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死体検死医25

时间: 2020-04-14    进入日语论坛
核心提示:25 タンク山事件テレビ局から、電話が入った。神戸の中学校正門前に、人間の首が放置されているというショツキングな事件が発生
(单词翻译:双击或拖选)
25 タンク山事件

テレビ局から、電話が入った。
神戸の中学校正門前に、人間の首が放置されているというショツキングな事件が発生したので、われわれの取材に同行してほしいというのであった。
平成九年五月二十七日、午前九時ごろのことである。
早朝から申し訳ありませんが、都合をつけていただけませんかと、一方的な話であったが、緊迫感があったし、私も事件の内容をじかに見てみたい気持ちもあったから、スケジュールを調整するので少し待ってほしい、すぐ返事をすると電話を切った。
予定された会議を欠席にしてもらい、学校の講義は後日に変更することができたので、昼ごろの新幹線で神戸に出発することができた。
その前日は日帰りで、高知地方裁判所で民事事件の鑑定人として意見を述べ、夜遅く帰ってきたところである。昔ではとても考えられないことだったが、鉄道や航空機の発達でいとも簡単に国内は往来することが可能になった。この便利さに比べ、事件は裁判にしろ殺人事件にしろ旧態依然としており、人間のエゴがむき出しになって、ドロ臭さから一歩も脱却していない。新幹線と膝《ひざ》栗《くり》毛《げ》が同居しているような滑《こつ》稽《けい》さを感じながら、リクライニング・シートに身をまかせ、少ない情報をもとに、事件の背景などを考えていた。
それも束の間、車中携帯電話がひっきりなしにかかってくる。各テレビ局の取材の申し入れや、新聞記者からのコメント要請などであった。
午後三時には、報道関係の車でごったがえす神戸の中学校正門前に到着した。そのころ、近くの通称タンク山の頂上付近にあるケーブル基地内で胴体部分が発見されていた。
正門前も、タンク山入口もロープが張りめぐらされ、警察関係者以外は立ち入り禁止で、近づくことは出来ない。
二か月前にもこの地域で、連続通り魔事件が二件発生していた。一人はハンマーのようなもので頭を殴られ、もう一人は刃物で刺されている。いずれも小学生の女児で、一人は死亡、もう一人は重傷であった。目撃証言では若い男だったというが、まだ犯人逮捕に至っていない。
またこの地域には、猫や鳩の死《し》骸《がい》が数多く見つかり、中学校の正門前では猫の死骸や切断された猫の足などが発見されるなど、不気味な事件が相次いで起こっていた。
太陽の直射にさらされながら、現地を歩き取材していると、疲れるが事件が実感としてとらえられ、解説するのに必要な事柄やイメージが膨らんでくる。
校門前、タンク山の入口、連続通り魔事件の現場などを背景に、テレビの実況中継をしたり、解説を録画どりしたりするので、テレビ局の数名のスタッフは大忙しである。
従来のバラバラ事件というのは、加害者と被害者が顔見知りであるから、死体が発見されたときに、身元がわからないようにと、死体をバラバラに細かく切り刻むものである。陰部や乳房まで切り取って、性別もわからぬようにする。
一見、残忍で怨恨のからんだ変質者の犯行のように思われるが、実はそうではないのである。バラバラにすれば、運びやすいし、捨てやすい。事件が発覚し警察が死体を集めてきても、男か女かどこの誰だかわからない。身元がわからなければ、犯人である自分に捜査は及ばない。かくれみのとして、保身の心理のために、犯人は殺害後死体をバラすのである。
ところが本件は、頸《けい》部《ぶ》を切断して顔を校門前にさらし、挑戦状を添えて、社会に自分の不満をアピールしたのである。
被害者の身元ははじめから判明している。 
小学校六年生。十一歳のA君である。しかしA君の周辺を捜査しても、犯人である自分にたどりつくことは出来ないという自信があるから、犯人は大胆にも被害者をさらすような行動をとったのである。一般的には、そう考えることができる。
その意味でこの事件は、オウム事件とともに犯罪史上に残る事件であろうと思う。
したがって、犯人を特定するのにかなりの時間がかかるだろうと、推理した。
猫や鳩の事件を含めると、限られた狭い地域に、しかも短い期間に連続して生じた凶悪な犯罪は、関連性があるだろうと私の眼には映った。
