返回首页
当前位置: 首页 »日语阅读 » 日本名家名篇 » 作品合集 » 正文

食味歳時記03

时间: 2020-04-20    进入日语论坛
核心提示:キントンその他03 正月にウマいものを食うというのは、昔の日本人が、平素、マズいものばかり食ってた証拠で、栄養的にも、溜め
(单词翻译:双击或拖选)
キントンその他03

 正月にウマいものを食うというのは、昔の日本人が、平素、マズいものばかり食ってた証拠で、栄養的にも、溜め食いをする目的だったかも知れない。
でも、戦後の日本人は、大変ゼイタクになり、食生活はすっかり向上したので、正月のご馳走が、意味を失うことになった。わが家の子供が、キントンを喜ばぬというのも、平素、マロン・グラッセとか、栗入りの生菓子なぞにありついて、珍奇性を欠くからだろう。
もっとも、私なぞは日本製のマロン・グラッセよりも、熟練した料理人のつくったキントンや、栗のふくませの方に、軍配をあげるのだが、大勢はいかんともなし難い。
それにしても、正月料理というものに、私は大なる郷愁を感じてるわけではない。三献肴《さんこんざかな》、口取り、ウマ煮の類は、元日の朝、一見しただけで、食欲を失う。それを三日間出されるのだから、新年を呪う気分にもなる。
大体、正月料理がウマくないのは、年末に調理したものを、数日後に食うからだろう。料理は、出来たてを食うのが原則なのに、敢えてその逆を行くのである。暖かい料理は、雑煮だけというのも、情けない。
私の家では、ある有名な懐石料亭の正月料理の重詰を、年末に贈られるが、見た眼はいかにもウマそうで、材料も吟味されてるが、いざ食って見ると、これが、あの店の料理かと、疑ってしまう。味が変るというより、味が飛んでしまうのである。名店のものでもそうなのだから、正月料理というものは、誰がつくっても、マズくなるようにできてるのだろう。その上、市販のカマボコ、ダテマキの類は、防腐剤を多量に用いるから、危険な食物でもある。
いつの頃からか、私の家では、三カ日の午食だけは、パン食にすることにした。酒はブドー酒を飲み、コールド・ミートの類を食べ、そして、食後にコーヒーということにする。それで、よほど、食事の単調が救われるのである。
重箱に詰まってるものには、まったく手が出ない。むしろ、朝の雑煮の方がありがたい。そして、晩飯の時の吸物も、冷食でないという理由で、平素よりは美味を感じる。
私の家では、母親の生きてた頃から、正月の吸物は、蛤か、鱈コブにきまってた。両方とも賀客に出すのに、手がかからないからだろう。
鱈コブの吸物というものを、幼時は、あんなマズいものはないと、思ったが、年をとるに従って、好きになった。鱈の匂いと、切り昆布の味が、お節料理に飽きた舌に、快いのである。
しかし、この頃は、その切り昆布が、手に入らなくなった。いや、売ってることは、確かだが、皆、染料を用いるから、まっ青な吸物になってしまう。昔は、どこにでもあった、安価な品物だから、探せばあると思い、手を尽したが、ダメだった。そこで、関西は昆布の老舗が多いから、京都の友人に頼んだ。友人は昆布屋へ行って、親切に探してくれたのだが、どうも、私のいうような品物がない。それで、類似のものを、数種揃えて、送ってくれたが、それらは精製品であって、毛髪のような細さであり、また昆布の品質もちがうらしく、鱈コブにして食べると、まるで、別種のものになってしまった。
以来、私は鱈コブを諦めてるのだが、なぜ、切り昆布の着色なぞというバカなことをするのか。天然のあの青さだけで、結構ではないか。人工着色のどこが、食欲をそそるというのか。切り昆布に限らず、タクワンでも、鱈子でも、ひどい着色を行うが、私は商人の奸策を責めるより、買う人の罪だと考える。食物にあんな色を喜ぶのは、幼児か野蛮人のセンスである。また、着色して、工程を省けば、味が落ちるのである。その上、有害な色素が、多いのである。そういうことも、頭に浮ばないとすれば、ものを食う資格がないともいえる。
鱈コブも食えなくなって、正月の膳は、いよいよ味気なくなるが、それでも、何か食わずにはいられない。睨めっこをしてる重箱の蓋を、仕方なしに、開けずにはいられない。
そういう時に、何に手が出るかというと、わが家でこしらえたお煮〆めである。人参、牛蒡、里芋の類を、大晦日に、細君がセッセと煮上げた料理である。料理ともいえない、お惣菜であるが、これが、案外、結構なものである。少くとも、カマボコ、ダテマキの類より、食欲をそそるのである。ことに、冷たくなった焼豆腐などの味は、悪くない。
しかし、お煮〆めなぞを食って、三カ日を終るのだから、ご馳走からは遠い。四日の朝に、平常食に帰ると、ホッとした感じになる。やっと、厄脱れをした気持になる。
考えて見れば、愚な話である。正月だから、ウマいものを食うのでなく、正月なるが故に、平素より粗食をしなければならない。別に法律で、在来の正月料理を食えと、強制されてもいないのだから、遠慮なく、ウマいものを食ったら、いいのである。それだから、明治年間のわが家でも、コーン・ビーフやシューマイを、食ったのだろう。戦後の日本では、洋風正月料理が、流行するようになったのだろう。
それで結構であるが、正月料理は元日一日だけのものにしたら、どんなものか。和風にせよ、洋風にせよ、三日間も同じものを食うところに、問題があるので、一日コッキリなら、そう飽きることもあるまい。一体、正月に既製料理を食べるということは、台所の人に休養を与える目的もあったのだろうが、戦後は、女中さんも週休を貰うので、事情がちがってきてる。それに、新年と共に、一つ年を加える習慣もなくなったのだから、正月の意義も、よほど減殺されたのである。何も、三日続けて、マズいものを食う義理はない。
轻松学日语,快乐背单词(免费在线日语单词学习)---点击进入
顶一下
(0)
0%
踩一下
(0)
0%