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死体は語る03

时间: 2020-04-14    进入日语论坛
核心提示:親子鑑定女性の社会への進出がめざましい反面、わが国でも欧米なみに離婚が増えたり、性意識の乱れとともに親子鑑定なども年々増
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親子鑑定

女性の社会への進出がめざましい反面、わが国でも欧米なみに離婚が増えたり、性意識の乱れとともに親子鑑定なども年々増加している。
むかしの親子鑑定は、大岡越前守の裁きに代表されるように、科学的決め手がなかったから、人情などに訴えざるをえなかった。
フランスでも、私生児が生まれると、その母たる女が父親を決める権利があったそうである。女は自分と関係のあった何人かの男の中から経済的にゆとりのある男を、当然父親として選ぶことになる。金持ちのプレーボーイたちは大いに困ったという。
今日では、血液型の遺伝形式が詳細に研究され、また形態学的な遺伝形質についても研究が進んで、指紋、掌紋《しようもん》、人類学的生体計測、産婦人科学的考察などを総合して、鑑定が行われるようになっている。主に法医学者が鑑定をしている。
血液型の遺伝形式が合わない場合は、親子の関係は完全に否定されるが、血液型が合っていて肯定する場合には、父権肯定の確率を算出して判断している。近い将来、染色体の研究などが進み、親子鑑定も科学的に精度の高いものになるであろう。
法医学者の鑑定は、あくまでも裁判上の参考資料であり、判定は裁判官によって決められる。とはいえ、法医学者の鑑定結果が尊重されるのはいうまでもない。
そこで、これから親子鑑定をめぐる二つの相異なる裁判をご紹介しようと思う。
この事件は、夕刊に小さく載っていた。子供のないある会社の支店長が、電車に飛び込み自殺をしたというのである。迎えの車で出社中、電車の通過待ちで、運転手は踏み切りで、一時停止をしていた。後部座席に乗っていた支店長は、何を思ったのかドアを開け、車から降りるなり、遮断機をくぐり抜け、やって来た電車に飛び込んでしまったのである。
一瞬の出来事に、運転手はハンドルを握ったまましばし茫然としていた。動機は組合交渉で心身ともに疲れ果てたためとあった。初老期のうつ病とも思える自殺である。
通夜の晩、小柄な中年の婦人が小学校三〜四年とおぼしき男の子を連れて参列したことから、この事件は波乱の幕が開くことになる。集まった親戚のものをはじめ、会社関係の人たちも、その子連れの婦人と面識はなかった。襟元が美しいその女性は、ことのほか目立った。
不審に思って、丁重に、
「どちら様ですか」
と尋ねたところ、意外な答えが返ってきた。
「私は十年来、故人と関係のあったものでございます」
支店長の奥さんは驚いた。寝耳に水である。そんな馬鹿な話はない。夫と私の間に、そのような隠し事があるはずはないと否定した。
しかし、その女性は男の子を引き寄せて、
「これが何よりの証拠です。パパとの間の子供です」
と言いながら、ハンドバッグから数枚のスナップ写真を取り出した。子供を中に親子三人が睦《むつ》まじく写っている。母と子はまさにここにいる本人たちであり、父とおぼしき男は間違いなく自分の夫であった。
支店長に愛人があり、子供まであったなどとは誰も知らないことであった。しかも、子供は十歳ぐらいだから十年来の秘密ということになる。
奥さんのショックは大きかった。愛人は当然のことながら、子供の認知と遺産の分配を要求したのである。
大変な通夜になってしまった。
身内のもの数人を残して、客は早々に帰っていった。夫にあざむき通された子のない妻は、哀れであった。この夜のハプニングは、どうやら本妻の負けの印象が強かった。
見ず知らずの子連れの女が、こともあろうに夫の通夜に突然現れ、しかも子供の認知を迫ったのである。腹立たしいことであったが、無視することもできない。本妻は、重い口を開かねばならなかった。夫婦間の秘密を、今ここで他人のあなたに話す必要はないのだが、あまりにも馬鹿げた非常識きわまりない話であり、遺産欲しさのために仕組んだ芝居のようで、相手にできないけれど、あなたがそう主張する以上、こちらも一応の説明はしておきましょう。落ち着きを取り戻したせいもあってか、一時荒かった語気もやがて諭《さと》すような口調に変わって、
