山田詠美とは編集者を混えて何度も食事をしているし、一緒に飲んだし、泊まりがけで旅行もしている。
普通同じ人と二回食事をすれば三回目からは友だちだと言えるはずなのだが、私たちの間には眼に見えない壁があって、二人を遠くへだてているような気がずっとしていた。多分、彼女も同じ気持ちを抱いているのだと思う。
私たちには、共通の言葉がなくて、でも必ず共通の思いはあるのに相違なく、その証拠に、機会があれば出かけて行って彼女を眺めていた。彼女も、私を眺めていた。先にも言ったように私と彼女には共通の喋《しやべ》り言葉がなかったからだ。
それに、私も彼女も、どうでもいいことは別にして、人前でトウトウと喋ることの出来ない一種言語喪失人間で、そんなわけでただただお互いを眺めているしか他にどうしようもないわけであった。
年齢の絶望的な開きというものも厳然としてあった。私が男なら、また別の有効なアプローチのしかたもあっただろうが。
しかし、もしも私たちの年齢が近かったとして、果たして私たちは語りあえるだろうか? 彼女の言葉を借りて言えば、一日に最低一回は手を握りしめて冷汗をかいていた女の子が、他人との関わりにおいてではなく自分自身との関わり合いで、どこにいても決して快適ではなかったという女の子が、ついにある夜中、こっそりと台所のテーブルで小説を書きだした。そしてどうしてだかわからないけど小説が書けてしまったという驚きの中で、自分がずっと望んでいたのはこうやって書くことだったのだというめくるめくような最初の体験——彼女はその最初の小説を創作のフタのようなものだと表現しているが——を経てその後も物を書き続けている女同士が、一体何をどのように語り合うことができるというのだろう? 彼女は二十五歳でそのフタを開くことが出来たが、私は三十五歳まで、掌に冷い汗をかき続け、これ以上負けのカードを増やしたら潰《つぶ》れてしまうギリギリの瀬戸際まで書くことが出来なかったので、「書くためには書かないでいる時間がすごく大切なんだなあ」などとさらりとはとうてい言えないが……。
つまり私が言いたいのは、山田詠美が小説家であるかぎり、そして私もまた小説を書く女であるかぎり、私たちは今後何十回食事をしたり一緒に旅に出たとしても、おそらく会話というものが存在し得ないのではないかという悲しい予感を抱くということである。私たちはお互いに興味を抱きあいながら、お互いの周囲を旋回《せんかい》する深海の二匹の鮫《さめ》のようなものなのではないだろうか。
私は彼女がとても好きだし、彼女も私の小説を好きだと言ってくれたことがあって、それは何なのだろうと長いこと考えていたが、『ひざまずいて足をお舐《な》め』を読んで、いたるところにその答えがちりばめられていた。色々な感情の原因と山田詠美がいうところのものを、私たちはお互いにたくさんもっていて、それを推測することで、辛うじて私たちの友情が存続しているのだろうと思う。
山田詠美は常に、自分の場所であって自分の場所でないところにいて、へらへら笑っているけれども、実はいつも泣きそうな心を抱えこんでいる。
この小説の中で、一番私の心に切りこんで来たのは次の箇所だ。
——もっと苦労して作家になった人だって沢山いるんじゃないの? その若さで元手がかかっているなんていうんじゃないわよ。お言葉ですけどねえ、お姉さん、私のは違うの。これから苦労することに対して元手をかけているの——。
この小説は多分に自伝的色彩の濃いものだと思うが、一人称の私——忍という年上の女の視点を通して山田詠美と思われる若い女ちかを描写している手法がとても興味深い。この手法のために、自伝小説にありがちな過剰なセンチメンタリズムや自己弁護が見事に排されている。しかも非常に分析的だ。作者の自分を見すえる冷徹で客観的な眼が随所に見られた。
私の眼を通さなければ私の小説にならないんだからさ、と言いきる山田詠美の視線を、敬愛して止《や》まない。
そうした小説の視線——あるいは文体、あるいはまた文才といったものが、どこから来るものであるかということについて、私はいつもある種の恐怖に似た思いを抱かずにはいられない。その才能は全く不公平に、ある人には与えられ、ある人には与えられない。神の気まぐれとしか言いようがない。私自身もこの気まぐれの贈り物を得た幸運な人間の一人だと、自惚《うぬぼ》れているかもしれないが思っている。
けれども、山田詠美の特質であるところの「心の中の浄化装置」を彼女のようにはもっていないので、そのあたりがまぶしいような決定的な差である。
——お姉さん、人は見かけによらないものよ——という山田詠美の声が当分耳を離れそうにもない。