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死体は生きている32

时间: 2020-04-14    进入日语论坛
核心提示:死《し》 斑《はん》 勤めに出ていたころ、私はラッシュアワーのすし詰め電車に乗るのがいやで、朝の出勤時間は早かった。七時
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死《し》 斑《はん》
 
 勤めに出ていたころ、私はラッシュアワーのすし詰め電車に乗るのがいやで、朝の出勤時間は早かった。
七時には家を出て、電車を乗りつぎ七時四十分には役所に着いていた。
九時までの間、文書類に目を通し、検死や解剖記録の整理をし、また記録写真、新聞の切りぬき、文献の収集など資料の整理をすませるのが日課であった。
その日は、九時半ごろ検死に出かけ七件の事件を処理して、帰院したのは午後の四時近くであった。
すでに面会者が私の帰りを待っていた。
十日前に私が検死した五十三歳の土建業者の奥さんと息子さんが、死亡した父親のことで相談したいことがあるからと、面談を約束し、来院していたのである。
早速、応接室に入っていただき、話をうかがうことにした。
息子さんは大学で法律を学んでいた。
朝、用意して置いた資料を持って、私は二人に対面した。
ビルの建設工事現場で一階の床面に倒れ、意識不明になっているのを近くで作業していた同僚に発見され、病院に収容されたが、昏睡状態のまま死亡した事例であった。
病院の霊安室で検死をしたが、外傷はなく、そこのドクターは診療時間が短く診断がつかぬまま亡くなられたと説明していた。
なるほど、検死でも死因はわからなかった。
結局、監察医務院で行政解剖をすることになった。
若い監察医が執刀した。解剖が終って、遺体を引き取る際、遺族は窓口で病死の脳出血であるとの説明をうけている。
しかし、薬化学検査、病理組織学的検査などが終っていないので、最終診断は三〜四週間後になるが、肉眼的に脳には大きな出血がみられるので、諸検査によって死因が変更されるようなことは先ずないだろう。
普段、血圧が高かったが、あまり治療はしていなかったらしい。また、従業中の死亡であるが、病死なので労災の適用は無理であった。
母と子は、
「解剖が終って父を自宅に引きとってから、納棺された姿をもう一度見直したところ、首のうしろに紫色になった皮下出血がありました。おかしいと思ってゆかたをぬがせて、背中を見ると、全体に皮下出血があるのです」
「夫は一階の床面に倒れていたらしいのですが、本当は上の方で作業をしていて転落し、頭や背中を打って皮下出血や脳出血を起こしたのではないでしょうか」
「労災事故だと思うのですが」
というのである。
なるほど、素人は素人なりにうがった見方をするものだと思った。
検死の際に、死体所見を撮影してあったので、私は、
「ここに資料がありますが、もしもおいやでなければカラー写真をご覧いただきたいと思います。その方がわかりやすいと思いますので」
「父の写真があるのですか」
と息子は、私に確認してから母親と顔を見合せ、二人は承知した。
息子は、写真を手にするなり、
「これです。これ」
と背中の部位を指さした。
死斑であった。
いや困った。死斑を皮下出血と思い込んでいる。
しかも皮下出血であれば、転落という労災事故となり、日給の千日分を補償金として、家族は受け取ることができる。
死斑であれば、単なる病死であるから労災の補償はない。
この判断は家族にとっては、重大事である。
二人して出かけて来たのも無理からぬことであった。
説明は簡単だが、それとわかったときの母と子の落胆を思うと、私の心は重かった。
人が死ぬと心臓がとまり、血液の流れも止まる。すると、血管内の血液は重力の方向に下垂してくる。つまり背中を下にして死亡していれば、背中の血管に血液は流れ込み、上になっていた部分の血管には血液がなくなるから、蒼《そう》白《はく》な皮膚の色となる。
背中の皮下の静脈にたまった血液の色が、皮膚を透して見えるのが死斑である。暗赤褐色の色調で、見たことのない人は皮下出血と思うのも無理はない。
