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死体は語る02

时间: 2020-04-14    进入日语论坛
核心提示:人を食った話以前、吉田茂という宰相がいた。高齢であったが、至極元気であった。対談で長寿の秘訣《ひけつ》として、「食事など
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人を食った話

以前、吉田茂という宰相がいた。
高齢であったが、至極元気であった。対談で長寿の秘訣《ひけつ》として、「食事などに留意されておられますか」との質問に、
「私は、人を食って生きているからね」
と笑わせていたのを覚えている。
フランス小噺《こばなし》風でユーモアに富み、人柄がにじみ出ていて面白い。
ところが同じ話でも、こちらは深刻である。アンデス山中に旅客機が墜落し、死者も出たが生存者も多かった。発見が遅れ救助されるまでにかなりの日数がかかり、食糧に窮した人々は、ついに死者の肉を食べ生命をつないだという体験リポートを読んだことがある。確か、食べずに死を選んだ人もあったと記憶している。生存者は、緊急避難(やむをえない行為)的要素があるので法律上問題にならなかった。
私の事例は少し違っている。
廃品回収業の池さんは変わり者だった。気がむくとリヤカーをひいて仕事に出て行くが、あとはほとんど掘っ立て小屋のガラクタの中で焼酎をのみながら、数匹の猫を相手に暮らしていた。近所のおかみさんたちも心得たもので、残飯などを猫にやったりしていた。
あるとき、猫が一匹少ないので、
「どうしたの?」
と尋ねると、
「酒の肴《さかな》がなかったので、焼いて食ってしまった」
と平気で答えたという気味の悪い話も伝わっている。
繁華街の裏手の空地の片隅に、六十を少し過ぎた池さんは、変わり者とか奇人といわれながらも、下町の人情に支えられてか、彼なりの人生を送っていた。
しかし、最近は仕事に出る日が少なくなっていた。ここ四〜五日姿を見せないので、近所のおかみさんが心配して中の様子を見ようと、酒屋に相談した。そういえばここ数日、酒を買いに来ていない。それではと、酒屋の主人が戸のない出入口から中を覗《のぞ》き込んだ。
「ヒャー」
と大声をあげて戻ってきた。
「化け物が寝ている」
と言ったから大変である。
近所の人たちが集まってきて、おそるおそる中を覗き込み、騒ぎはさらに大きくなった。池さんは死んでいたのだ。
間もなくサイレンを鳴らしてパトカーがやってきた。警官が中に入り、現状を確認するとすぐに無線で連絡をとりはじめた。小屋の周囲には立ち入り禁止のロープが張りめぐらされ、本庁から捜査一課や鑑識の車が次々と集まってきた。
化け物は万年床から少しはみ出して、仰向けに倒れていた。口や鼻の周りには無数のウジ虫がうごめいているが、額から眉《まゆ》にかけてはわずかに池さんの面影を残している。右頬《ほお》から右顎《あご》にかけては、白い下顎《かがく》骨が露出し、顔貌は腐敗も加わって仁王様のような恐ろしさである。化け物が寝ているといったのも、無理からぬことである。
肌寒い季節であったから、汚れたジャケツを重ねて着ているが、下半身はなぜか裸である。股《また》を少し広げ、陰部はほぼ逆三角形にえぐり取られたように、陰茎も陰のうも睾丸《こうがん》もなくなっている。
猟奇事件である。
昭和十一年、世間を騒がせた阿部定事件以来のことであろう。このときは、料亭の女中定が、自分の主人吉蔵を扼殺《やくさつ》し、外陰部を切り取り、死体の左内股に、“さだきち二人ぎり”と血で書き、左腕には刃物で“さだ”と自分の名を刻んで逃げた。
二日後、定は逮捕されたが、その時、彼女は切り取った男根を大事に持っていたという。この事件は当時から、興味本位に猟奇的に扱われてきた。
しかし、医学的には二人はサディズムとマゾヒズムの関係にあったといわれている。異性を虐待し精神的・肉体的苦痛を与えることによって、性的快感を覚えるのがサディズムで、その逆がマゾヒズムである。
男にサディズムの傾向が強いと、女は少なからずマゾヒズムに傾くといわれる。元来、女性は受動的であるからマゾヒストが多い。しかし、吉蔵と定の関係は逆で、吉蔵が強いマゾヒスト、定はサディストであったという。
池さんの場合も、似たような背景が潜んでいるのであろうか。小屋の中は死体の腐敗臭が強烈で、まともに息もできない。ウジ虫の徘徊《はいかい》もあって、つばを吐き、ゲーゲーやっている刑事もいる。鑑識のカメラがフラッシュをたいたとき、小屋の隅にいた一匹の猫が驚いて逃げ出した。現場検証と並行して、私服刑事の聞き込みがすみやかに行われていた。
