—ピーター・ローレ—
ピーター・ローレという役者をご存じか。すこし映画好きのお方ならもちろんご存じであろう。そうでない方も、彼の写真を見れば、ああ、観《み》たことがある、というだろう。いわゆるスターではないが、知名度はかなり高い。
しかし私の子供のころはそうでもなかった。「M」というドイツ映画が封切られて、その中で殺人鬼の役をやっていたが(後年それが彼のデビュー作だったと知る。その前は小劇団で三枚目を演《や》っていたそうだ。笑劇と怪奇劇はほぼ同質のものだから少しも不思議ではない)、これがなんだか可愛《かわい》くて、ヴィヴィッドで、そうして社会のどこにも居場所がないという感じが、すっと諒解《りようかい》できた。
小学校の三年か四年生くらいのことだが、勉強机の前の柱に雑誌から切り抜いた彼の写真を貼《は》っておいたことがある。後にも先にも、私は他人の写真を座右においたことはない。
「なんだい、気味のわるい顔——」
と母親にいわれたが、中学に入って戦争が烈《はげ》しくなっても、写真はそのままにしておいた。「罪と罰」というフランス映画でラスコリニコフを演じたときのものだ。まだ当時は晩年のように太っておらず、ズングリムックリで、寸のつまった顔にギョロ眼《め》、それがシャープで、成人したらああいう顔になればいいな、と思っていた。
役柄《やくがら》が特殊なわりに、当時の欧州映画には続々登場し、「O・F氏のトランク」「上から下まで」「FPI号応答なし」「暗殺者の家」「間諜《かんちよう》最後の日」などいずれも癖のある映画で、いわゆる名匠に使われていた。もっともその半面、B級映画にも出てくる。題名を失念してしまったが、彼はピアニストで殺されてしまうが、怨念《おんねん》がピアノにとりついて、自分を殺した女がくるとピアノが鳴り出す。怨念でピアノが鳴るというアイディアは後年別の映画でも見たが、これはあくまでB級作品らしく、彼の指先だけ現れて鍵盤《けんばん》の上を動き廻《まわ》る。
ピーター・ローレはハンガリー人だと思うが、たぶんナチのせいであろう、戦火に追われるように、ドイツからフランスの映画界に移り、イギリスに渡り、とうとうアメリカのハリウッドまで来てしまう。それが、最初のイメージの、どこにも居場所がなさそうだ、という感じのリアリティになって、私のような当時のはみ出し者には奇妙な親近感を感じさせたものだ。
もっとも実際の活動は戦後になってから知ったのだが。
当時、欧州映画のタレントたちは争ってアメリカに避難していて、そのうえ復員などもあって人材がだぶついていたと思う。そのせいか、故国では大きい名前だった役者がずいぶんつまらない端役《はやく》で出演していた。コンラット・ファイト、ハンス・ヤーライ、マルセル・ダリオ、アルバート・パッサーマンなどが苦闘しているわりに、ピーター・ローレは亡命先でもわりに順調だった。
戦後ひさしぶりにお目にかかったのは「カサブランカ」のヤミ旅券屋だったと思う。印象的だが役は軽い。そのころは苦闘時代だったらしく、モトさんという日本人|探偵《たんてい》になってB級シリーズを撮っている。我々が考えると日本人であんな顔は居ないが、要するに何人《なにじん》だか始末に困る顔だったのだろう。あいかわらずスパイ役だとか、アフリカに居る故国喪失者の役が多い。「望郷」のアメリカ版では、ペペ・ル・モコを追い廻す現地人の刑事を演っている。
孤独で、臆病《おくびよう》で、そのくせ世間に執着を持つためにますます正体不明になるという彼の持味は、実をいうと欧州映画、特にドイツ、フランス映画のころにもっともヴィヴィッドだったと思う。ハリウッドに来てからは、変わった個性や外貌《がいぼう》がハリウッド式にパターン化されて、やや光を失ったように思う。私もハリウッド映画から観はじめたら、単なる性格俳優としてとおりいっぺんの関心しか持たなかったにちがいない。
戦後まもなくのころだが、新聞にピーター・ローレの訃報《ふほう》が載ったことがあった。そのとき近親者に死別したようなショックを受けた。会ったことも、口をきいたこともなくても、深く身体にしみこんでいる人物というものがあるものなんだなとそのとき思った。
ところが彼は健在で、「マルタの鷹《たか》」「永遠の処女」「渡洋爆撃隊」「毒薬と老嬢」と多彩に使われ、「仮面の男」では主役になっている。このあともう一度数年してから、また新聞に訃報が載ったことがあったが、当時は外国のニュースは、かなり混乱していたのだろうか。
