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死体は生きている40

时间: 2020-04-14    进入日语论坛
核心提示:赤鬼・青鬼 子供のころ、こわいものといえば鬼やお化けであった。鬼は女や子供をさらったりして、きわめて攻撃的であったから本
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赤鬼・青鬼
 
 子供のころ、こわいものといえば鬼やお化けであった。
鬼は女や子供をさらったりして、きわめて攻撃的であったから本当に恐ろしいと思っていた。
お化けは真夜中に出てきて、一人の人をおどろかす。こわいことはこわいのだが、夜中に一人にならなければ、出会うことはない。
さけられるのである。
やはり鬼の方が恐ろしいように思った。
しかし、お化けが出た話は聞くが、鬼に出会ったり、危害を加えられた人の話は聞いたことはない。子供心にもなんとなく、架空の話だと思うようになった。
長ずるにしたがって、そのイメージは道化もののような感じになっていった。
昭和十年ごろ、私は小学校一年から四年までを、網走の在で生活した。
晩学であった父は、医者になるとすぐ東京を離れ、北海道の開拓地を選んで開業したためである。無医地区に働く人々のためにと、その心意気は子供の私にもよくわかった。
卯《う》原《ばら》内《ない》という寒村で、ジャガイモ畑がかぎりなく続いていた。
汽車にのり時々網走へ母に連れられて出向くことがあった。途中、汽車は網走刑務所の農場の中を走る。
記憶をたどれば、当時青い囚人服を着た人達が農場で作業をしていた。また赤い囚人服を着たグループもあり、この人達はロープかくさりで数珠《じゆず》つなぎにつながれた状態になって、作業していたように思う。
畔《あぜ》道《みち》には何人かの刑務官が馬に乗ってぐるぐる回り、看視している。
赤い囚人服は重罪人で、青い服は罪の軽い人だと聞いていた。
赤鬼、青鬼。異様な光景にこわいと思っていたが、しかし列車がここを通るときに、乗客のおじさんやおばさん達は、窓を開けてタバコやキャラメルを畑に向かって投げていた。
あの人達は、きっとひもじい思いをしているのであろう。看守に見つからぬよう、拾って食べるのであろうか。私も母にならって自分のキャラメルを投げたのを覚えている。
そんな経験からか、赤鬼、青鬼はもっと身近な存在になり、そしていつしか忘れられた存在になっていた。
ところが監察医になって、初めて腐乱死体の検死をしたとき、忘れていた鬼のイメージがよみがえってきた。
隅田川に漂流死体が発見され、川沿いの派出所に遺体は安置されていた。
派出所前に検案車を止め、ドアーを開けたとたん、悪臭が鼻をつく。
腐っているな、と覚悟した。
裏庭へ通されると、悪臭は一層強烈で、遺体にはむしろがかぶせられていた。
ハエが群がっていた。
「先生。はじめますか」
といって監察医補佐が、むしろをとりはらった。
巨大な赤鬼のような顔。仁王様のように目をむいている。一瞬悪臭を忘れ、その形《ぎよ》相《うそう》に見入った。
法医学の教科書には、巨《きよ》人《じん》様《よう》顔《がん》貌《ぼう》と表現されている。
からだ全体が風船人形のようにふくらみ、シャツやズボンがひきちぎれそうになっている。はさみで補佐が着衣を切る。全裸にすると全身に腐敗ガスが充満し、遺体ははち切れんばかりにふくらみ、汚《お》穢《わい》赤褐色に変色して巨人様観を呈していた。
正に赤鬼である。
桃太郎の絵本などに出てくる鬼達は、昔の人がこのような腐乱死体をモデルに、描いたのではないかと思うほど似ていた。とくに陰のうはゴム風船のように腐敗ガスを含んで、大きくふくらんでいる。
腐敗は消化器系からはじまる。
なぜならば、生きているときには胃や腸は、内容物である食べものだけを消化するが、人が死ぬと胃酸や腸の消化液は、胃腸そのものを消化しはじめる。つまり酵素による自家融解が起こってくるからである。
そのうちに細菌類が繁殖して、腐敗は加速する。腐敗ガス中に含まれる硫化水素が、血液のヘモグロビンと結合して硫化ヘモグロビンがつくられると、先ずはじめに腹部が淡青藍色に変色する。やがてその変色は全身に波及し、腐敗ガスが発生すると全身はふくらんでくる。
この状態が青鬼である。
さらに腐敗が進行してくると徐々に暗赤褐色に変色し、腐敗ガスの充満が高度となって顔は巨人様顔貌、全身は巨人様観を呈して、赤鬼といわれるように、風船人形のようなふくらみをもち、仁王様のような恐ろしい形相になってくる。
気温の高い季節は、腐敗の進行は早いが、いろいろな条件や個人差があって、一定したものではない。
水底に沈んでいた死体も、腐敗ガスがたまってくると浮力をうけて水面に浮き上ってくる。
からだに重い石などをつけ、入水自殺をしても腐敗ガスが発生すると、おもりごと遺体は浮上する。
土左衛門といわれる赤鬼の状態から、さらに腐敗が進行すると、今度は黒色に変色し、黒鬼に変身する。そうなると、からだの組織は腐敗汁を出して融解しはじめる。
遂には骨が露出されてくる。
蛆《うじ》が発生していれば、その速度は早くなる。
黒鬼はやがて白骨つまり白鬼となって終るのである。
腐敗の順序は青鬼、赤鬼、黒鬼そして白鬼になって終る。
赤鬼のこの遺体は身元不明で、触わると表皮は簡単にむけ、髪の毛もすぐにぬけてしまう。五十がらみの男のようであった。
腐敗ガスのために舌は大きく口から外に突出し、よく見ると奥歯が二本欠如していた。また右下腹部に虫垂摘出術の瘢《はん》痕《こん》があった。
警察官はふやけてしわしわになった手のひらから、苦労しながら指紋を採取しているが、あとは歯と手術痕ぐらいしかこの人を特定する所見はない。
自他殺災害の区別は不明であるが、遺書はないし、ズボンのボタンがはずれているところをみると、酒に酔って川に向かって立小便中に、転落するケースは多いので、その可能性が強いと警察は見ていた。とはいえ他殺を否定する根拠はない。
死因は溺《でき》死《し》のように思われたが、死後変化が強いので検死だけで確定するわけにはいかない。
結局、行政解剖をすることになった。
検死後、石《せつ》鹸《けん》で何回も手を洗ったが悪臭はとれなかった。
十日後、身元が判明した。行方不明になってから三日後に発見されていた。解剖所見と合せ入水自殺による溺死と決定して、この事件は終った。