「実は主人は無精子症だったのです」
なんと迫力のある言葉であろう。
身内のものはそれとなく知ってはいたが、改めて彼女の口からこの言葉を聞いたとき、子のない妻の哀れさを感じた。同時に、その言葉には相手の女性を十分説得させるだけの重みがあった。
結婚この方、私どもは子宝に恵まれなかった。だからあなたとの間にも子供が生まれるはずはない。そう言っているうちに、再び感情がたかぶり、腹が立ってきたのだろう。
「でたらめを言うのも、いい加減にしなさい」
と最後は相手を怒鳴ってしまったのである。
切り札が出されたのだ。
ところが愛人もさるものである。ひるむどころか、かえって闘志をみなぎらせて反撃に出たのである。あなたが今、認知してくれなければ、くれないでもよいのです。私は裁判所で親子鑑定していただきますから結構です。多分こんなことになるだろうと思って、弁護士さんと相談して手は打ってあります、というのである。
なるほど、女だけの知恵ではなかった。
飛び込みの現場で、私はパパの骨と肉を拾って持っています。これを裁判所に提出して、血液型を鑑定してもらい、親子関係をはっきりさせます、というのである。
万事用意周到な運びで逆襲してきた。
自分の腹を痛めた子供がここにいる。
母は強かった。
熾烈《しれつ》な女の対決に相談相手にと残った身内の男たちも、意外な成り行きに、なすすべもなかった。
結局、民事裁判にもつれ込んだ。裁判所は、愛人側から出された骨と肉を、ある著名な法医学者に鑑定を依頼した。
鑑定はまず骨と肉が獣のものではなく、人間のものであるか否かから始められた。数ヵ月後、結果は鑑定書として裁判所に送られてきた。
人間の骨と肉であり、骨は扁平《へんぺい》で骨盤を形成する腸骨の一部分と推定された。血液型は骨、肉ともにB型であった。つまり支店長はB型と判断された。なお母親の愛人はO型で、その男の子はB型であった。
したがってB型の支店長とO型の愛人から、B型の子供が生まれても矛盾はなかった。しかし、支店長の子供であると判定するわけにはいかない。世にB型の男は支店長以外にごまんといるからである。
たとえば、子供がA型であれば、BとOの夫婦からA型の子供は生まれないから、この場合は完全に否定することができる。血液型はいわば否定の学問で、肯定の学問ではない。鑑定結果は、親子関係があってしかるべきである、ということになったのである。
本妻側は反論した。骨片は骨盤の一部を形成する腸骨であるというが、果たして夫は骨盤部を轢断《れきだん》されていたか。弁護士は警察へ行き、当時の記録を調べた。
死体所見については、これを検死した監察医の死体検案調書がなによりの証拠である。奥さんを伴い監察医務院を訪れた弁護士は、検死をした監察医に面会を求めた。
頭蓋骨は粉砕骨折し、顔面は原形をとどめないほど変形している。さらに骨盤部は、挫滅轢断《ざめつれきだん》状態との記載があり、腸骨が粉砕骨折して骨片となっていても矛盾はない。彼女が、骨片や肉片を拾ってきたとしてもおかしくなかった。
弁護士は、次なる反証に移らねばならなかった。飛び込みの現場で、骨と肉を拾ったという彼女の申し立ては本当だろうか。現場付近の住民から、当時の模様を聞いて廻った。
事件後、直ちに十数人の駅員や警察官が散乱した骨片や肉片をポリバケツに拾い集めているのを目撃しているが、その中に女性が加わっていたかどうかは、はっきりしない。そして、十数分後には電車は次々とそこを通過し、正常運転に復帰したとのことである。彼女が事件発生後、十数分以内に現場に現れる可能性はない。地理的にも不可能である。
運転手は、支店長の奥さんと会社にはすぐに通報したというが、事故発生から十分以上はたっていた。後日、拾いに来たとしても、都内の専用軌道内で、それらをうまく拾得できただろうか。その目撃者もいなかった。
いずれにせよ、論争は四分六分で本妻側は押され気味であった。最後の手段に望みを託すことにした。夫の無精子症が証明されれば、勝てると考えたからである。
十数年前、夫婦で診察してもらった病院を訪れた。年をとったがその医師は健在であった。しかし、医師はカルテの保存義務は五年間で、古いカルテは焼却してしまうので、記録がないから証明することはできないとの返事である。
弁護士は、それではこの奥さんに見覚えがありますか、と医師に尋ねた。
診たことがあるような気もするが、始終このようなご夫婦の患者を診察しているので、はっきりした記憶はないとのことで、反証の手がかりを失ってしまった。
