「院長さんですか」
と、二度念を押された。
「はい。そうですが、どなたですか」
と、問い返したが、それには返事はなかった。
中年の女の声である。役所に対する苦情の電話だろうと思った。ところが話を聞いて、びっくりした。二週間前に夫を絞め殺したというのである。愛しているから夫を殺したという。
「わかってもらえるかしら」
などと、小娘のようなことを言って、殺しの言いわけをしている。そして「今、こげ茶色にひからびて少し悪臭がする。田舎へ持って帰り埋めたいのだが、臭いを消す薬があれば教えてほしい」というのだ。「私は四十歳、夫は四十一歳」だという。
本当なのか。電話越しに相手の様子を伺ったが、こげ茶色にひからびて少し悪臭がするという表現には、体験者でなければわからないような実感がこもっていると思えた。本ものだと感じたので、身構えながら話を引き延ばそうと努めた。
「私が付き添ってあげるから自首しよう」とすすめると、「子供がいるから警察に捕まるわけにはいかない」という。「子供は私があずかる。都には施設がたくさんあるから、心配はない」と説得したが、無視された。
消臭剤を届けるから、住所でも電話番号でも教えてくれないかと言ったが、乗ってこない。
「困ったね。力になれないね」
と言うと、よく考えて明日また電話をかけるというのである。固く約束して十分ほどで電話は切れた。翌朝、電話に逆探知をつけ、刑事がはりついた。しかし、連絡はなかった。病弱な夫か、酒に酔うとどうしようもないほど暴れだす酒乱の夫か。あるいは事故などで急に働けなくなり、寝たきりになった夫であろうか。いずれにせよ、追いつめられた一家の悲劇のように思えた。
それから一年二ヵ月が過ぎた歳末のこと、ご用済みの飯場の二階から、白骨化した五十七歳の男の首つり死体と、そのかたわらに一部乾燥、一部腐敗した四十七歳の女の死体が発見された。宙づりのひもを切り、遺体を畳の上に寝かせ、そのかたわらに女が寄り添うように死んでいたのだ。
死体所見と状況から男は約十ヵ月前、女は二ヵ月前の死亡と推定された。男は一年前、脳梗塞《こうそく》で倒れ、ほとんど寝たきりの生活になり、言語障害も強かった。妻が看病していたが、三ヵ月ぐらいたったころから、他人を家に入れなくなった。息子が訪れても、二階にあげなかったという。その中に寄りつく人もないまま九ヵ月も放置され、飯場の取り壊しに来た職人が、この夫婦の死体を発見したのである。男は首つり自殺。女は糖尿病があり、解剖の結果、心筋梗塞の病死と判明した。
電話の女のことを思い出し、この事件と対比させたが、時間的に半年のズレがあり、状況からも別件のようであった。愛するものの死を認めたくない、いや、死んではいないという精神作用が、このような行動になるのであろうか。
理解できないような事例は、ほかにもある。脳出血で倒れ入院していた中年の男があった。妻は宗教上の理由から、夫を無理やり退院させ、医療を打ち切り、自宅で他人を寄せつけず、病魔を追い払う祈祷《きとう》などを行っていた。しかし、妻の願いとうらはらに病状は悪化し、ほぼ一週間後には死亡したようであった。その後、遺体をワゴン車にのせ京都、奈良などの寺院を廻り、夫の安住の地を求めて埋葬しようとしたが果たせず、数日後東京に戻ってきた。夫の友人が運転し、妻も同乗してのことであった。その直後、妻は行方をくらまし、友人は困りはてて、警察に届け出たのである。
この行動は何だったのか。私にはわからない。しかし、夫の死体が検視の対象として届けられた以上、これに対応し行政上あるいは司法上の結論を出さなければならない。
猿の母親が、死んでひからびたわが子を抱きかかえて、生活しているテレビを見たことがある。生きるものにとって、死を科学的にのみとらえることは、必ずしも十分な対応ではないことを思い知らされた。
この行動は何だったのか。私にはわからない。しかし、夫の死体が検視の対象として届けられた以上、これに対応し行政上あるいは司法上の結論を出さなければならない。
猿の母親が、死んでひからびたわが子を抱きかかえて、生活しているテレビを見たことがある。生きるものにとって、死を科学的にのみとらえることは、必ずしも十分な対応ではないことを思い知らされた。