今のお若い方はもうご存じなかろうが、昭和十年代に活躍した珍優で、高勢実乗《たかせみのる》という人が居た。この名前では首をひねる人も、アノネのオッサン、というと、これはもうそのころの人なら誰でも知っている。子供をはじめ大人たちの間でも、知名度という点では、長谷川一夫にまさるとも劣らなかったろう。
「アーノネ、オッサン、ワシャ(儂《わし》は)、カナワンヨウ——」
活字ではなかなかこのイントネーションが伝えにくい。頭のテッペンから出るような奇声で発するこの一言が、極《き》めワザである。奇声といっても、マイクのない時代の旅役者に共通のきたえた地声ということもできる。
そうして、眼《め》の下に墨で半円を描いて眼をまん丸に見せ、鼻毛の伸びたものと自称する長髭《ながひげ》を垂らし、おおむねは殿さま髷《まげ》をつけて出てくる。
アーノネ、オッサン、という奇妙な呼びかけが、実に受けた。おっさんという言葉が一般化したのはこれがきっかけだったと思う。全国津々浦々に伝播《でんぱ》して、小学校では児童がこのセリフを口にするのを禁止したところがたくさんあった。なにしろ、アーノネ、オッサン、といわれちまうのでは、先生の権威がこけにされてしまうのである。
そうしてこの流行語は稀《まれ》にみるほど生命が長かった。今日とちがって、戦時中だから、ほかにあまりこうしたナンセンスが生産されなかったせいもある。
けれどもこの人、もともとは映画発生期あたりから居る色敵《いろがたき》役者で、衣笠貞之助《きぬがさていのすけ》監督の有名な「狂った一|頁《ページ》」なんかにも出ている。色敵時代の彼を、私も一、二本見ているが、なるほど素顔は悪役の顔で、臭い役者だった。古い映画人に訊《き》いても、「あの人は勝手に大芝居を演《や》るんで、まわりがいつも演りにくかった」なんていう。
たぶん、山中貞雄《やまなかさだお》監督の後期の作品に、鳥羽陽之助《とばようのすけ》と組んでコメディリリーフをやりだしてからだと思うが、扮装《ふんそう》にこるようになった。それが極まって、アーノネ、オッサン、になったのは東宝移籍後であろう。
素顔で見ると、ただの悪役だが、アーノネ、オッサンなら、スターである。これでは素顔を捨てたくなる。
ただし、世間には絶対に居ない漫画の中の人物のようなものだから、スターになっても、主演はできない。易者とか、がまの油売り、藪《やぶ》医者、茶坊主《ちやぼうず》、せいぜいそんなところで、キャスト順位は別格だが、たったワンカット出てきて、アーノネ、オッサン、ワシャ、カナワンヨウ、という受けゼリフをいえばよろしい。それでおしまい。
そういう使い方しかできなかった。けれども、それで受ける。彼が画面に出てくると、映画館の子供たちが、いっせいに、彼のセリフに合わせて、アーノネ、オッサン——、と合唱し、ゲラゲラ笑うという有様を私も何度も見ている。
実にどうも、(色敵時代はさておき)かりにも役者の身で、このくらい人間を演じないで、架空の存在に徹した人は珍しい。その点でも、人気の点でも、前回の小笠原章二郎とはスケールがちがう。
私は高勢実乗のことを主人公にして小説を書きたいと以前から思っており、折々に古い映画人を取材して廻《まわ》っている。それで、未《いま》だに小説化する自信がない。というのは、彼に関するエピソードが、いずれも、表と裏の判断が必要なのである。奇行の多い人で、たとえば、ロケ先で蛇《へび》を捕まえては常食していたとか、すると、それは彼の奇優ぶりをPRするためにわざと演じていたので、実際はなかなか実直な紳士だったという説がある。それに対して、いや、あれこそ地で、どうしようもない変人なのさ、という説もある。
いろいろとエピソードを集めていくうちに、実体めいたものは測定はできるのだが、実在人物をこちらの想像で限定してしまうほど、今となってはデータが豊かなわけでもない。手短に私の想像をいうと、旅廻りの小芝居から叩《たた》きあげた人で、役者としての立身出世というか、成功に、とても執着していた。そういう意味では努力型で、勤勉でもあり、実直でもあったろう。同時に、成功のためならなんでもやるというタイプで、成功と同時に、いわゆる役者|馬鹿《ばか》にもなっていっただろう。
