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ある日、ある午後57

时间: 2020-03-31    进入日语论坛
核心提示:プラシド・ドミンゴ『声・黒光り』現代はヴァイオリニストやピアニストまで、容姿の美しさを要求される時代である。楽器の演奏に
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プラシド・ドミンゴ『声・黒光り』

現代はヴァイオリニストやピアニストまで、容姿の美しさを要求される時代である。楽器の演奏に容姿は関係ないと思うが、切符の売れ行きには大いに関係があるらしい。
けれどもオペラではそうとばかりも言えないと思うのだ。『椿姫《つばきひめ》』や『蝶々《ちようちよう》夫人』を巨大な脂肪の塊《かたまり》に演じられては興味は半減以下になる。
オテロや『椿姫』のアルフレートが巨漢のデブだったら、やっぱり見る方のイメージが混乱してしまう。オペラというものは、聴くものであり観《み》るものであるからだ。耳の楽しみと同じくらい眼の楽しみも味わいたいのである。
こんなふうに考えるオペラファンが多いためもあってか、最近のオペラ歌手もずいぶん容姿に神経を配るようになって来た。
マリア・カラスだって、まだとても若い頃の巨体のままであったら、スカラ座の女王としてあそこまで君臨できたかどうか怪しいものだ。ましてや世界的富豪のオナシスの心と、雨あられと降る宝石の贈物を受けとめることができたかどうか。
プラシド・ドミンゴが一九七〇年代の半ばで、ダイエットや運動で減量に成功したことは、すばらしいことである。このために彼のレパートリも一段と増え、私たちオペラファンに限りない喜びを与えてくれた。なぜなら眼を閉じてオテロやアルフレートを聴くなんて悲しみとは、無縁になったからである。
容姿というものは不思議なもので、ずいぶん前、フリオ・イグレシアスの歌だけ聴いた時にはその声の感じから陽気な丸顔のラテン男を連想したものだった。それが舞台でフリオを近々と見て以来、彼の声の魅力は三倍にも四倍にも私の耳に聴こえるようになったのだ。
車の中で聴くカセットテープのドミンゴも、同様の楽しみを私に与えてくれる。他に迷惑をかけるわけでもないので、ボリュームを一杯にして聴く。時には「歌に生き、愛に生き」や、ぐっとくだけて「オ・ソレミオ」などを声の限りをはりあげて合唱する。彼は文句も言わずに一生懸命私と唄《うた》ってくれる。
彼の黒光りする声には、ただ美しくうっとりとするだけではなく、どこか聴くものの胸をかきたてるようなセンセーショナルなものがある。かつて、音楽大学の学生だった頃、上野の文化会館に通いつめてイタリア・オペラの練習風景を観る機会に幸運にもめぐまれた時、マリオ・デル・モナコの声に直《じ》かに接した時の最初のショックも、センセーショナルなものだった。モナコの声は、喉《のど》から血が吹きだしそうな一種壮絶な声だったことを忘れられない。そしてモナコとドミンゴの二人の偉大なテナーと同時代に生まれた幸福を思わずにはおれない。
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