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食味歳時記02

时间: 2020-04-20    进入日语论坛
核心提示:キントンその他02 さて、こう日常食が変ってくると、正月料理も、旧態を維持できないのが、当然である。試みに、新年号の婦人雑
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キントンその他02

 さて、こう日常食が変ってくると、正月料理も、旧態を維持できないのが、当然である。
試みに、新年号の婦人雑誌を、開いて見るがいい。正月料理がカラー版で、いかにもウマそうに、いかにも体裁よく、掲載されてる。
しかし、その料理は、ほとんど全部が、洋風でなければ、中華風である。オードーブル的なもの、鳥や牛豚のロースト、または、シナ料理の冷盆《リャンパン》風のものが多い。日本風の料理は、変りずしのようなものが、隅の方に載ってるに過ぎない。
何という変化であるか。明治時代に、私の家でコーン・ビーフを用いたといっても、ただ一種だけのものだったが、今日では、正月料理の全部を、外国風にする例もある。キントンや、カマボコも、お節料理も、用意しない家が、現われてきた。私の家の子供が、わが家のお節料理に、見向きもしなくなったのも、不思議はないのだろう。
しかし、洋式正月料理というものは、一体、どういうものなのか。欧米のどこかの国の輸入なのか。
私はちょっと考えて見たが、どうも、欧米には、正月料理はなさそうである。日本的意味の正月というものが、存在しないのだから、料理もあるわけがない。しかし、正月はなくても、その少し手前に、クリスマスがある。クリスマス料理なら、無論、欧米各国がやってる。だから、日本の洋風正月料理とは、クリスマス料理を参考にしたのかも知れない。
私はフランスのクリスマス料理なら、多少知ってる。しかし、それは、クリスマス以外の時でも、食わないことはないし、また、日本の正月料理のような、仰々しいものでもない。
フランスの普通の家庭で、クリスマス前夜のご馳走といえば、家鴨のローストぐらいである。英米のように、七面鳥は使わない。勿論、オードーブルとポタージュぐらいは、出るだろう。しかし、そんなものは、クリスマスでなくても食べる。家鴨のローストだって、家族の誕生日にも、こしらえるだろう。もし、クリスマス独特のものといえば、食後の菓子のガトー・ド・ノーエルぐらいだろう。ガトー・ド・ノーエルは、クリスマスの前から、菓子屋の飾窓に置き始めるが、薪をかたどったチョコレートの上に、嬰児のエス様の砂糖菓子が載ってるだけで、格別うまい菓子でもない。むしろ、英国のクリスマスのご馳走に出る、暖かいプディングの方が、美味である。
とにかく、その程度の食事である。クリスマス・ツリーを飾るとか、プレゼントを貰うとかで、子供は喜ぶが、大人にとって、特にご馳走というものはない。それも、一晩きりの話で、日本のように、正月料理を三日間も、食べ続けるわけではない。
それに、フランスでは、家鴨が高いので、以前から、鶏を代用する家が多いが、戦後、日本と同様、アメリカから安いブロイラーが輸入されて、もう、チキン・ローストはご馳走ともいえなくなった。この勢いで行くと、クリスマス料理も、追々別なものが工夫されるかも知れない。日本の正月料理ほどのご馳走でないにしろ、一年一度の食事なのだから、やはり、平素よりウマいものが、食べたくなるのだろう。
考えて見れば、日本の洋風正月料理というものも、典拠のないものである。伊勢エビなぞ用いて、大いにオメデタ・ムードを出すけれど、外国ではエビと祝賀の関係がない。鯛なぞは下魚とされてるから、いよいよ祝賀の意味はない。洋風正月料理というものは、日本製ということに、帰着する。
それでもいいが、正月料理を洋風で行こうとしても、やはり、年月を重ねなければ、いろいろムリがあるだろう。客の多い家では、日本風の方が、便利な点もあるだろう。
もっとも、賀客にいちいち食事を出すという習慣が、長く続くかどうかは、疑問である。正月は家族だけで、ウマいものを食うということになるかも知れない。それなら、問題は簡単である。正月料理という特殊性も、失われて、ただのウマイモノ食いとなるのだが、ちょっと、寂しい気がしないでもない。
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