動物から少女へと対象をかえて襲い、そして今回の頸部切断へと、事件はエスカレートしていったように思えるのである。鳩や猫とはいえ、生きている動物を殺せる人間は、そうざらにはいない。やはり関連性は高いだろうと考えた。
しかし、事件の内容を検討してみると、二件の通り魔事件はゆきずりの犯行のようであり、また覚せい剤中毒などの場合には幻視・幻聴など被害妄想があって、無関係の通行人を見て、自分を襲ってくると思いこみ、先手をとって殺傷するなどの行動をとることがある。そんな部類の事件のようにも思えてくる。
ところが今回の頸部切断事件は、司法解剖後の警察発表によると、死因は扼《やく》殺《さつ》でその他に外傷はないというものであったから、犯人が大の大人だとすれば十一歳の少年を無抵抗に殺すことは可能である。しかも性犯罪の様相はなく、少年に対する怨《えん》恨《こん》もなさそうだ。結局、自分の不満を世にアピールするための手段として、この事件を起こしたようである。計画性が感じられる。連続通り魔事件とは、動機、背景が違うので、犯人は別人のようにも思えてくるのである。
事実は一つなのだが、見方、考え方によっていくつもの解釈が成り立ってくる。多角的に考え読みとる必要があるので、解説はむずかしい。
犯人の心の動きなどを分析する精神医学は、私の専門ではない。法医学が専門であるから、形として現れた死体所見をもとに、事件を考察し、組み立てるのである。
殺害方法は扼殺、つまり手で首を絞めて殺害したものであった。凶器は犯人の手指であるから、被害者は抵抗して犯人の手指や顔をひっかいたりすることが多い。
絞殺は、紐などを首に巻き絞めるので、索条物という凶器が必要となる。そして被害者は息苦しいから、紐の下に自分の指を入れ息をしようと努力する。そのため自分の爪《つめ》で自分の頸部をひっかく防御創ができることが多い。
法医学的には同じ窒息死であるが、扼殺と絞殺は大違いである。死因は扼頸による窒息(他殺)であった。もしかすると被害者の爪に、犯人の皮膚組織あるいは血液などが付着しているかもしれないと期待した。
また殺害時間も問題になっていた。
A君の胃内には昼食のカレーライスが未消化のまま多量に残っていたというので、食後間もない時間に殺害されたと推定された。
食べたものは、二〜三十分すると徐々に十二指腸に移送される。そのとき肝臓でつくられた黄色い色素胆汁が胆のうにたまっているが、消化液である胆汁は十二指腸に流出し、通過中の食物に混入する。白いご飯を食べても、黄色い便が出るのはこのためである。したがって食後二〜三十分すると、胆のう内の胆汁は減少しはじめ、一〜二時間経つと胆のう内胆汁は空となる。胃内容がなくなると、次の食事に対処すべく、胆のう内には胆汁が少しずつたまってくる。つまり空腹時には胆のう内胆汁は、満タンになっている。
このように胃内容と胆のう内胆汁量は相関関係にあるので、その量を警察発表の際に質問して聞き出せると、殺害時間をもう少し限定して推定できるのだが、そこまで勉強し質問した記者はいなかったようである。
この事件はあまりにも残酷な事件であったから、その他のテレビ局と計三回も神戸を探索し、放送するはめになった。
そのときには、タンク山の捜査も終わり、一般に開放されていた。実際に歩いて登り、胴体が発見されたケーブル基地周辺を観察したが、自動車が入れる道からケーブル基地までは、目と鼻の先であるものの、険しい傾斜の崖《がけ》になっている。また迂《う》回《かい》路《ろ》があるが、草木が繁って身をかがめないと歩けないなど、死体をかついで登るのはきわめて困難であることがわかった。
さらに被害者のからだに、アリが噛《か》んだキズが散在していたり、死《し》斑《はん》が背面に固定していたなど、細かい所見がわかってきた。
これらのことを総合すると、殺害場所はタンク山ケーブル基地周辺であることが読みとれる。
扼殺後背中を下にした仰《ぎよう》臥《が》位《い》で、半日以上放置したから、体内の血液は重力の方向に下垂し、背面に死斑が出現し、ほぼ固定された状態になっていた。
つまり犯人は昼食後外出したA君と出合い、すぐタンク山に誘い出し、ケーブル基地周辺で扼殺後、死体を山中に放置していったん自宅に帰り、一夜明けた早朝、頸部切断に必要な刃物やノコギリなどを持参し、再び山に入ったものと推定できる。
なにか場当たり的行動のようにも思えてくる。