戦争の後半期に、映画の製作本数が減って、彼も実演に出ていたことがある。「オッサンの起《た》て一億の底力」という奇妙な題名の芝居、いや芝居とは義理にもいえない目茶苦茶なもので、殿さま髷をつけた怪人物に召集令状が来る、というなにがなんだかわからん代物《しろもの》だったが、これを打って廻っているとき、地方の小屋の楽屋に虎《とら》の皮の敷物を敷き、卵を持ってこい、生きた蛇を持ってこい、あらゆるわがままをいう。ところが彼の小一座は仕こみも安くて客の入りがいいから、小屋主もそのわがままをききいれる。
ある小屋で、ライトを倍に増やせ、といった。戦時中の電源節約というころである。そいつは無理だというと、では、電信柱を新しく建てろ、といったという。
こういう種類の逸話は、非常識で馬鹿な野郎だ、という笑話になるのだが、高勢実乗の述懐によると、
「役者というものは、人気があるうちはどんなわがままでも通る。わたしはわがままをいってみることで、自分の人気の量をいつも量《はか》っていたのさ」
ということだ。これはいかにも小芝居生え抜きの人の知恵で、ある程度本心だったのではないかと思う。彼のエピソードには、いつも彼独特の頭の動きによって作られている部分があり、それが他者には理解しがたくなるところなのであろう。
もう一つナンセンスなエピソード。
ある劇場の楽屋で、彼は金貸しから金を借りようとした。書類を手にして、
「私は印形《いんぎよう》というものは使わないよ。あんなもの、ハンコ屋に行けば誰でも造れる。印形を信用して手痛い目に遭ったことがあるからね。それからは、ハンコは使わない。私だけしか持っていないもので——」
といいながら、自分の股間《こかん》の一物を印肉につけて、それを印形代りに借用証に押した。
「さ、これでちゃんとした証書になった。では必ずお返しするから——」
金貸しは安心していると、半年たっても一年たっても返してくれない。
押しかけていって直談判《じかだんぱん》すると、
「金を借りた? そんなことがあったかねえ」
「いえ、あのとき、ハンコはまちがいがあるから使わないとおっしゃって、先生の身体《からだ》の一部に印肉をつけて押してくださいました。これがそのときの証書で」
「これが——? あたしの——? そうかねえ」
高勢実乗は再び、股間の一物を出して、その代用印形の跡にあてた。
「あ、こりゃあたしのじゃない、大きさがちがう」
といったという。できすぎた話。
彼の人気の盛りのころ、つまり戦争も日本が勝っていて、軍部が威張っていたころだが、
「この聖戦の最中に、ワシャ、カナワン、とは何事だ、敗戦思想だ」
といわれて、売り文句を使えなくなってしまった。だからそのころの映画では、アーノネ、オッサン、と呼びかけてはくるが、後半は苦しくごまかしている。「磯川兵助《いそかわへいすけ》功名|噺《ばなし》」というエノケン主演物では、がまの油売りになって、どうしても血がとまらず、アーノネ、オッサン、ワシャ、困ッタヨウ、といっていたのがおかしかった。
それでも敗戦の色濃くなると、そういう規制もうやむやになったらしい。「勝利の日まで」という将兵慰問映画は、慰問爆弾というのを内地から発射し、前線に飛んで爆発すると、高峰秀子《たかみねひでこ》が出てきて歌ったり、エンタツ・アチャコの漫才爆弾だったりという趣向だったが、その中で一発だけ、不発弾になって途中の海の中に沈んでしまうのがある。それが高勢実乗の爆弾で、海中に沈みながら、ワシャ、カナワンヨウ、とやっていた。
「エノケンの孫悟空」は正月にテレビでやったからご覧になった向きもあろう。高勢実乗は化け物の大王になって、孫悟空と化けくらべを演ずる。こういう所になると、あのエノケンを圧して、彼のあざとい奇優ぶりが精彩を放っていた。もっとも、色敵役の昔と同じく、「あの人は出てきただけでほかを喰《く》っちゃうから、どうもね」と役者からは嫌《きら》われていたらしい。
年齢不詳という感じだったが、オッサンで売り出したのは五十すぎと覚《おぼ》しく、戦後、ナンセンスがどんどんできる時代を迎えたら、あっけなく死んでしまった。
