ある喜劇役者が舞台のそでに帰るなり、前のめりに倒れ、意識不明となった。救急車で病院に収容されたが、間に合わなかった。舞台狭しととび廻っていた人が、次の瞬間死んでしまうなど、彼を知る人たちにとっては思いもよらぬ出来事であった。しかし、監察医制度のある都内では決して珍しいことではない。
スポーツ中の急死、運転中の急死、入浴中の急死、会議中の急死、睡眠中の急死など、例をあげればきりがなく、毎日十数件は発生している。このような突然死は異状死体として警察に届けられ、監察医の検死を受けることになっている。
検死すると、左の頬に小さい擦過打撲傷があった。前のめりに倒れた際にできたのであろう。その他、左臀部から左大腿背面にかけ広い範囲にやや古い皮下出血が見られた。警察の調べでは、一週間前に舞台で演技中、足をからませて尻もちをついたときのものであるという。以来、左下肢をひきずり杖をついて舞台を務めていた。
また、本人は多少血圧が高かったらしいが、治療はしていないとのことで、検死の結果は急病死と判断されたが、その病名までは引き出せなかった。
当然、監察医務院で行政解剖をすることになった。右大脳に小豆大の出血が見られ、出血の様相は血塊が凝縮していて、一週間ぐらい前の出血と推定された。舞台で足をからませ尻もちをついたというのは、実は脳出血により、左下肢が麻痺《まひ》したためであった。
しかし、本人はもちろん周囲の人たちもみな、足をからませて転倒したとの単純な理解であったし、左下肢をひきずるのは尻もちをついた際の皮下出血のためと思っていたから、医者にもかからず湿布薬をはって、杖をつき舞台を務めていたのである。
死因は高血圧性心肥大であった。気骨ある舞台人、役者冥利《みようり》に尽きる、とほめられた。
これに水をさすわけではないが、医学的には舞台で転倒した時点で、絶対安静、入院治療の必要があった。戦前は仕事には責任があり、命をかけて遂行する心構え、精神力がなければならないと教わった。とくに軍人は忠節のためには命を顧みなかったし、死をもって国に殉ずるなど、いかに死すべきかを教わったのである。時代は変わり、思想も変わった現在の自衛隊は、いかに生き残って責務を遂行するかを習っているという。
仕事に命をかけるという表現は、今も使われるし、格好のよい言葉である。だが命を犠牲にしてまでやるのではなく、あくまでも一生懸命やるという気概を示す意味であろう。命に代えてまで、やらなければならないことは、この世の中になにもない。長いこと監察医をしてきて、死を扱い生の尊さを知り、つくづくそう思うのである。