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死体は生きている34

时间: 2020-04-14    进入日语论坛
核心提示:出会い 医師にかかると必ずカルテが作成され病歴、症状、診断名、治療、経過などが克明に記録される。死亡した場合には、死亡診
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出会い
 
 医師にかかると必ずカルテが作成され病歴、症状、診断名、治療、経過などが克明に記録される。死亡した場合には、死亡診断書が発行される。
それと同じように、変死の場合には検死が終ると、監察医は死体検案調書を作成する。これは、臨床医のカルテに相当するもので死亡時間、死体所見、警察の立会官の氏名、死亡前後の状況、死因、病死か災害死かあるいは自殺か他殺かなどの区別、そして最後に監察医の署名捺《なつ》印《いん》が入る。
この死体検案調書は監察医務院に永久に保存されると同時に、所轄警察にも保管される。
次いで死亡診断書にかわるものとして、死体検案書を記載し、家族に無料で交付する。
これは死亡届といわれる書類である。
死亡診断書と死体検案書は、その名称が違うだけで内容は全く同一である。
ドクターが患者の生きている状態から死亡までを診察していた場合は、書類のタイトルを死亡診断書とし、死体を検死して死因を決定した場合には、そのタイトルを死体検案書とすることになっている。

ある日、首つり自殺の検死が終ってその家の茶の間のテーブルを借りて、立会官から死亡者の住所、氏名などを聞きながら、死体検案調書を記載していた。
家族構成は、会社勤めをしている本人と妻、それに小学生の子供二人の四人暮らしであった。
本人は生《き》真《ま》面《じ》目《め》の上、内向的性格で口数の少ない男であった。近々、転勤の予定になっていたのを苦にしていたらしい。転勤といっても遠隔の地ではなく、同じ都内の営業所であり、妻も気にはしていなかったが、突然首をつってしまったのである。
妻は動転して、警察の調べも思うにまかせず、落着くのを待つほかなしという状態であった。
死体検案書も縊《い》死《し》、自殺と判断され書類の作成は終った。
監察医補佐が、奥さんに、
「お気の毒様でした。検死は終りました。あとはこの死体検案書の戸籍に関する記載欄に、ご主人のことを記入して区役所の戸籍係に提出してください。そうすると、火葬埋葬の許可証がもらえます。その許可証がないとお葬式は出せませんので」
と説明した。
「わかりましたか」
と念を押したが、奥さんは泣きながら話を聞いてはいるが、何度同じことを説明しても理解はできていない。
子供は部屋の片隅で、おどおどしている。
そのうちに、補佐は、
「奥さん、しっかりしなさい」
と一喝した。
びっくりしたように泣くのをやめて、奥さんは補佐の顔を見た。
「泣いている場合じゃないでしょう。この子供さんを見てごらん。かわいそうに。お母さんがしっかりしないと、皆んながだめになってしまうでしょう」
大きな声であった。
結局、居合せた隣家の人に説明し、書類を渡してわれわれは引きあげた。
平穏な暮らしの中で、ある日突然一家の大黒柱が自殺をしてしまった、幼ない子供二人をかかえた妻の驚きと動揺は無理からぬことである。
帰院中、検案車の中で補佐が、
「先生、ついどなってしまって、すみませんでした」
公務員にあるまじき対応であったことを、上司である私にわびたのである。
ただどなり散らしたのではない。愛がこめられていたから許されるであろうなどと、話をしながらその日は終った。
それから一か月程たったある日、中年の女性が監察医務院を訪れ、私に面会を求めた。
見覚えのない顔であったが、話を聞いてみると、夫に死なれ泣いてばかりいた奥さんであることがわかった。当時とは服装も違い、化粧もして小ぎれいになっていたので、見違えたのである。
早速、そのときの補佐を呼び、奥さんに会ってもらった。
夫の死を発見したときの驚き、そして二人の子供をかかえてこれからどうしたらよいのかと思ったとき、気は動転してしまいました。
一家心中するしかないと、そのことばかり考えていたというのである。
しかし、先生方が検死に来られて、
「あの一喝で、目が覚めました。本当にありがとうございました」
とくりかえし、お礼をのべ持参の菓子折をさし出した。
呼び出されたとき、補佐は都民からの苦情でおしかりを受けるのかと緊張していたが、今は充実感に顔はほころんでいた。
われわれの仕事は、警察官と一緒に現場に行き、検死をし死因を究明するだけではない。身内の人の急死にあって驚きと不安を抱いている家族の方々に、慰めと希望を与えることが出来るならば、これは最高の仕事をしたことになる。
患者の病気を治して感謝される晴れやかな病院のスタッフとは違い、われわれは死者を対象とする暗いイメージの地味な仕事である。
今日のようなことは、めったにあるものではない。
奥さんは補佐に、深々と頭を下げお礼をのべて帰っていった。