ケーブル基地周辺の繁みの中で頸部を切断したが、その際体内の血液は死斑となって、背面にほぼ固定された状態であったから、流血は少なかったものと思われる。
警察は血《けつ》痕《こん》検出法としてルミノール反応を行ったが、ケーブル基地内にあまり強い反応はなかったと発表した。またA君のはいていた靴からタンク山の土砂は検出されなかったとの情報もあり、A君は誘《ゆう》拐《かい》された際、自動車にのせられ、車中であるいは犯人の自宅などで殺害され、頸部切断後、遺体をタンク山に運び遺棄した可能性があるなどの解説や憶測が流れた。さらには黒い乗用車、黒いビニール袋をかかえた男の目撃情報もあって、事件とのかかわりが強い印象で報道されていた。
しかし私は、いつもそうなのだが、そのような状況にまどわされることはない。長い自分自身の体験から、法医学は死体所見を丹念に観察することであり、そうすればものいわぬ死体が真実を語り出すものである。その声を聞くことに専念する。状況はあくまでも参考程度である。捜査状況と死体所見が一致すれば、間違いのない事実であるが、両者の間に矛盾があれば、どこかに読み違い、誤りがあると判断する。
常にこのような考えを基本にしている。だから本件も、殺害後、死体をあちこちと移動させ、また頸部切断後胴体部分をタンク山に運び、遺棄したなどとは考えなかった。もしそうであるならば、死斑は背中に固定されることはないのである。また頸部切断も、死斑が固定されてから行ったので、現場の流血は少量であったのだ。
犯人がそこまで知って、計算ずくでやったとは考えにくい。
このような死体所見から、殺害場所はタンク山ケーブル基地周辺以外にないと、判断したのである。感じとしていっているのではなく、死体所見という事実をふまえて考察しているのである。
死体所見から、わかることはまだまだたくさんある。
五月二十七日午前六時四十分ごろ、中学校正門前で発見された頭部は、やや腐敗がみられたが、タンク山で発見された胴体部分には腐敗はなかったという。この事実からタンク山で切断した頭部は、ビニール袋などに包み、通風のよくない温暖な自宅、あるいは車のトランクなどに保管していた可能性がある。ところが胴体部分はタンク山の頂上に近い場所で、通風がよく縁の下の冷暗所という条件もあって、腐敗の進行は少なかったと考えられる。
またA君の口の中にあった挑戦状は、赤い文字で、「酒《さか》鬼《き》薔《ば》薇《ら》聖斗」「ボクを止めてみたまえ」「ボクは人を殺すのが愉快でたまらない」などと書かれてあった。
殺人を楽しんでいる異常な凶悪犯とも受けとられ、サケ、オニ、バラ、セイトとはいったい何だろうと、挑戦状の分析がはじまった。
頭部を校門にさらし、すごみのある挑戦状が添えてあるから、誰もが不気味で残忍な犯人像を想像する。さらには校門の高いコンクリート塀に、A君の頭部をさらすなどの作業をしているので、少なくとも一七〇センチ以上の長身者であり、挑戦状も学校、警察、社会に対する不満を爆発させているので、三十代前半の鬼のような恐ろしい男性が犯人像として浮かんでくる。
しかし連続して起こった事件も、同一犯と考えるならば、子供という弱者しか襲っていないので、あるいは小心者なのかもしれないと感じたのは、私一人ではないはずだ。
そして六月六日、神戸新聞社に送られた声明文がオープンになった。読んでみると、自分はサカキバラでこれをオニバラと読み違えるのはこの上なく愚《ぐ》弄《ろう》な行為で、今後一度でもボクの名を読み違えたら、一週間に三つの野菜を壊します。ボクが子供しか殺せない幼稚な犯罪者と思ったら、大間違いである。さらに義務教育、社会への復《ふく》讐《しゆう》を臭わせ、殺しをしている時間だけは、日頃の憎悪から解放され、安らぎを得、人の痛みのみがボクの痛みを和《やわ》らげる事ができる。ボクには一人の人間を二度殺す能力が備わっている、と結んでいる。
自分を理解してくれないものに異常なほどの怒りを現し、すごみをきかせた文面である。このような声明文から、学生時代のみならず、社会に出てからもかなりの差別や屈辱と挫《ざ》折《せつ》を味わい、屈折した人生観の持ち主で、三十代前半の男性が犯人であろうと私は考えた。
誰だって自分を理解してくれなかったり、プライドを傷つけられればいやな思いにかられるだろう。しかし一般的には程度の差こそあれ、理性の中で処理できるものであるが、ときには自制できず怒りが爆発する場合もあるかもしれない。それにしても、このケースは異常である。
