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死体は生きている33

时间: 2020-04-14    进入日语论坛
核心提示:雪上の靴跡 法医学を専門にしているとよく一般の人から、死んでもひげや爪《つめ》がのびるのかと質問されることがある。なぜそ
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雪上の靴跡
 
 法医学を専門にしているとよく一般の人から、死んでもひげや爪《つめ》がのびるのかと質問されることがある。
なぜそのような質問をするのか、逆に問いかけると、死んだおじいさんの顔をきれいにしようと、のびたひげや爪を切って死に装束を整えたのに、通夜を終え告別式の前に身内が集まって、納棺されたおじいさんと最後のお別れをしたとき、剃《そ》ったはずのひげがのび、切ったはずの爪がのびていた、と驚きの体験からの質問であることがわかった。
死とは脳、心、肺の永久的機能停止とされているから、ドクターはこの三つの機能停止を確認して患者の死を宣告している。
ところが、からだの個々の細胞は血液の中の酸素をつかって、数時間は生きつづける。死の宣告をうけても、細胞のレベルではまだ完全に死んではいないのである。
血液の色は赤いというが、動脈血は酸素を含んで鮮紅色、静脈血は酸素が少なく炭酸ガスが多いので同じ赤でも暗赤色と表現するほど、色調は違っている。
病気などで吐血したときなどは、消化器系からの出血であるから、静脈血性で暗赤色であるが、喀《かつ》血《けつ》となると肺からの出血で、酸素に富む動脈血性であるため、鮮紅色なのである。
殺傷事件の現場に残る血痕を見ても、動脈が切られている場合には、飛散の度合が著しく、色調も鮮紅色を呈しているが、静脈切創の場合は、飛散も弱いし血液の色も暗赤色である。
だから死後二〜三時間以内に解剖をすると、心臓の左心血は動脈血で鮮紅色、右心血は静脈血で暗赤色となっていて、色調は明らかに違っている。
ところが、五〜六時間以上経《た》って解剖した場合には、左心血と右心血の色調に差はなくなり、どちらも暗赤色となっている。
そのわけは、死の宣告がなされても細胞のレベルでは、まだ生きている。個々の細胞が動脈血の酸素をつかって生きつづけ、酸素がなくなった動脈血は、暗赤色の静脈血性となるからなのである。
しかし、細胞の死を待たずに死を宣告して、医学上も法律上もまた社会通念としても、何んの不都合もない。
とすれば、ひげがのび、爪がのびてもおかしくはないのである。
「やっぱり、のびるのだ」
とわが意を得たりと、うなずく。
しかしながら、個々の細胞が生きていたとしても、血液の循環は止っているから、細胞が分裂増殖するほどの活力はないから、ひげがのび、爪がのびるというような、活発な生活反応は示さない。だから、死後にそのような現象は起こらないと、つけ加えると、
「えっ! のびないの? いや、違うよ。確かにのびていたよ」
と体験した人などは、一段と声をはり上げる。
これを見たとき、驚きのあまり居合せた人を呼び、皆んなで見直したが、本当にのびていたと反論する。
「いや、そうでしょう。皆さんの見られたことに嘘《うそ》はないと思います」
と私は合《あい》槌《づち》を打ってから、法医学ではこの現象を死後の乾燥と説明していることを、詳しく話した。
つまり、死後もからだの水分はどんどん蒸発するので、死体は次第に乾燥する。
とくに皮膚の乾燥が著しいから、毛穴のもり上りが水分を失って平坦になると、その分だけ毛がのびたように見えてくる。実は、のびたのではなく、皮膚のもり上りがなくなるから、のびたように見えるのである。
爪も同じで、指先の皮膚の水分が失われて乾燥萎《い》縮《しゆく》するから、爪が指先よりも突出して、相対的にのびたように見えるのである。
「うーん。なるほど、そういうものか」
と不満を残しつつも、納得してくれる。がしかし、理屈による説明よりも、おじいさんが家族と最後のお別れをするまでは、毛や爪がのび生きているかのような感じであった方が、はるかに情がかよい合う。
種明かしは、家族が抱いている親しみの情を、ぶち壊したようでベターではなかった、と後悔している。

