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死体は生きている27

时间: 2020-04-14    进入日语论坛
核心提示:約 束 赤道に近い中米のホンジュラスという国から、裁判医をやっているというドクターが、日本の監察医制度を視察にやってきた
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約 束
 
 赤道に近い中米のホンジュラスという国から、裁判医をやっているというドクターが、日本の監察医制度を視察にやってきた。
監察医務院という独立した庁舎をもち、この制度を完全に実施しているのは、わが国では東京都だけである。
だから諸外国からの見学者は多い。
一週間という短い期間であったが、通訳付きで私と一緒に現場に行き検死をし、また解剖も見学していった。
衛生行政の中で効率よく住民サービスしているこの制度に随分と興味を覚え、勉強になったようである。
ホンジュラスには、このような制度はなく、法医学者も彼一人であるらしく、これからという感じであった。
私もそのような国があることすら知らなかった。
話をしている中にスペイン語圏であり習慣、風習などがかなり違っているのに驚いた。
たとえば賭《と》博《ばく》と売春は人間の本能ともいえるものであるから、罪の対象にしていないという。
だから服役中の人でも、妻との面会の際には、個室が用意されるし、金さえ払えば刑務所の個室に売春婦を呼び、遊ぶこともできるという話にびっくりした。
日本では考えられないことなので、どうしてと尋ねると、罪は罰するが、人間性そのものは処罰しないというのだ。
日本でも罪をにくんで、人をにくまずなどという言葉は聞くが、服役中の人がそこまで許されてはいない。
随分とおおらかな国もあるものだなと、驚くやら感心するやらであった。
アメリカでも屋根に上った泥棒が、天窓を踏み破って床に落ち、重傷を負い、四《し》肢《し》麻《ま》痺《ひ》となってしまったが、その家族が補償を求めて裁判を起こした。
泥棒が補償を要求するとは、もってのほかだと訴訟はもつれて長期化し、結局両者は和解したという。
たしかにこの訴訟には問題があるだろう。
しかし、アメリカ人の考え方は、生涯四肢麻痺で生活していかなければならなくなった人を救済することに、焦点を合わせている。
そこが、日本と違っている。
国が違えば、風習も考え方も違うのは当然であろうが、善し悪しは別として、本質を論じているのが素晴しい。
 明治の末期、中学生であった伯父がカンニングをしたときの話である。
クラスメートに英語によわい男がいた。
試験の前日、伯父によろしくたのむと相談にやってきた。結局答案をみせてやることになった。もしも、ばれた場合には知らぬ存ぜぬで押し通してくれと、虫のよい約束が二人の間にでき上った。
試験は無事終った。
これで進級することができると友人は喜んだ。しかし数日後、伯父とクラスメートは英語の先生に呼び出された。
「知りません、そんなことをした覚えはありません」
と二人は必死に否定した。
「お前達の実力は知っている。しかし、お前らの答案の一字一句がなぜ、同じになっているのか。カンニングとしか思えない」
と先生は、答案を見せてくれた。
なるほど先生の疑いが当然であるかのように、答案の文句は同じであった。
一瞬ばれたと思ったが、二人の間には約束がある。男同士の堅い約束のために、あくまでも嘘《うそ》をつき通さなければならないのだ。
二人は頑強に否定しつづけた。
いつしか外には夕やみがせまっていた。
先生は教頭に応援を求めた。
伯父は英語の先生に、友人は教頭に連れられて、別々の部屋で一対一で調べられた。
そのときほど嘘をつくことのつらさを身にしみて感じたことはないと、伯父は語っている。
それから、一時間位たったころ、
「先生、解決しました」
教頭が得意げに、部屋に入ってきた。
「はきましたよ、カンニングですよ、やっぱり」
伯父は、しまったと思うと同時に、心の中にはりつめていた大切なものが粉々にこわれていくような、そして情けないようなくやしさで一杯であった。
「おい、いつまでもしらをきってもだめだぞ! 相棒は白状したのだから」
と先生にせめられて、伯父も観念した。
結局、カンニングの全《ぜん》貌《ぼう》が明らさまになった。
伯父とクラスメートは教頭と英語の先生に連れられ、校長室に入った。
教頭から、詳しい事情の説明がなされた。
校長はだまって聞いていた。
そのとき伯父は、突然隣りに立っているクラスメートの頬《ほお》を思いきりぶんなぐり、
「馬鹿野郎。貴様は俺《おれ》とばれてもあくまで嘘をつき通してくれと約束したではないか。約束したから俺は必死で最後まで嘘をつき通してきたのに、自分から約束を破棄して白状するとは何ごとか!」
校長も教頭も英語の先生も、このハプニングにびっくりした。
クラスメートは泣き出した。
校長は、
「よくわかった。お前達の行為は悪い。しかし悪いとはいいながら、約束を最後まで守り通そうとした、お前の行動は立派である」
と伯父は逆にほめられた。
嬉《うれ》しかった。苦しく、悲しい立場にある自分を、こんなにも理解してくれている校長。
教育者として実に立派な人だと述懐している。
数日後、クラスメートは落第、伯父は三日間の停学をいいわたされた。
本来ならば同罪であるべきところ、この処分にあずかったのは、校長の英断であったろう。
その後伯父は、外交官、英語教師などをやって、すでにこの世にはいない。
悪いことには違いないのだが、本質を見すえて処理しているから、しかられる側にも反省があり、納得がいくのだろう。
古きよき時代の話であるが、国が違っても時代が違っても、本質は通じ合うものである。
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