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死体検死医13

时间: 2020-04-14    进入日语论坛
核心提示:13 謎人に会い自己紹介をしなければならなくなったとき、何といえば今の自分にぴったりなのか、一瞬とまどいを感ずることがある
(单词翻译:双击或拖选)
13 謎

人に会い自己紹介をしなければならなくなったとき、何といえば今の自分にぴったりなのか、一瞬とまどいを感ずることがある。
仕方なく医者ですという。そのうちに何科ですかと質問される。内科や耳鼻科など臨床医であったら、何のためらいもないのだが、法医学というのは少し抵抗がある。説明が必要だからである。
「えっ!! 法医学?」
すぐには理解できないようである。だからいいたくないのである。
また、監察医をしておりましたなどというと、わかってくれる人はほとんどいない。
「それ、なんですか?」
と聞き返される。
説明が大変なのだが、話さないわけにもいかず、もそもそと説明をはじめると、珍しい職業もあるものだと、興味深げに聞いてくれる。とぎれがちの会話も一変して、活気を帯びてくることもある。
誰でも知っている有名な事件の話などを持ちだし、法医学的な解説を加えたり、裏話を入れたりするうちに、初対面の人とは思えないほど話ははずみ出す。
監察医は、生きている人に縁はなく、変死した人を検死したり解剖して、死因を究明し警察の捜査に医学的協力をする。いわば死体のお医者さんなのである。
簡単に説明すると、今度は、
「警察のドクターですか?」
「いや、そうではありません。監察医は東京都の地方公務員です」
と答えると、またわからなくなってしまうようである。そこで、人の死についてわかりやすく説明することにする。
病気になり、医師の治療を受けながら、死んでいくのが病死である。これは一般の臨床医が死亡診断書を発行することができる。
それとはまったく異質の殺人事件がある。このような死に方は、警察が介入し検事の指揮下で法医学の専門家が司法解剖を行い、鑑定書を作成する。
この病死と殺人という極端な二つの死のパターンの間に、自殺や災害事故あるいは元気な人の突然死などという死に方がある。このような死のパターンを変死といって、とりあえず警察が介入し、都の職員である監察医が検死を担当する。たとえば、一人暮らしの老人を訪れたら死んでいた。病死なのか、事件なのだろうか。死に方に不審、不安が感じられる。その疑問を払《ふつ》拭《しよく》するために、行政の中に検視(検死)のシステムを取り込んだのが、監察医制度(死体解剖保存法第八条)である。
検死、解剖をして死因を明確にし、死者の生前の人権を擁護すると同時に、社会秩序を維持しているのである。
ところがこの監察医制度は東京、横浜、名古屋、大阪、神戸の五大都市にしか施行されていない。その他の地域では、従来どおり警察医による検死が行われているにすぎない。
警察医は警察署の近くで内科や外科などを開業しているドクターが嘱託されている場合が多い。仕事は、そこの警察官と留置人の健康管理をするものである。その地区内に変死者が出れば、検死も依頼されることになるが、専門は内科などの臨床医であって、法医学の専門家ではない。
変死者の検死は死体であり、生きてはいないし、治療の必要はないから、医者の免許をもっていれば何科の医者でもよいことになっている。一見矛盾はないように思えるが、それは大きな間違いである。検死は死体所見に精通し、死者と対話のできる法医学者にまかせないと、ものいわぬ死者の人権は守れない。
 酒好きな男が、空にちかい酒瓶を抱いて路上で死んでいた。顔は赤褐色にうっ血し、溢《いつ》血《けつ》点《てん》もあったが、検視をした警察官と警察嘱託医は、状況から急性アルコール中毒による心不全(病死)と診断し、一件落着となった。ところが三年後、真相が明らかになった。保険金目当ての殺人事件であったのだ。犯人は男を一千万円の簡易保険に加入させ、三か月後、酒をおごって泥酔状態にしたあと絞殺し、酒瓶を抱かせて路上に放置したものであった。顔のうっ血、溢血点は窒息の所見である。
