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ある日、ある午後56

时间: 2020-03-31    进入日语论坛
核心提示:舞茸《まいたけ》の耳アンサンブルの楽しさを知ったのは、芸大の三年の芸術祭で、仲間たちと『鱒《ます》』を奏《ひ》いた時であ
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舞茸《まいたけ》の耳

アンサンブルの楽しさを知ったのは、芸大の三年の芸術祭で、仲間たちと『鱒《ます》』を奏《ひ》いた時である。
芸術祭のプログラムは、今はもうないが奏楽堂で行われた。
その当時私は頑《かたく》なにソロだけが好きで、しかもソロであれば何でも良いというわけではなく、ヴァイオリンとチェロだけに限られていた。とりわけオーケストラでガチャガチャ奏くことに神経が耐えられず、オーケストラの時間の出席率はひどく悪かったはずである。
弦楽合奏の時間が大学の一年と二年にあったが、これの指揮に当たったのが、金子登先生で、当時はまだ指揮科に入りたてのホヤホヤの若杉弘が、私たちを練習台にしてよく金子先生のかわりをしたものである。
考えてみれば若杉弘ことピーちゃんは、私たちのストリングオーケストラで腕を磨き、やがて私たちが、三年になると私たちのオーケストラでやっぱり腕を磨いたのだ。
先日何かの音楽会で彼とパッタリと逢《あ》ったが、当然のこととはいえ彼は私のことなんて全く忘れてしまっていた。
ところが、彼が私たちを練習台に一番最初に手がけて仕上げたモーツァルトのディベロプメントのことはとてもよく覚えていた。さすがに音楽家だと思った。
若杉弘が私のことを全く覚えていなくても不思議ではない。私は初めに書いたとおりオーケストラの出席日数も悪く、芸大ではほとんど落ちこぼれであったからだ。
さて『鱒』に話を戻そう。
何かの拍子で芸術祭でこれをやろうという話になったのだ。メンバーは全《すべ》て女性であるというのが、当時としては目新しかった。ヴァイオリン専攻は七〇パーセントが女性であったが、チェロとなるとぐっとへって二〇パーセント。コントラバスはわずかに一人。
アンサンブルというのは、完成したものを聴くより、奏《ひ》く側にいる方が、はるかに楽しいということを知ったのは、その時であった。
自分のヴァイオリンの音だけ気にしているわけには、当然のことながらいかない。たえず聴き耳をたてながら、自分の音を他の楽器の音色の中に織りまぜていく。
奏きながら同時に聴き耳をたてていると、私は自分の耳が舞茸のようにそそり立つのをしばしば意識したものだった。その瞬間、音楽家とは、この舞茸のようにそそり立つ耳を、たえず持っていなくてはならないものだと思った。
それはもちろん、様々な音を聴き分けるためということもあったが、主として歓《よろこ》びの快楽から耳が舞茸のようにそそり立つのである。
けれども『鱒《ます》』の時だけが例外で、それ以後二度と私の耳が音楽の歓《よろこ》びによって舞茸のようになることはなかった。
すぐれた音楽家の耳を見るともなく眺めると、私は何時も舞茸のことを連想する。若き日の若杉弘の耳もそうであった。
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