そればかりではなく医師は、無精子症といっても全く精子がないというのはごく稀《まれ》で、多少は存在している。ただ精子の数が少なく受胎しにくい場合も含めて、無精子症といっているので、ときには子供が生まれることがあっても不思議ではない──と医学的解説に及んだのである。
最後の望みも、その瞬間に消え、失望と焦燥《しようそう》の中で、本妻も弁護士も打つべき手段を見失ってしまった。
裁判とはいいながら、死んで半年以上もたっている人の血液型や無精子症の証明をしようというのであるから、これはむしろ医学上の問題であった。弁護士はある大学の法医学の教授に相談することにした。法医学教室では、親子鑑定が数多く取り扱われていた。
教授は、夫の遺品の中から血液型を判定できるものを探し出すようにと指示してくれた。毛髪や爪などでよい。また、汚れたちり紙やハンカチ、タバコの吸いがらなどでもよかった。これらには汗、唾液《だえき》、痰《たん》、鼻汁などが付着しているから血液型を割り出すことができるのである。
しかし、そのほとんどは汚物に類するもので、探すまでもなく、とっくに廃棄されている。それでも妻は、夫の旅行用洗面具セットの中から、櫛《くし》についていた毛髪三本を見つけ出した。
また、法廷には愛人の方から、生前月々パパから仕送りされていたという現金書留封筒が束ねられて提出されていた。公的機関を使っての送金の事実は、二人の関係が親密であったことを明確に証明する有力な証拠物件となっていた。加えて、現金書留封筒に書かれた文字は、まぎれもなく夫の字であることを、本妻も法廷で認めていたのである。
かなり以前から、夫に愛人がいたことが明らかになり、愕然《がくぜん》としながらも、彼女は子供の件については、どうしても納得しえなかったのである。
話を聞いていた教授は、
「現金書留封筒。それですよ」
とつぶやいた。
封筒に貼《は》ってある切手には、恐らく支店長の唾液がついているだろうとの推測からである。本妻側が、切手についている唾液の血液型鑑定をしてもらうよう、裁判所に申し立てをしたのはいうまでもない。
裁判長は束ねられた封筒の中から、無選択的に十通を取り出し、別の医大の法医学教授に、血液型の鑑定を依頼した。相手方の有力な証拠物件を逆手にとった、巧妙な反撃であった。無論、洗面具セットごと三本の毛髪も同時に鑑定に出された。裁判の成り行きは、鑑定いかんにかかっていた。
親子の区別はきわめて論理的で、血液型が遺伝形式に適合していなければ否定される。法廷でもこの医学的判断によって、裁かれるのは当然である。
 ところが、アメリカでのチャップリンの親子鑑定は違っていた。企画、演出、監督、そして主役の俳優から音楽まで、彼一人で器用にこなし、今なお世界中の人々の感動を誘う名作を次々に発表してきたチャップリンは、まさに偉大な天才的芸術家に違いない。とはいえ、その彼もこと女性に関しては、まことにだらしなかったようである。
一九四三年、彼は以前同棲《どうせい》し一緒に映画をつくっていた女優から、子供の認知をするよう訴えられた。血液型の検査で、チャップリンはO・MN型、女優はA・N型、子供はB・N型であった。MN式血液型から親子関係は適合していたが、ABO式血液型からは、OとAの間からBの子供は生まれないので、医学的にチャップリンは、その子の父親ではなかったのである。ところが、裁判ではその事実は無視されて、子供の父親と認定され、養育費として毎週七十五ドル、弁護士料五千ドルを支払うよう命じられた。
日本と違って、アメリカは陪審員制度による裁判である。一世を風靡《ふうび》したチャップリンの生活、その豊かな経済力にひきかえ、捨てられた女優はただの女の貧しい生活に戻っていた。アメリカ国民の同情もあったのだろう。一年近くの同棲期間中は、妻と同じように生活を共にし、チャップリンを支えてきた女性である。それを捨てて、次から次へと華やかに女性遍歴を繰り返す男に対する市民の怒りが、実子ではなくても、その祝福されない子供と女性のために、男としての責任を果たすべきであると宣告されてしまったのである。
この裁判は、日本人の感覚では割り切れないものを感じるが、それはともかく、ロンドン生まれのチャップリンは、当時の文明国アメリカに批判的であったし、主義主張も違っていたから、アメリカ政府から嫌われ、彼自身もまたアメリカ嫌いになって、ついにヨーロッパに移住した。その重要な動機の一つに、この裁判はなったといわれている。