死体所見の中から死因をピックアップできれば、その時点で事件を見破ることはできたのである。ところが法医学的知識がなかったために、酒好きな人が酒瓶を抱いて死んでいるから、酔って心不全を起こしたのだろうと、状況から死因を導き出してしまった。それは犯人の思う壺《つぼ》なのである。
風邪《かぜ》をひけば内科にかかり、ケガをすれば外科に行く。それと同じで変死者の検死は、死体所見に精通した法医学者にまかせないと、死者の人権は守れない。
死後も名医にかかるべし。これが私の持論である。
医師になって臨床経験のないまま法医学を専攻したから、患者を診察したことはないし、治療医学もわからない。長いこと監察医として、検死や解剖をしていたので、医者だという意識もない。また現役を退いて八年になり、文芸家協会や推理作家協会に所属して、もの書きなどをしているが、作家というほどのものではないし、医者らしいこともしていない。学生の講義や講演会、またテレビなどで事件の解説などが増えて、職業はと聞かれると何といってよいのか迷ってしまう。
やっぱり医者ということになる。
おおよそそのことがわかると、変わった医者もいるものだと感心するやら、大変なお仕事ですねと同情される。そして次は、解剖したあとご飯が食べられますかと質問してくる。即座に、検死や解剖をしないと私はご飯が食べられないのですよ、と答え大笑いするのである。
しかし法医学を専攻するものは稀《まれ》である。
一つの大学で毎年百名ぐらいのドクターが誕生する。そのほとんどは臨床医になってしまう。法医学を専攻しようとするものは、十年間の卒業生の中から一人出てくればよいほど、医学の中では過疎地帯におかれている。
学生のときは事件がらみの講義があり、現場の写真などが見られたりして、結構おもしろい。人気のある授業の一つであるが、医者になってしまうと、生涯の仕事として法医学を選ぶものはいない。そのはずである。せっかく医者になったのに、治療医学を捨てて死者を相手の仕事などするはずはない。
死にそうな人を治療し、生き返らせるようなドラマチックな派手さはない。仕事は地味で、大学の研究室か監察医などの公務員しかないから、臨床医に比べると収入にも相当の差がある。本当に好きでないと、続くものではない。
また法医学は医学の中でかなりおくれた分野に置かれている。
死亡時間を推定するにしても、経験や勘で判断している現状である。科学的に立証する方法が確立されていない。
たとえば死ぬと体温の発生はとまるので、時間が経つと次第に体温は冷却し、外気温と同じ温度まで下降してくる。
最初の五〜六時間は毎時摂氏一度ぐらい下降し、その後は毎時約〇・五度下降するといわれているが、しかし個体差があり、季節や地域などによって大きな違いがあるから、ケースバイケースで一様に論ずることはできない。つまり方程式のような公式が組めない。
その他、死《し》斑《はん》や死体硬直の出現、さらには腐敗がはじまって硬直が緩解していく。そのような過程を細かく観察し、科学的に死後経過を追究しても、結果は体温の冷却と同じケースバイケース。方程式は見出せない。
要するに死体の置かれた環境などに支配されず、死んでからの時間的経過にのみ変化していく因子を、死体の中から見つけ出せればよいのである。それができないから、経験などにたよっている。まことに心もとない限りである。
検死の現場で先生、死亡推定時間はと聞かれ、往生することがある。
捜査上、犯行時間の推定は極めて重要なポイントで、時間を間違えればアリバイが成立し、犯人を取り逃がすこともある。
ある日、解剖が終わって立ち会いの警察官に、死亡時間を聞かれた。
死体は新しいので、昨夜の十時ごろだと答えた。警察官はびっくりして、そんなはずはないという。独り暮らしで配達された牛乳が三本たまっている。ここ二〜三日物音もしないので、おかしいと思って戸をこじ開け様子を見たら、湯舟に沈んで死んでいたという。