「仮面の男」という映画は、E・アンブラーのスパイ小説の映画化だが、なかなか小味な作品だった。ピーター・ローレは主役なので、かえって狂言廻しになっていささか精彩がないが、ピータースンという正体不明の大男に、シドニイ・グリーンストリートという巨漢の怪老人が出ていて、これが魅力だった。地下鉄の追いかけ場面など、大男の老人の動きがスピーディで迫力があった。
この二人は同じワーナーブラザースの専属のせいか、同じ映画でしょっちゅう共演しており、大男小男のコントラストがよく、ワーナーの戦時将兵慰問映画「ハリウッド玉手箱」では、はっきりコンビとしてコントをやっている。
そういえばあの映画はなんといったろうか。アラン・ポーの『大鴉《おおがらす》』の映画化なのであるが、やっぱり思い出せない。いかにもB級らしい凄《すご》い邦題がついていたが、今調べて見たら「忍者と悪女」だった。この題名ではなんとしても憶《おぼ》えられない。ホラーのスター、ボリス・カーロフとヴィンセント・プライスが、古城の中で忍術くらべをするというのもウレしいけれど、ピーター・ローレが鴉にされてしまった男を演じていた。鴉だか人間だかよくわからないなんていう人物は、この役者をおいて演じ手がなかろう。
ピーター・ローレのハリウッドにおける代表作は(たぶん、人はちがう答をだすだろうが)、私は、フレッド・アステアとシド・チャリシイの軽喜劇「絹の靴下《くつした》」だと思う。これは昔の「ニノチカ」(エルンスト・ルビッチ監督)をアステア風喜劇に直したものだが、ピーター・ローレは、こちこちの共産党員チャリシイ嬢の供をしてソヴィエトから来た軟骨人間で、花のパリで大いに楽しもうとしているのだが、やはりロシア人で、もうひとつチグハグになっている。彼は何故《なぜ》か(独特の体型からくる劣等感でもあるのか)ロシア人のくせにダンスができない。アステアとチャリシイの鮮やかなダンスを、うらやましそうに眺《なが》めているが、ついに、俺《おれ》のダンスはこれだ、という。
そうして机と机の間に肱《ひじ》をかけてぶらさがるようにし、足だけこちょこちょ動かすのである。彼はこの映画の中で、踊りたくなる気分になると、一人でその恰好《かつこう》になって足を動かしはじめる。どうも、私は涙腺がヨワいらしく、映画を見ていてしょっちゅう涙を流すのであるけれども、この場面でも、ほろりとなった。
ダンスひとつ、人と肩を並べて踊れないような、実に独特の恰好で、長いことよく生きてきたね、と私はスクリーンの彼にささやきかけた。
私もパラノイア的気質で、子供のころからどうしても人々の列からはみだしてしまう。それでひっこみ思案だけれども、内心は頑固《がんこ》で、おくればせに列のあとからついていくということをしない。ピーター・ローレの不思議なダンスは象徴的でなにをやっても自己流の不細工な形にこだわってしまう。
もっとも私のような男はやっぱり少数派で、ピーター・ローレに親近感を感じる人は、すくないのだろう。昔、編集者のころ、塩田英二郎さんとウマが合ってよく飲み歩いたりしていた。夢みるユメ子さんなどの漫画でおなじみだった人である。塩田さんに、私としては最大級の讃辞《さんじ》を呈したつもりで、
「塩田さんは、ピーター・ローレに似ていますね」
塩田さんはなにもいわなかったが、すくなくとも嬉《うれ》しくはなさそうだった。塩田さんは、漫画の人物と同じくスマートなプレイボーイを自認していた。それ以来、ピーター・ローレのことは私だけの密室においておくことにした。
ローレン・バコールの自伝を読むとピーター・ローレが友人の一人として、しばしば登場してくる。彼は人あたりのいい、なかなかのインテリとして記されている。それはそうだろう、ハンガリーなまりの小男で、二度三度、転々と亡命をくり返してきたのだから、すくなくとも表面は、ソツのない、当たりのやわらかさを備えざるを得ないだろう。
そういえば、デビュー作が、フリッツ・ラング、それからG・W・パプスト、イギリスに渡って、若き日のアルフレッド・ヒチコック、と大監督の作品登場が多い。独特の個性が眼をひいたのだろうが、人に好かれるタイプでもあったのだろう。それは、パラノイア的傾向とは矛盾しない。
もう一人、ハンガリー出身のホラー俳優で、ベラ・ルゴシという俳優が居る。ドラキュラの初代役者である。けれどもドラキュラに魂を奪われる主人公はドイツ貴族で、後年のクリストファー・リーのほうが瀟洒《しようしや》でいい。ベラ・ルゴシは短躯赭顔《たんくしやがん》で白塗りをしても似合わなかった。
ドラキュラほど当たらなかったが、「狼男《おおかみおとこ》」というルゴシ主演の別のホラーシリーズがあり、満月の夜になると牙《きば》がニュッと伸びて、月に吠《ほ》え、人を襲うという怪人、このほうが土臭くて持味に合っていたように思える。