ある朝、目を覚すといつもより部屋が明るかった。
寝すごしたかと、はね起きたがその日は自分の定休日であった。
監察医務院は年中無休であるから、日曜、祭日が休みとは限らない。各自が交代で休みを取っているので、子供が小さかったころは、家族と休日を一緒にたのしむようなことはめったになかった。
休みか。それならも少し寝ようと思いながら、窓ごしに外を見ると一面真白く、雪が降っている。
久し振りの雪であった。それで部屋が明るかったのだ。十糎《センチ》位は積っている。
雪かきでもしようと、小犬を連れて外に出た。
犬は雪に半分からだがうまりながらも、喜んでかけ回っていた。
道路には、まばらに新しい靴あとがあるだけで、もの音一つしない静かな朝であった。
長靴をはいていたので、降り積った雪の上を小犬を追いかけて遊んだ。
そのとき、自分の靴あとをみて、ふと感ずるものがあった。
五〜六歩、歩いてみてはふりかえって靴跡を眺めた。
歩く方向に長靴のかかとは、雪を押しつぶすように斜め前方にうまっていき、やがてかかとが路面に達すると、からだの重みで靴底のギザギザ模様が雪道につくられていく。
自分だけではなく、どの靴あとも同じパターンであった。
これだなと、自分の考えていることがはっきりしてきた。
それというのは、一週間程前ある事件の鑑定を依頼され、考え込んでいた。そのことが頭にこびりついていたので、なにげなく雪道の靴跡を見ている中に、ひらめくものを感じたのである。
鑑定というのは、頭《ず》蓋《がい》骨《こつ》の頭頂部に五百円玉ぐらいの円形陥没骨折のある写真を見せられ、意見を求められていたのである。
目撃者もなく、また凶器も発見されていない。犯人とおぼしき男は、犯行を否認している。
この写真から、凶器は何か。どのようにして円形陥没骨折は形成されたのか、の二点について答えねばならなかった。
陥没骨折は、丁度頭のてっぺんにあり、全体的に七〜八粍《ミリ》ほど陥没している。ただ前頭部寄りの骨折の円囲に沿って密着するように、小さい弓状をしたひび割れのような骨折が、二条附随していた。
警察の説明によると、すでに三大学の教授が、三者三様の鑑定をしていた。
しかし、いずれもこれまでの警察の調べと合致した結論になっていないという。つまり頭蓋骨の円形陥没骨折という死体所見と、犯行当時の捜査状況が一致しないというのである。
事件解決の場合には、死体所見と状況はほぼ一致するものである。その点からすれば、このケースは鑑定か捜査状況か、どちらかに無理があるように思われた。
A教授の鑑定によれば、円形陥没骨折の状態から、凶器はハンマー(金《かな》槌《づち》)であろうと推定している。
しかし、その成因については他殺と断言することはできない。自殺の可能性もありうるというものであった。
B教授は、凶器はハンマーで、成因はそのハンマーで殴打したものであるとし、さらに攻撃方法は被害者の正面から、加害者がハンマーをふり上げ、頭頂部を強く殴打したものであると説明している。
理由は、ハンマーをスナップをきかせるように強く打ちおろし、頭に当てると、ハンマーの攻撃面の遠位側が最も強く頭蓋骨の後頭部側に当って骨折を生じた後、近位側が前頭部側に当り、円形陥没骨折を形成する。
そのときに前頭部側の骨折部の円囲に沿って、弓状のひび割れ骨折が生じたものであると鑑定していた。
C教授の鑑定は、凶器はハンマーなどではなく、丸味のある石の可能性が強いと推定している。
加害者は石を握って殴打したもので、石の形状がはっきりしないから、どの方向から殴打したのかは、判断しにくいとしていた。
正に三者三様で、どの鑑定がこの円形陥没骨折を満足させるのか、私も頭を悩ませていた。
ハンマーをふり上げて、スナップをきかせ頭頂部を殴打したとすれば、被害者は加害者より低い位置あるいは低い姿勢でなければならない。その際、ハンマーは振り子のように弧を描いて頭に当る。その瞬間をスローモーション映画でも見るように分解すれば、ハンマーの攻撃面の遠位側が先ず頭髪の上から、頭皮に当る。
そのときの外力で頭蓋骨に小さな弓状ひび割れが生ずる。次の瞬間ハンマーの遠位側は弧を描きながら、わずかに手前にずれて頭皮に挫《ざ》創《そう》を生じて、頭蓋骨に直接当りそこに強い骨折を生ずる。
次いで、ハンマーの攻撃面全体が頭蓋骨にくい込み、円形陥没骨折を形成する。
このように分析すると、円形陥没骨折の円囲に沿う小さな弓状ひび割れ骨折のある部位が、最初に攻撃をうけた場所ということになる。
雪道に残された靴跡は、私にそのことを示唆していた。
雪が頭皮で、路面を頭蓋骨と考えると、歩く方向に向かって靴のかかとは、斜め前方に雪を押しつぶすように、うまっていき、やがてかかとは路面に達する。
ハンマーの攻撃方向は、弓状ひび割れ骨折の方向からであると確信した。
このケースのひび割れ骨折は、前頭部側に形成されているから、加害者は被害者の後方からハンマーをふり上げ、攻撃したことになる。しかもスナップをきかせていることを考慮すると、加害者と被害者には高低差が必要である。
したがって、被害者は低い姿勢(坐《ざ》位《い》、前かがみ、段差のある場所など)であったと思われる。
B教授のいうように、正面から攻撃を加えているという見方とは、全く正反対の考えである。
ましてや凶器は石などではなく、また後方からの攻撃と考えるので、自殺の外傷ではありえないと考えた。
前三教授の鑑定とは違った見解になったが、この理屈で事件を説明してみようと、自分なりの結論を引き出すことができた。

鮮紅色の動脈血が死後五〜六時間経つと、暗赤色に変化することや、死後も毛や爪がのびるかのような一つの現象を、正しく理論的に説明するのが、理想的な鑑定であるが、このケースのように、目撃者がいなかったり、いてもはっきりしないなど、どの鑑定が正しいのかの判定が困難な場合もある。
また裁判は、疑わしきは罰せずで、一たす一は必ずしも二にならないのが現実である。
そんなことを思いながら、雪の降る道を靴跡だけを眺めて歩きつづけた。
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