七十近い老女であった。だから少なくとも死亡は三日前の夜ということになる。
一月下旬、東京も寒い日が続いていた。
いかに寒い季節であっても、入浴中であればお湯の温度は摂氏四十度ぐらいはあったはずで、一晩でかなり下降し水になるにしても、その浴槽に三日間も浸かっていれば、少しは腐ってくる。
 死体所見と状況が一致しないケースとして、こんな事例を経験したことがある。
二月上旬、寒い日が続いていた。そんなある夜、泥酔状態になった彼女は友人に付き添われて帰宅した。女性同士、勝手知ったる他人の家。友人は部屋に入るなりエアコンをつけ、上衣をぬがせ下着のままベッドに寝かせて、電気毛布をオンにした。照明を枕《まくら》元《もと》のスタンドに切りかえ、薄暗くした。
馬鹿にするんじゃないよ、などと見えぬ相手を罵《ば》倒《とう》するかのような独り言をくりかえしていたが、世話をし終わった友人が、それじゃおやすみと帰りかけると、寝入る直前の反応なのだろうか、ありがとうムニャムニャと語尾はわからない。
それが最後の会話であった。午前一時半である。
遺体は腐敗がかなり進行し、淡青《せい》藍《らん》色《しよく》に変色していた。
寒い季節を考慮すると、室内で布団に入っていたとしても、五〜六日前の死亡と考えられた。
ところが、調査して見るとまったく違うのである。
その日の午後、友人は心配になり連絡をとったが応答がなかったので、仕事を終えるとすぐ、彼女のアパートを訪れた。夜の八時ごろであった。
別れたときと同じ状態のまま、布団の中で死亡していた。吐《と》瀉《しや》物《ぶつ》が乾燥して顔や布団に付着していた。
検死後、解剖になったのは次の日の午後一時である。
酒に酔いエアコンと電気毛布という温かい環境の中で、脳出血を起こし、吐瀉物を気管に吸引したための窒息死であった。
午前一時半頃就寝し、午前三時頃の死亡と考えると、午後八時に発見されるまでの間、約十七時間は真夏のような暑さの中に放置されたことになる。
真冬にこの腐敗状況ではどうしても、死後五〜六日は経っているとしか思えないのだが、死体の置かれた高温状態を考えれば、納得できないことではなかった。
教科書どおりにいかないのが、法医学である。
死体所見と状況が一致しない場合には、どこかに嘘《うそ》がかくされている。
 湯舟で亡くなった老女の捜査はふり出しに戻った。
二日前に老女名義の銀行口座から、三百五十万円が引き出され、残高はわずか百円単位の端数であることがわかった。
一週間後、四十代で定職のない甥《おい》が容疑者として逮捕された。
供述によると、ときどき伯母《おば》のところへ小遣いをせびりに来ていた。その日は夜遅くやって来て、三十万円貸してくれと申し入れたが、かえす意思がないくせにとことわられ、説教までされてしまった。
腑《ふ》甲《が》斐《い》ない男となじられ、ついカーッとなって背後から腕で、伯母の首をはがいじめにした。間もなくぐったりして、こときれた。
死体を隠さなければと、部屋の中を見渡したが、そんな所はない。
風《ふ》呂《ろ》場《ば》を覗《のぞ》いた。そうだ入浴中の急病死にすれば、殺しは隠《いん》蔽《ぺい》されるだろう。幸い水が張ってあったので、裸にして浴槽の中に入れた。タオルもぬらして、さも入浴中のように偽装し、そばにあった財布とタンスの中の預金通帳と印鑑を持ち出し、競輪場などを転々と遊び回っていたのである。
三日後、伯母は死体となって発見されたが、死体は新しい。お風呂といってもお湯ではない。冷水の入った水槽にはじめから入れられていたから、腐敗しなかったのだ。
この矛盾を解剖所見と捜査の両面からつきとめ、事件を解決したのである。
衛生行政の一環として実施されている監察医制度が、このように遺《い》憾《かん》なく発揮されているのは、残念ながら五大都市(東京・横浜・名古屋・大阪・神戸)だけである。
一日も早く、全国制度になってほしいと願っている。
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