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ある日、ある午後58

时间: 2020-03-31    进入日语论坛
核心提示:青春の読書どの年代をさして青春と呼ぶのかわからないが、私が一番外から刺激を受けたのは、十八、十九の頃。かなり青春時代の尻
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青春の読書

どの年代をさして青春と呼ぶのかわからないが、私が一番外から刺激を受けたのは、十八、十九の頃。かなり青春時代の尻尾《しつぽ》の方である。
読書傾向としては、断然フランスの現代物。フランソワーズ・サガンやサルトル、ボーヴォワール一辺倒であった。
時は同じく、映画でもヌーベルバーグ期で、私の読書傾向と映画とは微妙にダブっていた。
フランス映画はなぜか黒白《モノクローム》が多かった。二日とあけず映画館通いをしたおかげで、私の頭の中にはモノクロームのイマージュが定着してしまった。
今日小説を書いていてよく読者や知人に、私の小説世界はモノクロームの映画のようだ、と言われるのは、多分そのせいだと思う。
フランスの現代小説にかぶれるまでは、どちらかというと波瀾万丈《はらんばんじよう》の冒険小説ファンであった。『白鯨《はくげい》』とか、『バウンティ号の反乱』とかそういった類のもの。海洋冒険物語に胸がときめいた。
海洋冒険小説に胸がときめくのは遺伝のようで、私の父がそのジャンルのものが好きだった。父の書棚には見るからにスリル満点のタイトルの小説がギッシリと並んでいた。
不思議に翻訳物が多かった。もちろん日本人のものもたくさんあったが、私はなぜか西洋のものしか読みたくなかった。ストーリー性のあるものしか面白いと思わなかったのだ。
テレビのない時代だったので、本と映画だけが娯楽の全《すべ》てだった。活字を読まない日は、おそらく一日たりともなかったと思う。
今、うちの娘たちは、本を読む日を数えた方が早いくらいだ。とにかく活字を好まない。私の父の遺伝は、孫たちには及ばなかったようだ。
読み始めると止《や》められなくて、夜が明けてしまったということが、とてもたくさんあった。そしてあんなふうに小説世界にのめりこんで本を読むエネルギーこそ、青春そのものではなかったかと思う。
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