火災や大災害などで多くの死者を出し、しかも死体の損壊が著しいと、個人を特定することが非常に難しくなる。日航機が群馬県の山中に墜落したときなども、損壊がひどく顔で個人を識別できたのは、ほんの一割程度であったといわれている。あとは指紋、歯型、身体的特徴、着衣などを参考にしたという。
法医学的に個人識別をする場合、その他にスーパーインポーズ(復顔法)という検査方法がある。頭蓋骨が発見された場合など、その人とおぼしき人の生前の顔写真と頭蓋骨の写真を同じ大きさにして、両方の写真を重ね合わせて像が一致するか否かで識別するものである。
私の知人にシャンソン歌手がいる。彼女はルーブル美術館でモナリザの絵を見て感動するうちに、ある種のひらめきがあって、もしかするとモナリザのモデルはレオナルド・ダ・ビンチ自身なのではないかと思いはじめたという。漠然とした考えをまとめてみると──モナリザの目はどこから見ても視線が合う。ダ・ビンチは自分の姿を鏡に映して、理想の女性像として描いたのではないだろうか。それが証拠に、左眼内側の鼻のつけねに小豆大のイボのような腫瘤《しゆりゆう》がある。ダ・ビンチの自画像には反対側の右眼内側の鼻のつけねに腫瘤があった。
さらに、モナリザの右手の親指と人差し指のつけねが丘状に盛り上がっている。ダ・ビンチは左利きで、親指と人差し指の間に画筆を持って絵を描いていたので、その部位にペンダコのような盛り上がりができたのではないだろうか。
そして、胸の乳房のふくらみが女性にしてはやや下がりすぎているような気がする──というのである。
この四点からダ・ビンチは鏡に向かって自分の顔を女性に見立てて描いたものではないかと推理したというのである。驚きであった。私は、絵についての知識はない。科学的にこれを立証できないかという相談なのである。
奇抜な発想にとまどいを感じた。確かに個人識別ではあるが、絵に描かれた人物像の識別である。法医学的検査の対象にはならないが、遊びとしてスーパーインポーズを応用してみるのも面白いと考えた。結局、テレビの番組として取材に応ずることになった。早速、図書館でモナリザとダ・ビンチのひげのある自画像をコピーしてきた。
絵の大きさが違うので、顔や大きさを計測して同じ大きさに調整していった。
でき上がった二枚の絵を重ね合わせて、電灯の光にかざして驚いた。画像はほぼ一致し、ひげのあるモナリザがほほえんでいたのである。
違和感はなかった。ただそれだけのことである。類似性があるといっても絶対的なものではなく、彼女の発想が当たっていたと断言できるものではない。しかし、私は視聴者に向かって、これだけ類似性があるので、今後大いに検討の余地はあるでしょうと語った。
テレビは、「モナリザは男だった」と謎に輪をかけてしめくくっていた。