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死体は生きている04

时间: 2020-04-14    进入日语论坛
核心提示:ためらい創《きず》 生きるということに価値観を見出しえなくなったとき、自殺という結論が出されるのだろうか。長いこと自殺の
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ためらい創《きず》
 
 生きるということに価値観を見出しえなくなったとき、自殺という結論が出されるのだろうか。
長いこと自殺の検死をし、現場に立って遺書などを読み、家族から事情を聴取していると、それなりの心情がわかってくることもある。
しかし、なぜ死を選ばなければならなかったのか、理解できないケースも多い。
一概に自殺というけれど、自分の命を絶つという行為は、そう簡単に出来るものではない。
死に対して人は誰でも本能的に恐怖感をもっている。裏を返せばそれは生への執念、執着があるからであろう。それらがすべて取りはらわれたときに、自殺行動がとれるのかも知れない。
自殺を研究する人の中には、死ぬことだけしか考えていないから、死への恐怖は頭の中になく、また手段など選択することはない。そのとき、その場で出来る方法で咄《とつ》嗟《さ》に自殺を決行するという。
しかしそうと限ったことではないと思う。
死を覚悟するには、それなりの決断がいる。
私などは死ぬ勇気がないから、生き続けているのかも知れない。
ある若者が、とび降り自殺をした。
日記を読んでみると、八階建てのマンションの屋上から下を見たら、恐くなってとび降りられなかったと書いてあった。やはり恐いのだなと、私自身も納得した。
しかし、数日後にその場所から決行したのである。なぜとび降りられるようになったのか、日記はそこで終っているので知る由もないが、筆にはつくせない心の葛《かつ》藤《とう》、苦悩が続いたのであろうと推察する。
自殺の手段を観察して気がつくことは、職業意識というか自分の得意とする手段方法によって、自殺する傾向がみられるようである。
たとえば、電気にくわしい人などはタイマーをセットし睡眠剤をビールと一緒にのみ、熟睡中に感電死できるような工夫がなされている。また薬化学の専門家などは、青酸カリをきちんと微量のはかりで致死量の倍はかって服毒しているなど、几《き》帳《ちよう》面《めん》な性格あるいは習慣がのぞかれる。あるいは椅《い》子《す》に腰かけたまま、おもりが落下することによって自分の首が絞まるような方法で、窒息自殺した現場をみたことがある。これは物理系の技師であった。
左胸に三寸釘三本を打ち込み自殺した大工さん。麻酔剤を服用したり注射して自殺した医師や看護婦など、職業的な習慣というか本人にとっては、ごく自然で当り前の方法であるかも知れないが、検死(検視)をする側からすれば奇異に映るし、普通とは違うのであるいは犯罪がらみなのかと身がまえることもある。

ある日、睡眠薬を服用して自殺するとの遺書を残して死んでいる人の検死に臨んだ。ところが現場には睡眠剤の空箱や薬包紙などは見当らない。遺書があるからには自殺であろうが、死体には睡眠剤中毒の所見はないので、監察医務院で行政解剖を行うことになった。胃の中に睡眠剤らしい白い粉末は見当らない。心臓の栄養血管である冠状動脈の硬化が強く、虚血性心不全を思わせる所見があった。
睡眠剤服用による自殺という状況であったため、解剖終了の時点で死亡原因を断定するわけにはいかない。化学検査の結果待ちとなった。一か月後胃内容、尿、血液などの分析結果が出た。微量の睡眠剤が検出されたが、致死量にはほど遠い。結局このケースは冠状動脈硬化による急性虚血性心不全という、病的発作が死因となった。
この事実から逆に死亡前の状況を推理すると、不眠症で睡眠剤を常用していたものが、ある日厭《えん》世《せい》的になり睡眠剤を多量に服用して自殺をしようと決心し、遺書をしたためたが実行に移る前、突然心臓発作を起こして急死したもののようである。偶然が重なったとはいえ、すぐには納得しがたい出来事であった。
しかしごく稀《まれ》ではあるが、このようなことが起きている。遺書がありながら脳出血あるいは心筋梗《こう》塞《そく》という病的発作で死亡したケースを何件か経験している。
かなり以前、都市ガス(石炭ガス)を放出し自殺しようとした人が、その前に好きなタバコを吸ってからにしようと火をつけたとたん、爆発火災になった。火事は消し止められ、本人は救急車で入院手当をうけたが二日後に死亡した。入院中警察の事情聴取で実態がわかった。都市ガスを吸って一酸化炭素中毒による自殺を意図したが、結果はガス爆発による全身火傷、災害死となったのである。
笑えぬ本当の話なのだ。
また自殺にはしばしば、ためらい創《きず》を見ることがある。たとえば右手にカミソリを持ち、左手首に刃をあてて切れ味をためすかのように浅く小さく数条切って、血が出るか痛くはないか、本当に死ねるのか、いややめようかとためらいながら何度も切ってみる。そのうちに決断がついて一気に強く深く切り自殺する。だから、致命傷以外の浅い切創を法医学ではためらい創と呼んでいる。このためらい創は自殺意図の現われと判断し、検死の際自殺のきめ手として重要視されている。ためらったあげく、切るのをやめて首つりとか睡眠剤を服用するなど、別の手段にかえて自殺している場合もある。
やはり死ぬ決心をしたとはいえ、自殺にはかなりのためらいがあるように思える。だから逆に自殺を思いたった人に心から相談にのってあげられるならば、ある程度の歯止め、予防は可能であると思う。他《ひ》人《と》の心の中まで見ぬくことはむずかしいが、死のうと決心した人が死ぬ気になれば何んでも出来る、と居直って強く生きられるようになったという話もある。発想の転換は、しばしば窮地を救うことがある。
それにしても、医師の間でよく話題になることがある。
自殺のために睡眠剤をのんだ人が、救急車で運び込まれた場合、この人は死を望んでいるのだからと治療をせずに、放置するわけにはいかない。
治療の結果、命を取りとめた患者に、なぜ死なせてくれなかったと、かみつかれても、医師には医師の使命がある。
弁護士にも同じようなことがある。
凶悪犯に愛想がつき、こんな悪者に弁護の余地はないと放棄すれば、弁護士にあるまじき態度として処分をうけるという。
命と人権はこうしてまで保護され、尊重されているのである。
命を無駄にしてはならない。
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