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死体は語る46

时间: 2020-04-14    进入日语论坛
核心提示:あとがき医師の世界では国家試験に合格すると、ほとんどのものは聴診器を持ち患者を診療する臨床医になるのが普通である。法医学
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あとがき

医師の世界では国家試験に合格すると、ほとんどのものは聴診器を持ち患者を診療する臨床医になるのが普通である。
法医学を専攻するものは非常に珍しく、一つの大学で十年間に一人もいればよい方だ。最近は大学も増え医師の数も多くなったが、この分野は依然として医師の過疎地帯のままである。
私が常道から外れたこの法医学を、迷いと不安を抱きつつも選んだのは、田舎で開業医をしていた父の勧めと、三〜四年勉強し、博士論文でもまとめたら臨床へ転向しても遅くはないと思ったからでもあった。
しかし、やってみるとそれなりに興味がわき、ついにやみつきとなって、法医学一筋に生きてきた。とくに、監察医になってからの体験は貴重であった。
私が関与した事件には浅沼委員長殺傷事件、三河島列車二重衝突事件、全日空機羽田沖墜落事件、ホテルニュージャパン火災事件、日航機羽田沖墜落事件などがあり、日本の事件史とともに歩んできた感がある。
学問的には、溺死《できし》の研究に錐体《すいたい》内出血という新説を発表することができたし、また老人の自殺の調査研究では、国の福祉のあり方が見直され、改善されるなどの影響を及ぼした。監察医として衛生行政に参加してきたが、このような仕事ができたことに、喜びと誇りを感ずる。
その他、多くの事件にかかわり、死者との対話を続けて今日に至っている。
ある新聞記者から取材を受けた。
「先生のように死者の人権を大事に守っている人は少ない。多くの死者が、きっと先生に感謝しているに違いない。先生があの世に行ったときには、世話になった死者たちが大勢、花束を持って出迎えてくれるでしょう」
自分の死後のことなど考えたこともなかったので、一瞬とまどったが、もしかすると、そうなのかも知れない。二人で大笑いした。
そんなある日(昭和六十年の春)、時事通信社の『厚生福祉』、松田鈴夫編集長の訪問を受けた。厚生省の横尾和子医事課長(現大臣官房政策課長)から紹介されての来院であった。私は厚生省の医道審議会委員(死体解剖資格審査部会)をしていたし、監察医務院は東京都に所属しているが、厚生省管轄でもあったので、医事課にはなにかとお世話になっていた。
週二回発行の『厚生福祉』に寄稿してほしいとの話であった。福祉には縁遠い仕事であったからお断りしたが、それにこだわることなく、監察医の視点で自由に書いてくれればよいという。折に触れ感じていたことのメモなどをたよりになんとか今日まで書き続けてきた。
それをベースに今回、出版局の藤田昌司氏から、単行本として出版しないかと話が持ち込まれた。他人さまに読んでもらえるような文章ではないが、監察医という職業を通じて、私の人生観が少しでも表現できれば、法医学三十四年の集大成として意義があろうと思い、引き受けた。出版にあたり、大変お世話になった松田鈴夫編集長と出版局の藤田昌司氏に、心から謝意を表する次第である。
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