人生を存分に生き抜いた人には、死んだ後のことなど関心はないかも知れない。周囲の人たちもただ安らかに葬ってあげたい気持ちでいっぱいであろう。しかし、死者の検死や解剖を仕事とする監察医の立場から、死後の事情について一言、説明を加えたい。
わが国では死んだ場合、まず病死(自然死、主治医が死亡診断書を発行する)と犯罪死(検事の指揮下で司法解剖する)に分けられる。
しかし、その中間に医師にかからずに突然死したり、自殺、災害事故死、あるいは病死なのか犯罪に関連があるのか不明の、疑わしい死に方がある。これらは異状死体(不自然死あるいは変死体)として警察に届けられ、警察官立ち会い(警察の検視は死体を含めあらゆる状況まで見、調べるので判断の中心は法律である)で医師の検死(死体を検査し、死因を調べるので判断の中心は医学である)が行われる。この異状死体の扱いを制度化したものが、監察医制度である。
死体解剖保存法第八条に基づき、東京、横浜、名古屋、大阪、神戸の五大都市において施行されている。検死のみで死因がわからなければ、行政解剖をしてこれを明らかにし、病死か犯罪死か、あるいは自殺か災害死かなどを区別している。一見、非情に思われるかも知れないが、死者の人権を擁護している制度なのである。
この中から、ときには隠された殺人事件などを発見することもある。そればかりか、戦後ポックリ病が発見され、原因解明の研究が盛んとなったことは周知の通りである。
その他、泳げる人が溺れるのは心臓麻痺などではなく、それなりの原因のあることが究明され、また運転中の急死、スポーツ中の急死などの実態も明らかになって、それぞれに予防対策が講じられてきている。
老人の自殺を見ても、独り暮らしよりも同居の老人の自殺が多く、動機も病苦といわれていたが、実は身内からの疎外感が主であることがわかって、国の福祉の対応もそれなりに変わってきている。
その他、生命保険の問題や交通事故、労災事故などの補償問題で後日トラブルになることがある。これらの対応にも適正な判断ができるよう記録も保存され、監察医が意見書を提出したり裁判の証人に立つことも多い。
このように監察医制度は、ただ単に変死者の検死、解剖をしているだけではない。データは必ず、生きている人に還元され、予防医学にまた衛生行政に役立っているのである。
ところが、わが国のほとんどの地域は監察医制度がないので、全死亡の一五%をしめる異状死体は、臨床医が検死をし死因を決めているのが現状である。生きてはいないのだから、治療の必要はないのだから、医師であれば何科の医師でもよいというのであろう。
しかし、それは誤りである。風邪をひけば内科へ行き、ケガをすれば外科へ行く。わが身を守る上で当然の選択である。これと同じで異状死体の検死は、死体を見慣れ、死者と対話のできる監察医や法医学者に任せないと、もの言わずして死んだ人々の人権は守れない。死者にも、医師を選択する権利があろう。
そのためには、地方自治体に任された監察医制度の活用が必要である。東海大学、琉球大学、そして茨城県の筑波大学のように、新たにこの制度と類似の方式で検死、解剖のシステムを確立し、発足させたところもあるので、これらを参考にして、地域ごとに大学の医学部と連携し、全国的に推進させなければならないと思う。
死者はどのような制度があっても生き返らない、などとあきらめてはならない。死者の側に立って人権を擁護している医師もいるのである。