監察医の出番である。
いくら慣れているとはいえ、このような現場は苦手である。臭くて、汚くて、たまったものではない。それにウジ虫の集団がうごめく様を見ていると、からだ中がザワつくような異常感が走って、薄気味悪くなる。しかし、職務上手を抜くわけにもいかない。ゴム手袋をした刑事が、着衣をぬがせ全裸にする。大変な作業である。
検死が始まる。頭部に外傷はない。首を締められたような痕跡も見当たらない。ただ右の耳たぶがギザギザに切り取られたように半分なくなっているが、周囲に出血がないので、死後の損傷と思われた。
陰部も耳と同じように、えぐられ、その周辺に出血はなく、現場にも血液の流出や血痕などは見当たらない。また池さんが犯人と格闘したような乱れや抵抗の様子もなく、防御創などもない。
やはり、死後何者かに切り取られたのであろう。その他、下腹部に線状の擦過傷が十数本縦に横に不揃《ふぞろ》いに散在している。しかし、外観から死因になるような所見は見当たらなかった。
聞き込みその他捜査状況からも、疑わしい点はなく、殺しの線も出てこない。とりあえず、死因究明のため監察医務院で行政解剖をすることになった。解剖室のライトに照らし出された死体には、監察医をはじめ立ち会いの警察官など十人近い人の眼が集中していた。
胸から腹へとメスが走る。
各臓器はかなり腐敗が加わっているものの、これという病変は見当たらない。ただ肝臓は肝硬変があって、アルコール中毒を思わせた。頭蓋《ずがい》も開けられた。しかし、外傷や脳出血などもなかった。
無言のうちに解剖は進んでいく。
「これだ」
という監察医の声に、一同の眼はその方向に向けられた。喉頭《こうとう》部の気管の入り口に、クルミ大の食物塊が詰まっている。カメラのフラッシュがたかれた。
団子のように丸まった食物塊をピンセットでほぐしながら観察する。マグロのブツギリのようであった。これがのどに詰まって窒息したのだ。
陰部、顔面、右耳の損傷および下腹部の線状擦過傷には、すべて生活反応がなく、死後の損傷であることがはっきりした。
胃内容、血液、尿などの化学検査の結果を待たなくては結論は出せないが、解剖終了の時点では、酒好きの池さんが、マグロの刺し身をおかずに焼酎を飲んでいるうちに、誤ってのどにひっかけ、窒息死したものと推定された。
主《あるじ》の急死によって、数匹の猫たちは餌に窮した。小屋の中の食べ物が全部食べ尽くされると、あとは池さんののどに詰まっている魚だけである。猫がその魚を食べようと必死になり、口の周りを食べていく。しかし、のどの魚までは届かない。
顔がやや右下向きになっていたので、池さんのよだれが頬を伝わり右耳に達していたのだろう。空腹の猫は右頬から右耳たぶまでかじった。
そこまでの推理は簡単であった。耳たぶのギザギザの咬創《こうそう》は、それを裏付けている。ネズミや犬の咬創とは、歯型が違う。
それでは、陰部はどうしたものか。えぐり取られたようになっているが、出血などの生活反応はなく、黄色い皮下脂肪が露出し、死後の損傷であることは明白である。まさかこの汚い小屋に女性が訪れてくるとは考えにくい。
「やはり猫の仕業か?」
解剖に立ち会っていた検視官は、そうつぶやいた。
とすれば、池さんは死亡前に下半身だけ裸になっていたことになる。暑い季節ではない。むしろ肌寒いのである。そう考えるならば陰部にも魚の臭いがついていた方が都合がよい。
独り暮らしの池さんが、ズボンをぬぎ、下半身を裸にして、そこに魚の汁などをつけて猫になめさせ快感にひたっていたとは、考えすぎであろうか。
下腹部の線状擦過傷は猫の爪痕《つめあと》のようなのである。食べにくい股間の場所がらを思うと爪痕ができておかしくない。
うがった考えだが、推定の範囲を出ない。現場には数匹いた猫が、一匹しか残っていなかった。食べ物がなくなったので、あとの猫は居所を移したのだろう。
数日後、化学検査の結果がわかった。血液、尿中から多量のアルコールが検出された。胃内容から毒物は検出されなかった。池さんは予想した通り、泥酔状態で魚を誤嚥《ごえん》し窒息死したのである。
陰茎から睾丸まで根こそぎもぎとった猟奇事件も、結局犯人は猫のタマであったということで落着した。追いつめられたとき、人間はどうするのか、考えさせられる事件であった。
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