敗戦直後の焼跡の映画「東京五人男」で、ヤミ太りの百姓になって出てきたが、モーニング姿で肥桶《こえおけ》をかついでいる彼が、まだ眼に残っている。
今、関西の吉本新喜劇で老《ふ》け役をやっている高勢ぎん子は、往年のムーランの名花|鈴懸《すずかけ》ぎん子で、高勢の娘だ。そうして彼女の娘、高勢実乗には孫娘に当たる人が嫁《か》している先が、レオナルド熊《くま》やコント赤信号を擁しているプロダクションの社長で、近ごろテレビでもタレントふうに受けている石井光三だ。あの異様な関西弁で、社長ッ、といいながら弁当を配ったりする怪人が、高勢実乗の孫娘と結婚しているというのが、なんともおもしろい。
ある劇場の楽屋で、彼は金貸しから金を借りようとした。書類を手にして、
「私は印形《いんぎよう》というものは使わないよ。あんなもの、ハンコ屋に行けば誰でも造れる。印形を信用して手痛い目に遭ったことがあるからね。それからは、ハンコは使わない。私だけしか持っていないもので——」
といいながら、自分の股間《こかん》の一物を印肉につけて、それを印形代りに借用証に押した。
「さ、これでちゃんとした証書になった。では必ずお返しするから——」
金貸しは安心していると、半年たっても一年たっても返してくれない。
押しかけていって直談判《じかだんぱん》すると、
「金を借りた? そんなことがあったかねえ」
「いえ、あのとき、ハンコはまちがいがあるから使わないとおっしゃって、先生の身体《からだ》の一部に印肉をつけて押してくださいました。これがそのときの証書で」
「これが——? あたしの——? そうかねえ」
高勢実乗は再び、股間の一物を出して、その代用印形の跡にあてた。
「あ、こりゃあたしのじゃない、大きさがちがう」
といったという。できすぎた話。
彼の人気の盛りのころ、つまり戦争も日本が勝っていて、軍部が威張っていたころだが、
「この聖戦の最中に、ワシャ、カナワン、とは何事だ、敗戦思想だ」
といわれて、売り文句を使えなくなってしまった。だからそのころの映画では、アーノネ、オッサン、と呼びかけてはくるが、後半は苦しくごまかしている。「磯川兵助《いそかわへいすけ》功名|噺《ばなし》」というエノケン主演物では、がまの油売りになって、どうしても血がとまらず、アーノネ、オッサン、ワシャ、困ッタヨウ、といっていたのがおかしかった。
それでも敗戦の色濃くなると、そういう規制もうやむやになったらしい。「勝利の日まで」という将兵慰問映画は、慰問爆弾というのを内地から発射し、前線に飛んで爆発すると、高峰秀子《たかみねひでこ》が出てきて歌ったり、エンタツ・アチャコの漫才爆弾だったりという趣向だったが、その中で一発だけ、不発弾になって途中の海の中に沈んでしまうのがある。それが高勢実乗の爆弾で、海中に沈みながら、ワシャ、カナワンヨウ、とやっていた。
「エノケンの孫悟空」は正月にテレビでやったからご覧になった向きもあろう。高勢実乗は化け物の大王になって、孫悟空と化けくらべを演ずる。こういう所になると、あのエノケンを圧して、彼のあざとい奇優ぶりが精彩を放っていた。もっとも、色敵役の昔と同じく、「あの人は出てきただけでほかを喰《く》っちゃうから、どうもね」と役者からは嫌《きら》われていたらしい。
年齢不詳という感じだったが、オッサンで売り出したのは五十すぎと覚《おぼ》しく、戦後、ナンセンスがどんどんできる時代を迎えたら、あっけなく死んでしまった。
敗戦直後の焼跡の映画「東京五人男」で、ヤミ太りの百姓になって出てきたが、モーニング姿で肥桶《こえおけ》をかついでいる彼が、まだ眼に残っている。
今、関西の吉本新喜劇で老《ふ》け役をやっている高勢ぎん子は、往年のムーランの名花|鈴懸《すずかけ》ぎん子で、高勢の娘だ。そうして彼女の娘、高勢実乗には孫娘に当たる人が嫁《か》している先が、レオナルド熊《くま》やコント赤信号を擁しているプロダクションの社長で、近ごろテレビでもタレントふうに受けている石井光三だ。あの異様な関西弁で、社長ッ、といいながら弁当を配ったりする怪人が、高勢実乗の孫娘と結婚しているというのが、なんともおもしろい。