日常生活の中で、よほどのことがない限り死んだ人を見るという機会はない。ましてや死斑を見るようなことは殆《ほと》んどなく、知らないのが当然である。
死斑は、死亡して二〜三時間たつと、血液が下垂して少しずつ、見えてくる。しかし、背中の中央部やお尻の部分は、体重によってからだが床面に圧迫されているから、その部の静脈はつぶれて血管の中に血液は流れ込まない。だから圧迫を受けない部分に死斑は出現する。
たとえばパンツのひもが、腰を圧迫していると、その部には死斑は出現しない。
死後十時間以内位までは、出ている死斑を指で押してすぐ指を離すと、押した指跡の血液は排除されて指あとは蒼白な皮膚の色となるが、五〜六秒もすればまた血液が集まってきて、元通りの死斑になる。
この時間帯に、たとえば死体を腹《はら》這《ば》いに裏返しにすると、血液は再び重力の方向に移動して、死斑は顔、胸、腹の方向に徐々に出現してくる。しかし、死後二十時間以上たつと、死斑はほぼその位置に固定され、指で押しても指跡はつかないし、からだを裏返しにしても死斑は移動しなくなる。
このように、死斑の出現から固定されるまでの状態を観察することによって、何時間前に死亡したものなのかを推定することができる。
首つり死体の場合には上半身は蒼白で、下半身に死斑は出現する。
いろいろな事例の死斑の写真を見ていただき、息子さんは死斑というものがどんなものだか、わかったようであった。
「やっぱり、死斑なんですか」
残念そうにいう。
「そうなんですね。だから首つりした人の背中に死斑があったとすれば、どういうことだかわかりますか」
「あっ、そうか。殺したあと犯人が首つり自殺に偽装した」
と正解したのである。
「それじゃ、死斑が殆んどない死体は」
「死斑がないのは、血液がない」
「そう、そう。だから」
「えーと、出血した場合ですか」
「そうです。あなたは頭がいい。刺殺されたようなときです」
と話ははずみ出した。
溺《でき》死《し》の場合などは水圧で、からだの表面の血管は圧迫され、あるいは水流などによって体位が始終変換するので死斑は出ない。
また一般の死斑は暗赤褐色だが、一酸化炭素中毒や凍死の場合などは、鮮紅色になるため、死斑の色で死因がわかる場合もあるのです、とつけ加えた。
すっかり、法医学に興味を覚えたようであった。
お母さんの方は、死斑といわれてショックだったのだろう。黙り込んでしまった。
しかし、私は皮下出血との区別についても、簡単に触れておかなければならないと思って、話を徐々にその方に向けていった。
皮下出血は、生きているときに皮下の血管が破れ、血圧によって血液が皮下の組織の中に入り込んでいる。その血液の色が暗赤褐色に皮膚を透して見えるので、死斑と同じように見えるが、皮下出血は初めからその場所に固定され、移動することはなく、指で押しても死斑のように指跡が蒼白に褪《たい》色《しよく》するようなこともない。
見慣れれば簡単に区別はつく、と説明した。
また、頭には打撲傷はなく、転落による外傷性脳出血は否定され、病的発作であることを説明してわかってもらった。
「お力になれなくて、誠に申し訳ありませんでした。でも立派な息子さんをお持ちで……」
とお母さんに慰めの言葉をかけた。
「がっかりしましたが、仕方ありません。でも、先生のお話はやさしく、とてもわかりやすかったです」
と感謝して、母と子は帰っていった。
現実はきびしい結果に終ったが、事実を正しく理解するという点においては、この面談は有意義であった。

それから数日後、中学三年生の入水自殺を検死に行った。
成績がよくなかったので、先生から希望校の受験は無理だといわれ、自殺したというものであった。
成績が悪いことを本人にわからせることはいいが、希望まで失わせるようなことがあってはならない。
対応の仕方が問題だと直感した。
待てよ。先達ての母と子の件は、あれでよかったのだろうか。
事実の説明のために理屈だけを相手に、押しつけはしなかっただろうか。
自分自身の行為が急に気になり出した。
理屈でその場を切りぬけても、心のかよった対話でなければ、相手を説得するどころか、失望を与えるだけだろうと今、反省しきりである。
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