東京都二十三区内の年間死亡数は、四万七千人ぐらいである。その中の一五%強(約七千二百人)が不自然死で、監察医の検死の対象になっている。医師にかかることなく急病死した者や、自殺、他殺、災害事故死などである。検死だけで死因がわかる場合が七〇%で、残る三〇%は行政解剖によって死因の究明がなされている。
検死の際、あらかじめ警察の捜査によって家族や隣人、友人などから生前の様子、死亡前後の状況などが調査されているから、死因に対してある程度の見当はつく。しかし心筋梗塞だろうと思って解剖すると、脳出血であったりすることはある。また、脳出血と思って解剖してみると、胃袋から青酸カリが検出され、自殺か殺しかと捜査はふり出しに戻って大騒ぎになることも稀《まれ》にはある。仕事の難しさ、重要さを痛感する。
荒川で若い女性の漂流死体が発見された。検死をすると、口から泡をふき溺死のようでもあり、また頭部には首つり様の紐《ひも》のあと(索溝)があって、顔面はうっ血し、溢血点も見られ、縊死(首つり)のようでもあった。
自殺か他殺か──大事をとって検事の指揮で、監察医務院で司法解剖をすることになった。当時、若手の法医学者渡辺富雄監察医(現昭和大学医学部教授)が執刀した。結果は、首つりによる仮死状態からの溺死という判断になった。
これを自殺と推理すれば、荒川筋で橋などから首つりをしたが、途中で紐が切れ仮死状態で川に落ち溺死し、漂流したということになる。しかし、人目をはばかる自殺行動を考えると場所の設定に不自然さが感じられる。
他殺と考えるならば、首を絞め仮死状態にさせて川に捨てたことになる。この場合、索溝はネクタイを巻くように首を水平に一周していなければならない。ところが本件の索溝は、前頸部から顎の下を通り、耳の後から後頭部上方に向かっている。首つり特有の索溝で、死体所見と一致しない。
さらに別の手段を考えるならば、被害者の首に紐を回し後頭部で合わせ、犯人が紐を肩にかけて背負う。つまり背の高い男の背中で、女が背を合わせ首つりをするような形で、仮死状態になっているところを川に捨てれば、状況と死体所見は合致する。昔、石の地蔵さんを運ぶとき、このようにして背負ったというので、地蔵背負いの名がついている。
この方法は首に縊死の索溝が形成される。首つりはほとんどが自殺の手段であるから、自殺と思わせて、実は殺している。きわめて巧妙な殺しのテクニックである。
こんなことを知っているのは法医学に精通した、背の高い大男でなければならない。法医学を知らないとすれば、片手の不自由な人が相手を絞め殺す場合に用いる方法である。
二日後、女の身元が判明した。東京近郊に居住する十五歳の少女であった。捜査の焦点がしぼられてきて、犯人はいたたまれず自首してきた。片腕のない大男であった。
福祉事務所の主事で、中学卒業の少女の就職斡旋などで交渉をもっているうちに、不純な関係をもってしまった。この関係が露見すると自分の身が危ないと考えた主事は、少女を誰も知らない東京に移そうと計画したのである。荒川土手に少女を誘い出し、もっと待遇のよい就職口を見つけたからとしきりに転居、転職をすすめた。
しかし、男の気持ちを知らない少女は、見知らぬ土地で働くよりも、生まれ育った今の環境の方がよいと拒否した。男は止むを得ないと決心したのだろう。ちょうど、小雨が降りだした。
隠し持った日本手拭いを、ぬれると風邪をひくからと少女の肩にかけ、ころ合いを見計らって、手拭いの両端を合わせ持ち、背中にかつぎ、少女を地蔵背負いにし、土手を駆け降り、仮死状態になっている少女を荒川に投げ捨てたのであった。
死体所見から、犯人像まで言い当てるような事件は、めったにあるものではない。法医学の本領がいかんなく発揮された、珍しい事件であった。