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死体は生きている39

时间: 2020-04-14    进入日语论坛
核心提示:轢《れき》断《だん》事件 医師の診療には外来と往診がある。外来は診療所内で多くの設備を利用して、患者の病状をチェックし、
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轢《れき》断《だん》事件
 
 医師の診療には外来と往診がある。
外来は診療所内で多くの設備を利用して、患者の病状をチェックし、治療の面でもそれなりの対応は可能である。ところが往診の場合は、ご存知のように簡単なことしかできない。
われわれが行う変死者の死体検案(検死)は、殆《ほと》んどが現場に出向いて行うもので、往診の形になる。簡単な対応のように思われるかも知れないが、実はそうではなく法医学の専門家が現場に出向くことには、大きな意味がある。
なぜならば、死体は言葉を発しないから、死因を分析する上で死亡の現場を観察することは、きわめて重要なことである。
海底の絵があって、そこに金魚が泳いでいれば誰れだっておかしいことに気づくであろう。しかし、鯛《たい》やひらめが描いてあれば何んの不思議もないが、専門家がさらに細かく観察すれば、どこかに矛盾を感ずるような箇所が見つかるかも知れない。
警察官の観察とは一味違った、法医学者としての目が必要なのである。
だから医務院で監察医が待機し、遺体だけが搬入され検死するようなことが、ときにはあるがベターとはいえない。
検死は発生現場で行うのが原則である。
昔は、列車や電車にとび込み自殺などがあると、頻繁に電車の通る線路わきで、現場の状況を観察した上で検死をしたものであった。
しかし、発生から検死終了までにはかなりの時間がかかるし、交通の妨害にもなり、また人だかりが出来たりして、とても腰をすえて検死をするわけにはいかなくなってきた。
そんなわけで、時代とともに検死のあり方も少しはかわってきた。
ケースバイケースであるが、現在では現場の状況を素早く記録し、また写真に保存するなどして、遺体は警察の霊安室に移しかえ、現場はすみやかに元の状態に復帰させるようにしている。だから現場の状態は、ポラロイド写真などを参考にして、検死をしているのである。

発生現場で検死をしていたころの話である。
警察官に案内され、行きかう電車の間をかいくぐって何本もの軌道を横切り、線路わきの現場にたどりついた。
とび込み自殺ということであった。
丁度線路は大きくカーブし、ものかげからとび込めば、運転手はなすすべもないような場所であった。
遺体の傍らには、制服の警官が一人立っていた。長いこと私達の到着を待っていたのであろう。お互いに、ご苦労様です、と挨拶を交す。
検死をするため被われていたシートをはがすと、腹部全体が横に挫《ざ》滅《めつ》轢《れき》断《だん》された状態になっていて、腸が露出していた。着ていたシャツはちぎれて胸には電車の油脂がベットリと付着し、額《ひたい》にはクルミ大二個の挫創があった。
補佐はハサミで着衣を切り、遺体を全裸の状態にする。
詳細に死体検案をしていく。
胸部を触診すると、数本の肋《ろつ》骨《こつ》骨折があった。
轢断後、車体に巻き込まれて長い距離移動したようである。
立会官は、
「先生、生活反応はありますか」
と不安げに尋ねた。
そのころはまだ国鉄総裁の下山事件は記憶に新しかったので、当然の質問であった。
生前の轢断か、死後の轢断かで日本中が大騒ぎをし、生活反応という法医学用語がポピュラーになったのも、このときである。
以来、警察では轢断死体の生活反応には、とくに神経をとがらせていた。
腹部の轢断部はもちろん、前額部挫創にも生活反応はあった。
しかし、一瞬のうちに全身に強大な衝撃が加わり即死するような場合、たとえば高所からの墜落とか、列車にとび込むようなケースでは、全般的に生活反応は弱く、出血なども少ないものである。
「生活反応はありますよ」
といいながら、でも、
「心配なら、腸を調べてみましょう」
と私は轢断部から露出している腸を、詳しく観察し出した。
腹部が横に轢過され、しかもそこに生活反応があれば、ほぼとび込み自殺と考えてよいであろう。
しかし、生活反応がないとすれば、死後の轢断ということになる。そうなれば、これは殺しである。
犯人は殺害後、死体をレールの上に運び電車に轢過させたわけである。死んでいるのになぜそのような工作をする必要があるのかを考えれば、おわかりのように殺人の隠《いん》蔽《ぺい》にほかならない。となれば、犯人はどのような殺し方をしたのか憶測することができる。
つまり、刃物で腹を刺して殺したのである。その刃物の刺創をレールの上に置き、挫滅轢断させて殺人を隠蔽し、とび込み自殺に見せかけようとしているに違いない。
だから、心臓刺殺をして、腹部を轢過させるような馬鹿な犯人はいない。
さらに死んだ大の男を一人では運べないから、犯人は複数であろうなどと、推理はふくらむのである。
下山事件があったころ、私は学生であったから詳しいことは知らないが、目撃者のいない事件だけに、いろいろな場面が想定され、捜査されたであろうと想像する。
とくに腹部表面の刺創は挫滅轢断されて、隠滅されているだろうが、おなかの中の腸は、うねっているから腸のあちこちに刺創はできるので、轢過されても見ることはできるはずだ。となれば、ガスを含んでふくらんでいる腸には刺創はない。刺創のある箇所は創口からガスや腸内容が洩《も》れ、臭く汚ないところである。
ゴム手袋をして、丹念に腸を調べたのはそのためである。
「大丈夫です」
心配は無用であった。
所持品は飲屋のマッチ一個で、遺書もなく身元を明かす何ものもなかった。
しかし死体所見、現場の状況から自殺以外に考えられる要因はなく、炎天下での検死は終った。
法医学の道に入ってから、下山事件に直接関与した先輩達から話を聞くと、全身の挫滅がひどい上に、スコールのような雨に遺体はさらされ、事件は最初から波《は》瀾《らん》を含んだスタートであったという。
それにしても一つの轢断事件が、これほど大騒ぎになったのは、法医学そのものがまだ充分に開発されていなかった時代でもあり、戦後の混乱した時代であったためなのかも知れない。
しかし、時の流れはすべてをのみ込んで、昭和は終っている。
東京では近年、電車にとび込むという自殺手段は縊《い》死《し》、とび降りに次いで第三位と増加している。同時に学問的にも進展しているので、今後生前の轢断か死後の轢断かで、論争になるようなことはないだろう。
それよりも、自殺というプライベートな行動が、公的交通機関を一時的にせよ混乱させることに、腹立たしさを感ずる。
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