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死体は生きている29

时间: 2020-04-14    进入日语论坛
核心提示:死者の声 私は監察医を三十年経験した。監察医といっても、どのような仕事をしている医者なのか、正確に知る人は少ない。簡単に
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死者の声
 
 私は監察医を三十年経験した。
監察医といっても、どのような仕事をしている医者なのか、正確に知る人は少ない。
簡単にいうと、東京都の衛生局に所属し、二十三区内に発生したいわゆる変死者を検死(死体検案)したり、解剖して死因を究明しているのである。
身分は東京都の地方公務員で、ここでの解剖を行政解剖という。殺人などの犯罪死体は司法検視、司法解剖といいこれとは目的も法的基盤も違うのである。
全死亡の八十五%はいわゆる自然死といわれる病死で、主治医が死亡診断書を発行する。残る十五%は不自然死で変死扱いになる。元気な人の突然死とか自殺、災害事故死などは、直接犯罪に関係がなくても不審、不安を感じさせる死に方であるから、変死扱いとして行政検死、行政解剖の対象になっている。
もちろん、不審、不安を一掃するため変死は、先ず警察に届けられ、充分に捜査される。そのあと、監察医に検死の依頼がくる。
だから警察官立会のもとに検死は行われるが、監察医は警察サイドに立って検死しているわけでもなく、また遺族側に立って仕事をしているわけでもない。
あくまでも厳正に遺体を検死し、解剖してなぜ自らを語ることなく死亡したのか、死者の声を聞き、事実を解明して死者の生前の人権を擁護しているのである。
交通事故などで加害者、被害者の利害対立の中に入って、死体所見から真実を引き出し、公正な判断をするなど、いわば医学的裁判官のような役割もしているのである。

わが国の経済的高度成長期に、交通事故死が多発したころの話である。
大学生四人が一台の自動車を交代で運転し、ドライブに出かけた。
親友同士、東京を離れ神奈川県を通りぬけ、静岡県へと快適にドライブは続いた。
帰り路、急カーブを曲りそこねてガードレールを突き破り、車はもんどりうって急斜面の森林の中に転落した。
スピードを出し過ぎたための事故であった。
二人は即死状態。一人は病院に収容されたが間もなく死亡。残る一人も意識不明のまま三日後に、頭部外傷で死亡するという事故になった。
絶景のドライブウェイの出来事である。
ところが葬儀が終って間もなく、これらの家族は事故当時運転していた者の不注意によって、うちの息子も道づれになったといい出し、運転していた友人に損害賠償請求をする動きが出てきた。
死亡した四人は親友という間柄であったが、親同士は殆《ほと》んど面識はないから感情むき出しの状態になって、責任を追及し出した。
山中の出来事で、救急車や警察官が来る前に通り合わせたドライバー達によって、四人は車外に運び出されていたために、誰れがどこに乗っていたのか、はっきりしない。
当時運転していたと見なされ即死した一人を相手どって、他の三人の家族は賠償を求めたのである。請求された家族も、うちの息子が本当に運転していたかどうか、証拠があるのかと逆襲したため、混乱状態になった。
警察の調べでも運転者を正確には特定しかねていた。
現在では交通外傷にくわしい専門家もいて、医学的にもまた法医学的にも、交通外傷は分析解明されているから、あまり問題になることはないが、当時は研究がまだ緒についたばかりで、専門家も少なかった。
それに引きかえ東京都の監察医は連日、数多くの交通事故死を扱い経験は豊富であった。
県警の担当官が相談にやって来たのは無理からぬことである。
早速、警察の調査資料、現場写真、四遺体の写真、カルテの写しなどを提示し、事件の経過について説明がなされた。
事故の概要を頭に入れてから、資料に目を通すことにした。
全裸にした死体の写真を丹念に見ていくと、胸の中央と下《か》顎《がく》部に打撲傷のある者がいた。あとの三名は主として顔や頭の外傷、手足の打撲傷などであった。
死因はいずれも頭《ず》蓋《がい》骨《こつ》骨折、脳外傷となっていた。
即死した二人は外部所見などから、助手席とその後の座席に乗っていたものと推定され、運転者にはハンドル外傷として、衝突の際胸や下顎部を打撲するケースが多い。
また車が転落するとき、足をふんばりハンドルを握っているので、からだは固定されるから、その他の部位に損傷をうけることは少ないため、生存率も高い。
同乗者は車内でふり廻《まわ》されて頭や手足に打撲傷を負う。
当然このような自動車事故の場合は、危険の度合からいうと、助手席が最も危険であり次いで後部座席の順となり、一番安全なのは運転者ということになる。
運転者と見なされ、即死した男にはハンドル損傷はなかった。どう見ても助手席に同乗していた者の外傷である。
逆に生存期間の長かった者の家族が、最も激しく損害賠償を主張していたが、彼の下顎部と胸に打撲傷があり、カルテにも治療の記載があった。
まさしくハンドル損傷であり、運転者であることが、死体所見から立証されたのである。
その後、この事件はどう結着したのか聞いていない。
最近では単車の事故に、同じようなケースが増えている。
若者が二人乗りして猛スピードでカーブを曲りそこねたりして事故を起こす。
単車からかなり離れた位置にはねとばされて、二人とも死亡したような場合、どちらが運転者で同乗者なのかわかりにくいがその区別は、重要である。
しかし、一瞬の出来事であるから目撃者の証言も明確ではない。
とくに、夜中の事故で二人とも同じようなライダースタイルであったりすると、お手上げである。
しかし、死体観察を丹念に行えば、単車の運転者外傷としての特徴的な所見を見つけ出すことができる。
衝突して単車からふり落されるとき、運転者の内《うち》股《また》は燃料タンクなどに強く擦過されて、小さな皮下出血などを形成することがある。
後部の同乗者にはない外傷である。
目撃者の証言を根拠に、同乗者の家族が運転者側に損害賠償請求をしたが、死体所見から請求者側に内股の皮下出血がみられ、運転者であることがはっきりして、立場は逆転したケースを扱ったことがある。
目撃者の証言も大切であろうが、事実の体験者である死者の声を聞くのが、最も重要なことである。
法医学は、死者の声を聞く学問でもある。
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