私は、都立看護専門学校の解剖学の講義を担当して二十年になる。
毎日の仕事が死者との対面というハードなものだったから、高校卒の若い女性を前にして、週一回の講義は気分転換に大いに役立った。
解剖学は構造の学問であるから、殆《ほと》んどが暗記である。決して面白いとはいえない。学生はむしろ苦痛であろう。
教える方は、なんとか興味をひきつけ、注目を集めなければ講義は成り立たない。
そこで、骨格の項では白骨事件。血液循環器の項では殺傷事件。肝臓の項では慢性アルコール中毒の話など、スライドをふんだんに使用して、実例と結びつけ話をすすめた。
結構、学生はついてきた。
ある年の四月、入学して最初の講義の日に、私は学生に向かって、
「君達がもしも、何にでもなれる能力をもっていたとしたら、それでも看護婦の道を選んだであろうか。それとも別の道を選んでいただろうか」
とアンケートをとった。
半数は看護婦、あとの半数はスチュワーデス、ジャーナリスト、芸能関係、教師、短大や大学への進学などを希望していた。
自分の体験した、医学部などとは大違いであることに、とまどいを感じながら集計した。
同じタイプの人間が集まっているよりも、いろいろな人間が集まっていた方が、有益であろうと思った。
それから半年、解剖学の講義は最終日を迎えた。
私は再び同じアンケートを行ってみた。
意外な結果に驚いた。
なんと全員が、看護の道を選んだことに悔はないというものであった。
半年の間、一般教養科目と専門科目の講義が続いたのであるが、私はその間、アンケートによれば、君達のあこがれはスチュワーデスなどにあるらしい。彼女らは国際的な感覚をもち、格好よい制服を着て世界の空をかけ廻る。危険を伴うが、高給取りである。確かに魅力のある職業であろう。
それにひきかえ、看護婦は三年間の専門教育をうけた後、国家試験に合格しなければ資格は得られない。
人の命にかかわって仕事をするために、人間的にも学問的にも、常に洗練されていなければならない。その意味で看護婦は、知的な職業であり、いわゆるブレイン・ワーカー(頭脳労働者)でもある。にもかかわらず資格、労働の割に、待遇は必ずしもよくはない。しかし、徐々に社会的評価は高まっていくであろうと、私の考えをのべて自覚と希望をうながしておいた。
同じようなことが、それぞれの講師によって、担当科目を通して看護の道が説かれたのであろう。
たった半年の間に、高校卒の若い女子学生達、殆んどすべてがこの道に喜びを見出していたのである。
教育の成果があったと嬉《うれ》しく思う半面、教育というものの恐ろしさを痛感した。
冷静な自己批判も、必要であると思った。
しかし、夫に先立たれた奥さんにしろ、看護学生にしろ、人との対話の中に、生きるきっかけを見つけ出したり、希望を見出すことができるならば、こんなすばらしい出会いはないと思うのである。
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