 さて、裁判所の鑑定依頼があってから五ヵ月後、教授の鑑定書が裁判所に提出された。毛髪はA型であった。
封筒の切手は、十通のうち七通からA型の反応が出た。しかし、残る三通は血液型の反応はなかった。切手は糊か水などによって貼られたものと推定された。結局、切手を貼った人はA型と判断されたのである。
以上の鑑定から、支店長はA型で、O型の愛人との間からB型の子供は、決して生まれない。A型の夫は、親子関係を完全に否定されたのである。
愛人側の提出した骨と肉はB型で、親子関係があると肯定され、本妻側の毛と切手はA型で、親子関係がないと否定される。
この結果は、あまりにも自分たちに都合よすぎて信憑《しんぴよう》性に乏しい感じがしないでもない。とはいうものの、双方とも鑑定人は権威ある法医学者であり、鑑定に誤りがあるなどとは到底考えられない。裁判長は、そのいずれかに軍配をあげなければならないのである。
そこで裁判官は骨と肉、毛髪と切手の四つの鑑定物件の中で、支店長と認定されてよい物件はどれかを再検討する作業に入った。まず骨と肉は飛び込みの現場で、愛人自身が拾ってきたというが、時間的にも地理的にも無理があって、支店長そのものとは考えられない。別人のものを後日用意したなどと、あらぬ疑いをかけてみる余地がないわけではない。いずれにせよ、骨と肉の信頼度は低かった。
毛髪はどうだろう。支店長の洗面具セットの中の、櫛についていた毛であるというが、どれほどの信憑性があるだろうか。たとえば他人がその櫛で頭をとかしたことはなかったか。あるいは故意にA型の人の毛をそこに入れて裁判所へ提出しなかったか。疑えばいくらでも疑う余地はあった。
残る切手の唾液はどうか。生前、支店長が愛人宛に月々現金書留として送金していたもので、この封筒は二人の関係を見事に立証した重要な証拠物件であった。しかも、二人の関係は十数年来、誰にも知られることはなかった実績を考えると、彼はひそかに封筒の宛名を書き、舐《な》めて切手を貼り、郵便局へ行き、秘密裏に送金していたに違いない。支店長という地位にあっても、このことについては部下に頼んだりはしなかったろうと思われるのである。
こう考えると、四つの鑑定物件の中で最も支店長にふさわしい物件は、封筒の切手に付着していた唾液以外にないのである。裁判長は、唾液の鑑定結果を採択した。
支店長の血液型はA型と判断され、愛人の子供との間に親子関係はないと結論を下したのであった。
本妻側は逆転、勝利をおさめた。
その夜、弁護士は相談にのってくれた法医学の教授と銀座のバーで飲んでいた。負け戦を勝利に導いてくれたお礼をかねての祝賀会であった。
子のない支店長は、愛人との関係から子宝に恵まれたので、うれしくてたまらない。その子を自分の子と信じて疑わなかった。それ故に子の成長を喜び、送金をたやすことはなかったのである。
裁判が終わり、事実が明らかになった今、その男の子は一体誰の子なのだろう。ミステリーが残った。
教授は尋ねた。
さすがは弁護士さんである。調べはついていた。
十数年前、支店長と交際が始まる直前まで、彼女は年下の男と交際があった。一ヵ月くらいの間、彼女はこれら二人の男性と関係をもっていたのである。このオーバーラップした一ヵ月の間に、彼女は若い男と別れて支店長を選んだが、そのときすでに彼女は身ごもっていたのである。
妻以外の女との出会いで、無精子症の自分も子宝に恵まれたことを、この上なく喜んだ支店長は、子を溺愛《できあい》した。若い男の存在など、知るよしもない。
彼女もまた、支店長の喜びと愛にはぐくまれ、いつしか年下の男のことを忘れ、支店長との間に生まれた子として、育ててきたのである。
皮肉にも、裁判が終わってはじめて、子供の父が支店長ではなかったことを知らされる結果になった。祝福されない子を持った女も、また哀れであった。
人工受精、試験管ベビーなど、生命の誕生と親子の関係が不確かな時代に、確かさを求めるのは無理なのだろうか。いずれにせよ、人間社会の乱れた生活の中で、親子の関係を決めるのに、医学的判断を優先するのか、それとも人間としての生き方、人情論で決めるべきなのか。
無精子症の話とチャップリンの話。この極端な日米の違いを対比させ、もう少しよい知恵はないものかと、私はいつも思うのである。
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