部のチェッシャーという美しい町で過ごした。
冬のイギリスは、どんよりと暗く、じめじめとした上に寒気の厳しい国で、晴天の続く日本から行くと、ほんとうに気がめいるのだった。朝も十時近くならないと明るくならないし、夕方は四時にはもうとっぷりと暮れている。
石造りの建物は灰色かレンガ色で、町には色彩がとぼしく、人々のオーバーコートの色も無彩色。たちこめた乳色の霧の中を、まるで人間は亡霊か影のように音もなく歩いていた。
けれども、クリスマス前後だけは例外で、その頃になると、どこもかしこもきらびやかな豆電球に彩られて輝きだす。無彩色の町だからこそ、湿気やモヤや霧の中に浮かび上がるクリスマスのデコレーションは、それは夢のように美しく、ロマンティックなのであった。
家々の窓には、人工の雪が吹きつけられ、やはり人工の星がまたたき、その奥にチラチラと点滅するクリスマスツリーが見えるのだ。
ある年、私と夫は三人の娘たちと五つのスーツケースをレンタカーに乗せ、ロンドンからM3を北上して、初めて夫の実家のあるチェッシャーに向かった。町に入った頃は、日も暮れ、建物の窓から黄色く温かい灯が落ち、赤や青の豆電球が点滅していた。|おじいちゃん《グランパパ》と|おばあちゃん《グランママ》の家が近づいていたし、娘たちは旅の疲れも忘れて浮き浮きと車窓に鼻を押しつけて外を眺めていた。
窓という窓は、それぞれ異なる額ぶちをつけた美しい絵のようで、彼女たちはあきることなく、くい入るように見つめていた。
「あの角を曲がると三軒目が、きみたちのグランパとグランマの家だよ」
と夫が教えた。
車はゆっくりと角を曲がり、モスレーンと名づけられた通りに入った。雪ダルマが白く描かれた窓を通りすぎ、豆電球がスダレのようにたれている陽気な窓をすぎ、そして——、ふっと夫の額が曇った。
三つ目の窓は暗く、家の奥の方からもれてくるわずかな明かりの中で、ドライフラワーがぽつりと置かれていた。
まだ幼かった娘たちは落胆というよりは、茫然《ぼうぜん》として、暗い窓を凝視していた。
両隣の心楽しげな明るい窓にはさまれて、夫の両親の家の窓は、火が消えたようなうそ淋《さび》しさを漂わせていたのである。
「さてと」
と夫はことさら陽気な声で言った。「明日の朝は早く起きなくちゃならんよ。みんなでクリスマスツリーを買って、あの窓を飾らなくちゃね。忙がしくなるぞ」
だがその夜はクリスマスイヴだった。その夜にサンタさんがノースポールからやって来て、子供たちのピロケースにプレゼントを山のように入れて行ってくれる日だった。そしてサンタさんは、クリスマスツリーの光をめざしてやってくる。クリスマスツリーは、ここに子供たちがいるんですよ、という印なのだ。娘たちの小さな胸に去来したのはそういう思いだった。深い失望が彼女たちを襲い、娘たちは固く押し黙った。
なぜおじいちゃんとおばあちゃんは、クリスマスツリーを用意してくれなかったのだろうか? 孫たちがクリスマスイヴにやって来るのを知っていたのに……。私は恨みがましい気持ちを抱きつつ、夫の後に従って、彼の両親の家のドアを叩《たた》いた。娘たちは泣きそうな顔で、私の後ろにたてに並んだ。
「きっと忘れてるんだよ。クリスマスツリーなんて、僕がイギリスを発《た》ってからもう十年以上も、きっと飾っていなかったのに違いない」
夫はそう言いわけのように言った。
私たちは、年老いた二人に迎え入れられて家の中に入った。居間に通され、娘たちが初対面のあいさつをして、そしてようやくそこに落ち着いた。
グランパとグランマがお茶を入れに台所に消えた間に、長女が言った。
「どうして、あたしたちの写真がどこにもないの?」
何年にもわたり送り続けた子供たちの写真や私たちの結婚の時のポートレートなどが、あるはずなのだ。そうしたもの一枚見あたらない。
「きっと、遠く離れすぎている君たちを見るのが、辛《つら》かったんだよ」
と夫がかわりに言いわけをした。
私たちは、歓迎されていないのだ、と、私は感じた。老人たちは自分たちの孤独と向かいあうだけで精一杯で、日本から期待に満ちて訪れた息子夫婦や三人の孫のことにまで、気持ちをまわす余裕はないのだろう。
やがてお茶になり、少しずつ気持ちが落ち着いて来た。ふと私はおばあちゃんの視線に気がついた。白髪《しらが》の彼女は、じっと丸いタカのような眼を孫たちに注いでいた。その横顔を見て、私にはわかったのだ。この人たちは、混血の子供を見るのが生まれて初めてなのだ。この町には日本人などほとんどいないし、ましてや日英の血の混った子供などいない。息子は十何年も前にイギリスを捨て去った。その息子が実に久しぶりに日本人の妻と子供たちを連れて来るといわれて、彼らは、ただただ途惑《とまど》っているだけなのだ、ということがわかった。なんだか彼らのつつましい平和を掻《か》き乱してしまったような気がして、私も夫も気がめいった。
しかし、ほどなく老人のむすぼれた心も次第にほぐれ、娘たちも父親の少年時代の部屋で一夜眠ると、ぎこちなさがとれた。クリスマスディに私と夫は七面鳥を買いに行き、ともかく一家でお祝いの食卓を飾ることができた。
その翌日、私たちは予定通りチェッシャーを後にして、スイスのサンモリッツに向かった。飛行機と汽車を乗りついで到着したサンモリッツは深々とした雪で、ホテルにはクリスマス後もずっとツリーが飾られ、ようやくほんとうのクリスマス気分が味わえた。娘たちはスーツケースを放り出したまま雪ダルマを作り始め、ひいらぎのカンムリをかぶせた。彼女たちの顔に笑顔が戻って私たち夫婦はほっとした。
次の年からは、小さなツリーが毎年、チェッシャーの両親の家の窓に飾られるようになった。あの年から十二年、夫の両親はもういない。あのレンガの家も手放して人手に渡った。私の長女は今年二十一歳になる。