少年時代の反抗期であれば、それが怨恨、復讐となって対象である学校の先生、いじめっ子あるいは親などに攻撃を加えるケースもある。誰にも攻撃できない場合、自分で自分の命を絶つ、自殺行動にでるのである。
しかし、このタンク山事件は特殊で、A君という弱者を利用し、殺害して校門に首をさらし、自己主張をしたのである。
限られた狭いこの街の中に、犯人はいるのだろうか。交通機関の発達したこの時代、思いもよらぬところに犯人は潜んでいる可能性もある。
捜査は膠《こう》着《ちやく》したまま一か月が過ぎ、長期化するだろうと思われた。
ところが六月二十八日、土曜日の夜の九時すぎ、都内のホテルで会合に出席していたら携帯電話が鳴った。
「テレビ局ですが、タンク山事件の犯人が逮捕されました」
「えっ!! 本当に。犯人は?」
と聞く間もなく、
「十四歳の中学三年生の男子なんです」
と電話の向こうでも、信じられずショックを隠せない様子で興奮している。
「えっ!! まさか」
と私も絶句した。
これからコメントをいただきに伺いたいのですが、というので一時間後自宅で待ち合わせることにした。
なぜだ。どうして十四歳なのだ。
私ばかりではなく、警察をはじめ日本中の人々が予想もしないこの犯人に驚き、ショックを感じたに違いない。
しかもA君と面識がある近所の子で、首をさらした校門は、犯人が通っている中学校であることに、さらなる驚きを覚えた。
私が推理した枠外に犯人はいたのである。
被害者と加害者が面識のある場合は、死体を隠すのが常識なのだが、このケースは首をさらした。しかも、犯人はごく近所に住んでいた。木は山に隠せ、ということを知っていたのであろうか。盗んだ木は山の中に隠せばわかりにくい。遠くの田舎に逃げ隠れするより、都会の現場の近隣にいた方がわかりにくい。そんなことを知っていたのであろうか。
また子供が書いたとは思えないような挑戦状、声明文を書き、不気味さをただよわせ、自己主張をした。
さらに友人らに学校への復讐を語り、再三にわたって猫を殺していた事実がわかった。
私も解説の中で、連続通り魔事件や猫のバラバラ死体の関連性に触れた際、猫や鳩を殺せるものはザラにはいないから関連性は高い、という話はしたのであるが、まさか少年の仕業とは思わなかった。
調べが進むにつれ、犯行の幼稚さが見え、計画性のない場当たり的な行動のようであった。
だから、すきだらけで犯罪の常識を越えているから、逆に大胆不敵な犯行に見え、わかりにくかったのではないだろうか。冷静に見直せば、十四歳の少年犯罪に符合する点は多い。
しかし、校門に首をさらすなどショッキングな事件であったから、まさか少年がとは考えてもみなかった。見事に裏をかかれたのである。
 個人個人が集まって集団をつくり、社会生活をしている。入社して停年退職するまで平社員のまま終わる人もいれば、重役になる人もいる。集団の中では自然と優劣はつくし、差別も生じてくる。その中で、誰もがにがい体験をし、挫折をのり越えて、協調できるところで協調し合って社会生活をしているのである。
なぜ中学までの体験で差別をうけたからといって、殺人という凶悪な手段をつかい、自己主張しなければならなかったのか、理解に苦しむのである。
しかもA君でなくても、弱い者であれば誰でもよかったと、犯人は供述しているという。
十四歳の男。思春期。性的にも目覚め、人間としてどう生きるべきかを考えはじめる年代でもある。
大人は誰でも彼らと同じ少年時代を経過している。時代背景あるいは生活環境が著しく変わってきているためなのか、大人達が現代少年の気持ちを理解できないほど、彼らは病んでいるようである。
十四歳の少年の行動を刺激に対する異常な反応、すなわち精神障害として簡単に片づけられるものだろうか。
 日本は今、豊かに暮らしているから、子供達はわがままに育っている。
我慢、忍耐心がない。そして親も学校も子供を叱《しか》らない。自己本意になっているから、他人の痛みはわからない。自分は大切だが、他人の命はどうでもよい。
非行に走ったからといって、ホラービデオ、過激なまんがや雑誌のせいにするのは、見当違いだ。
自分自身のキャラクターもあるだろうが、家庭も学校も、生活環境をもう一度見直し、整えて、大人はこの時代の多感な少年を育成する義務があるのではないだろうか。
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