五日間の出張から帰宅した夫が、妊《にん》娠《しん》中の妻が布団の中でねたままの姿で死亡しているのを発見した。
警察の調べでは、心臓弁膜症があり現在は妊娠五か月で、体調はあまりよくなく医者にかかっていることがわかった。
遺体は腐敗のため赤褐色に変色し、ややふくらんだ状態になっていたが、悪臭は少なかった。
夏の夜のことである。
明日の午前中には監察医の検死があるから、そのままにしておくようにと、警察官は夫に伝えて引きあげた。
立会官に案内されて現場に着いたのは、翌日の昼近くになっていた。
十世帯位が入っている木造のアパートであったが、玄関に入るとすでにアパート全体に悪臭はたちこめていた。
二階の奥まった彼女の部屋に入ると、悪臭は一段と強烈であった。
扇風機を回しているが、この暑さではどうしようもない。腐敗はかなり進行していた。
昨夜《ゆうべ》検視した警察官は、
「こんなじゃなかったんです」
としきりに説明する。
巨人様にふくらみ、赤鬼状態になっている死体を見て、まるで別人のようだと驚いている。
私達は夏場によく経験することであったから、別に驚きはしない。
検死をするから着物をぬがせようと、補佐と警察官がゆかたの帯をとき、前をはだけると彼女の股ぐらに黒褐色の小猫ぐらいの、かたまりがある。
「あっ!」
と警察官は驚く。
「なんだ、これは」
と補佐は黒褐色のかたまりに顔を近づけ、確認しようと目をこらしている。
「先生。胎児だ。胎児です」
「ええ!」
私も驚きながら、そっちを見る。
黒褐色に腐敗した胎児であった。
臍《さい》帯《たい》は母とつながっている。
立会官は、昨夜の検視のときには母親一人でしたが、
「死体が子供を産むんですか」
と不気味そうに、また不思議そうに尋ねた。
私も教科書に記載されているので知識としては知っていたが、実際に体験したのはこれが初めてであった。
死後の分《ぶん》娩《べん》とか棺内分娩とかいうもので、腹《ふく》腔《くう》内《ない》や子宮に大量の腐敗ガスが発生すると、子宮が反転して死亡した胎児が娩出されることがある。
「不思議ではないが、めずらしい現象です」
妊婦が死に、胎児も死ぬ。そのあと放置され腐敗が進行すると、充満したガスによって母体は死胎児を娩出するというもので、事件には関係ありませんと説明した。
嬰《えい》児《じ》殺しとか、死体損壊とか、ともかく事件に無関係であることがわかって、立会官は安心したようである。
「監察医を長くやっていても、このような現象を見る機会は少ない。本当にめずらしい体験をされたと思いますよ」
と私は別れぎわ、立会官に言葉をかけた。
「先生。人間の生命力を見せつけられたような気がします。すごいものですね。死んでも子供を産む」
と彼はまだ興奮からさめやらぬ様子であった。

私はいろいろな死にかかわって、仕事をしてきたので、これにまつわる不思議な話は沢山あるのかも知れない。
しかし、この不思議に科学的メスを入れていくので、すべては理論で説明されてしまうから、私には不思議はないのである。
とはいうものの、警察官が、
「死んでも子を産む生命力」
と表現した言葉は、いつまでも私の耳に残った。
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