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死体は生きている07

时间: 2020-04-14    进入日语论坛
核心提示:理と情の間で 私が監察医務院長当時、日本法医学会の中に脳死に関する委員会がつくられた。会員の考え方をアンケート形式により
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理と情の間で
 
 私が監察医務院長当時、日本法医学会の中に“脳死に関する委員会”がつくられた。会員の考え方をアンケート形式により集めると同時に、脳死や臓器移植についての見識を高める役割を果たした。私も委員の一人であったが、監察医務院は東京都の衛生行政にたずさわる一機関でもあり、私の見解は当然厚生省、東京都衛生局の考え方に沿ったものでなければならなかった。とくに人の死に関わる問題を行政のレベルで決め、その見解を国民に押しつけるべき性質のものではなかったので慎重に対応してきた。
医学的には脳死は人の死と理解できるが、臓器移植は別の問題であるとの考えは、法医学会員の多数意見でもあり、私の考えと同じであった。
脳死と臓器移植を推進しようとする専門家は、脳死が死であるならば今すぐにでもこれを希望する患者の立場を考え、実施したいのであろうが、わが国においては脳死は国民的合意を得るまでに至っていない。医師の考え方だけではどうにもならない現状では、どうしても法律的裏付けが必要であったから、法律家の同調を期待した。しかし、人の死は医学上の問題で法律で規制すべきものではないとの考えが、法律家の大勢をしめ、投げたボールは結局投げかえされてしまった。
反復する論議の中で、国民の関心はたかまり、以前に比べると脳死に関する理解が深まり賛成意見は増えている。
とはいえ、論議はどうどうめぐりで結論はでない。誰れかがどこかでゴーサインを出さない限り、結着はつきそうにない。そのゴーサインとは、国民的合意なのであろうか。
私は法律にはうといが、もしも許されるならば、脳死を承認した家族と移植を希望する人との間に合意が得られれば、国民的合意を待たずに実施してもよいのではないかと思っている。これはあくまでも純粋な善意が前提であり利害、打算があってはならない。しかし、このようなことが許されると、水が低きに流れるように、人の命がやがては粗末に扱われるのではないかという危《き》惧《ぐ》が残るのも事実である。
いうまでもなく死という現象は一つであるが、三十年間監察医として二万体にものぼる異状死体を現場におもむき検死をしたり、解剖をしていると死のとらえ方が果して医学的だけでよいものかと、疑問を抱くことがある。
とくに子に先立たれた母親の嘆きは見るにしのびない。
「まだあたたかい。死んではいない」
「もう一度、ママと呼んで」
と、わが子を抱きかかえ、名を呼ぶ母の姿を見ることもある。
生きるものにとって、死を科学的にのみとらえることは必ずしも十分な対応ではないことを思い知らされた。
このような側面をもった人間社会の生活の中で、脳死をどのように理解し、具体化させていくのか。
むずかしい問題であり、結論を急いではならないと思うのである。
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